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辺境幻想雑貨店 羅針度(らしぃど)  作者: 渡来亜輝彦
湖上の月と美味しい卵のお話
5/6

【A】皿の上の名月


「なんだ、曇りかあ」

 ようやく雨が止んだと思ったのに、空を見上げると雲が一面覆っている。

 あつい雲の向こうで、恨めしげに黄金の光が漏れているのは、そこに満月があるからだろうけれど。

 今日は中秋の名月。

 普段は月を見上げるなどという風流なことはしないが、こういう時ぐらいはそんな気分になるものだ。

 まあ、そんなことをいっても、別に何の用意もしないのだけれど。

 月見団子も月餅も、ススキも用意していない。ただ、帰り道に月を愛でてみよう、という気持ちになっただけ。

 けれど、せっかく、珍しくそんな気持ちになったというのに、そういう時に限ってこんな天気なのだ。

 ついていない。まだ雨が降っていないだけマシなほうだろうか。

 そんなことを思いながら、ふらふらといつもはいかない小道に足を向ける。

 雨上がりの道はじんわりと湿っていて、街灯はよりぼんやりと柔らかく輝いていて不思議な風景だ。

 いつもは歩かない小道だけれど、てんで知らない道ではないはずなのに、周囲の風景がいつもと違うようだった。

 ふとみると、目の前でこうこうと灯りが漏れてきている店がある。

 夜にこんなに明るいのは、飲食店などぐらいだろうとおもったが、どうやら飲食店でもなさそうだ。ちょっとこじゃれた雰囲気と、それでいて雑然としたエキゾチックな気配が、ちょっと今日のメランコリックな気分のせいで興味をひいてしまったらしく、足をそちらに向けていた。

 ふとみると、店の軒先のテーブルと椅子が出されているが、そこに一人の男が座っている。テーブルにはススキと萩をさした、中華風の青磁のような花瓶。そして、何か黒い皿のようなものが置かれていて、男はそれを見ているようだった。

 一体、何をみているんだろう?

 と、思った時、ふと男がこちらに気が付いた。

「やあ、こんばんは。これは、こんな良い夜にどうも」

「あ、ああ、こんばんは」

 唐突に声をかけられて、ちょっとだけぎょっとする。

 というのも、その、店員らしき男の風貌がちょっと変わっていたからで、何やら幾何学文様の描かれた布を頭にぐるっと巻いていて、それでいてスーツを着ている。よく見るとスーツは、かすかにキラキラ紋様がひかっていて、どうやら蛍光塗料か何かで光っているようだ。

 そんなひょろっと背の高い男が、こちらの警戒心を和らげるように笑う。

「今夜は中秋の名月ですからね。散歩にはぴったりの夜でしょう」

「いえ、でも、月が出ていないじゃないですか。貴方は一体何を?」

 そう尋ねると、彼はにこっと笑った。

「いやあね、私は月見をしていたのですよ」

「月見? まさか」

 驚くこちらをしり目に、彼はにやりとして手招く。

「私はこの雑貨店の店主をしていましてね。ここでは、すこーし変わったものを取り扱っているのです。それなものですから、この曇りの夜に月見をすることも容易いのですよ」

 そういって彼は御覧なさい、といって、先ほどまで彼がのぞき込んでいた黒い皿をさししめす。おそるおそるのぞき込んで、思わずあっと声をあげた。

 確かに。その皿には月がうつりこんでいるのだ。

 皿の上に満たされた水の上に映りこみ、ゆらゆらと揺れている月が。

 慌てて上空を仰ぐが、相変わらず空は雲に覆われている。そんな様子をみて、彼は軽く微笑んだ。

「これはちょっとした月見セット。まぁ、タネあかしいたしますと、これは卵なのです」

「卵?」

 きょとんとすると、彼は店の中に声をかける。はーい、と男の声がして、ほどなく店の中から大男がぬっとあらわれた。

「社長、呼んだ?」

 大男はなかなかの男前だが、体が大きいので少し強面に見える。

「これ、確か在庫もう一セットあるだろう。もってこい」

「あー、そんなこと。どうせ、いうと思ったから、もってきたよ」

「なんだ、準備がいいじゃねえか」

 男はがらっと崩れた口調でそう答えて大男の持ってきたものをトレイごとうけとったが、すぐさま元の調子に戻った。彼の手には、確かに卵があった。

「この皿と卵のセットなのですよ」

 そういうと、彼は皿を机の上に置いた。

 何の変哲もない、ただの黒い皿だ。家においているなら、今日なら団子でものっていそうな、あくまで素朴なもの。

 彼はその皿のはしに卵をぶつけると、手際よくそれを割った。割れた卵から、透明な白身と黄身がとろりと抜け出して、黒い皿の上に流れ出す。

 が、その途端、ただの皿のように見えたそれは、まるで小さな湖のようになる。皿の上の白身がまるで水のようにかすかに揺らめき、黄身のはずのそれはかすかに黄金の光を放っているようだ。

 確かに、そこには水面に映る月が再現されているのだった。

「すごい」

「はは、なかなか風流でしょう?」

 と、彼はにんまりと笑う。

「古来より、湖面の月とは実に風流なものです。これはぜひ、ご自宅でもご覧になられるのが一番良いと思いますが……」

 と彼は言う。

「今日は中秋の名月。当日価格ですから、安くしておきますよ」

 そういわれて、初めてやられたなあとは思った。しかし、その時はもう確かにそれが家でも見たくて仕方がなかったので、結局それを買って帰ることにした。

「あ、お客さん、生卵を食べるなら、早めに食べたほうがいいよ。それおいしいから、捨てちゃうのもったいないし」

 帰り際、不意に大男の店員がそんなことをつけくわえてきた。



 確かに当日価格だったせいか、それほど高いものではなかった。ちょっと余分な出費だったけれど、こんな夜に風流に月見ができて良かったと思う。


 それからでも、ときどき、夜に皿を取り出しては卵を割ってみる。ただ、あの卵ほど、リアルな月には見えないのだけれど。それでも、空で月が見られないときには、十分に代わりになる。

 あの店にはあれ以来たどり着けていないのだけれど、今度立ち寄った時には、あの美味しい不思議な卵も手に入れなくてはなと思うのだ。

 せめて、来年の中秋の名月までにはね。

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