第五話 公爵令嬢として
肉体的にも精神的にも、昨日は思ったよりも疲れてしまっていたらしい。
一度も起きることなくしっかり熟睡した末、目を覚ましたのは翌朝だった。
しっかりと寝間着にベッドで眠っていたところを見るに、両親か使用人が部屋へ運んだうえで着替えさせてくれたのだろう。
前世で両親を亡くしてからこれまで一度も泣けていなかったせいもあったのか、随分と長いこと泣いてしまったように思う。
強くこすってしまったことが原因だろう目元は、見るのも耐え難いほど腫れ上がり、昨日の抜けきらなかった疲れに加え全力で泣いた疲労感か体は随分と重たい。
しかし思っていたよりすっきりしたらしく、気分は晴れ晴れとしていて。
ただ昨晩の出来事は、大きな声で長いこと泣きわめいてしまっていた事から、人数の多くない使用人達全員が状況を理解しているのだろうことはいやでも予想ができた。
そう思うと顔を合わせるのはかなり気恥ずかしいが、今のシルフィアはお風呂に入ってさっぱりしてしまいたいという思いの方が強い。
(……こういうときこそ、公爵令嬢としての私が試されるというものだわ)
小さな覚悟を胸に、シルフィアはいつもよりも少し早い時間にベルの音を屋敷に響かせたのだった。
少ししてノック音の後に入ってきたのは、満面の笑みを浮かべる老女な侍女長フラウ。
(……平常心よ、シルフィア。何を言ってもフラウには言い負かされるもの。昨日のことを自ら話したら、負けだわ)
その明らかに何かを含んだ笑みに負けないよう、こちらも満面の笑みを返しつつ入浴の支度を頼む。
貴族の令嬢たるもの動揺を相手に悟らせてはならない。と、常に冷静に客観的に物事を把握し、事態に誠実であれ。と、母とフラウに常日頃から厳しく教わっている。
基本的に基礎をマスターしているシルフィアは屋敷内で何か言われることはない。
しかし、こういう何かイベントやトラブルがあった後は別だ。
恥ずかしさを感じて、心が乱れやすい今こそ気を抜いてはいけない。
何せフラウは、満面の笑みを浮かべているにも関わらずその瞳の奥を厳しく光らせ、手は決して止めることなくシルフィアの態度を観察し続けているのだから。
「……合格でございますよ、お嬢様。ここ数年でますますご立派になられて。私は嬉しいやら、寂しいやら……」
少しの睨み合いの末、目元を拭う仕草をしながら蛇口を捻って背中を向けたフラウに感謝を伝えながらも、最後に小さな呟きがぽつりと溢れる。
「ふふっ、ありがとうフラウ。私も、もう8歳ですから。公爵令嬢としての自覚を持って行動し、何より公爵家を背負うものとして立派になっていかなくては。……それこそ本当にただの落ちこぼれ、ですもの」
捻った蛇口から溢れ出る水音にかき消され、その溢れた独り言は幸いにも聞かれることはなかった。
さっぱりした気分の後両親と顔を合わせたシルフィアにもの凄く甘いご褒美が待っていて、それのせいで暫くの間スイーツと花々を愛でられなくなったのは少しどころかかなり苦い思い出になったりするのだが、この時のシルフィアがそれを知る由もない。
――それすらいい思い出と笑って語れるようになるのには、まだ暫く時間がかかるだろう。