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短編まとめ

父の決意

作者: 杏里

今年で53歳。

若さに満ち溢れていたあの頃が懐かしく、ついつい思い出に浸ってしまう。

そんな、定年を意識し始めたころ、それは突如として起こった。

大学を出てから今までの約三十年間、ずっと働き続けてきた会社からリストラを言い渡されたのだ。

その理由としては、不景気による人件費削減のため、これまで行ってきた小さな不祥事の積み重ねによるものなど、様々あったのだろう。

何はともあれ退職は退職。

私には妻と三人の娘がおり、一家の大黒柱である私が職を失うというのは大きな損害であった。

無職となった今、私がしなければいけないことはほかの企業への再就職だ。

とりあえず、妻子にはこれまで貯めてきた貯金に加え、スーパーのパートによる収入で少しずつ補いながらリストラのことを隠すことにした。

その間に就職をすればいいという、甘い考えがあったからだ。

だが、やはりそれは長く続かなかった。

結局、53歳にもなる私を雇ってくれる会社など簡単に見つかるものではなかったのだ。

やがて貯金も底をつき、徐々に借金を積み重ねていく日々。

そしてある日、ついにこのことを妻に知られてしまった。

どうして早く教えてくれなかったのか、と嘆き、怒りに声を上げる妻。

三人の娘たちは、その様子を不安気な瞳で見つめていた。

妻の怒号を受け、ただただ謝り続ける私の姿は何とも情けないことだったろう。

それから数日も経たぬうちに、妻は離婚を言渡し、娘たちを置いて家を出て行ってしまった。

蓄積された借金を抱えたまま、一人で悩む。

これから先どうやって娘たちを養いながら生活していけばいいのか。

長女は大学に通い、次女は中学三年、三女は小学四年だ。

妻が私より10歳近く若かったこともあり、まだまだ末っ子は幼い。

下二人はともかく、長女をこれ以上大学に通わせるには学費が足りず、とどのつまり大学を中退してしまうことになった。

私は借金し続けてでも大学に通わせると言ったのだが、昔から心の優しかった長女はが自ら辞退すると言い張ったのだ。

大学を辞めた長女はバイトを掛け持つようになり、私の借金を返すのに貢献してくれた。

そのあまりの優しさに思わず涙がこぼれ、自分の不甲斐なさを嘆くばかり。

しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。

長女が自分のために頑張ってくれているのだ。

なら、それにしっかり答えてあげるの父としての役目ではないのか。

こうして、折れかかっていた心を立ち直らせた。


数日後、最悪の事態が起こる。

いつものように、自分を雇ってくれる会社を見つけるために意気込んで家を出ると、玄関先に二人の黒服の男が立っていたのだ。

全く知らない人間だったが、二人の様子を見てすぐに借金の取り立てだとわかった。

金を払えという彼らに対し、もう少しだけ待ってくれと頼むが、無情にも首を横に振るだけ。

それからはあっという間だった。

これまで生活してきた家は取り払われ、私たちの帰る場所は失われてしまったのだ。

途方に暮れ、立ち直っていた心も再び折れそうになる。

もうどうにでもなれと投げやりな気分に侵されてゆく。

取り払われた家の前で呆然と立ち尽くすだけ。

…………ふと、誰かが私の服の袖を後ろから引っ張った。

俯いたまま、ゆっくりと首を回す。

そこには、小四の幼い三女の姿。

その表情は不安に溢れ、私を頼りにした目でこちらを窺っている。

三女の背後には、長女と次女もいた。

二人も同様に、憂わしげな表情で私を見つめている。

ああ、私は何をしているのだろうか。

30年以上も勤めてきた会社から何の前触れもなく退職を命じられ、そのことを黙って借金を溜め込んでしまったのは誰のせいだ。

妻からは逃げられ、長女を大学に通わせ続けることもできず、あげくに今こうして三人の娘たちを不安にさせているのは誰のせいだ。

全て、私のせいじゃないか。

だったら、その全ての責任を取るのは私の為事ではないのか。

俯いていた顔を上げ、目の前に立つ三人の娘の顔を見返す。

未だその顔は不安に満ちていた。

この子たちを笑顔にさせたいと、守ってあげたいと、そう心から思った。

なのに、その父親である私が立ち止まっていては何も始まらない。

自分の頬を両手で思いっきり叩き、気合を入れ直す。

その様子を不思議そうに見つめる娘たちの頭を一人ずつ優しく撫でながら、自らの不行を謝った。


それからは死ぬ気で働いた。

幸い、娘たちは親切な施設に預けることができ、下の二人は学校に通うことができた。

パートなどの仕事を増やし、かつ空いた時間に色々な企業や会社に訪れる。

寝る間も惜しんで自分に出来ることに全力で取り組んだ。

もちろん、それは辛いことであった。

しかし、これまで自分がしてきたことを思えばそんなことは苦でなかった。

娘たちも私のことを応援してくれて、それが私にとって強い励みになったのだ。


努力の甲斐あって、とある民間企業にどうにか就職が決まった。

定年までもう長くはなく、大きな収入も望めないが、少しでも安定した金を得られることは精神的に安心を与えてくれた。

娘たちも私の再就職を大いに祝ってくれ、かつてない幸福を感じることが出来た。

そして、その会社への初出勤の日。

娘たちを前にし、私は希望に満ち溢れた表情で立っていた。

三女が大きな声で頑張ってと言葉を投げかける。

他の二人も嬉しげな瞳で私を見返していた。

私は三人をそっと抱き寄せ、これから始まる輝かしい未来を通じ合わせた。

もう迷うことはない。

どんな苦難だって乗り越えて見せる。

目の前の娘たちがいてくれる限り。

――心からの笑顔で見送る娘たちを後に、私はその新たなる人生への一歩を踏み出した。


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