第83話 エイブラハム邸3
「逃げなきゃ。ヤバい。気づかなかった、これ魔法よ。使用人たちは寝てたんじゃない、眠らされてたのよ。何が起きてるのか分からないけど、危険よ。早くミラのとこに行かないと」
ニーニャはふらつきながら、何とか閉じてしまいそうな瞼を必死に持ち上げていた。今にも眠ってしまいそう…と言えば、何だか緊張感がないが、何者かの魔法の力が影響しているとなると話は違ってくる。
でも私はもう眠気も覚めて、視界がクリアになっていた。そして、行くべき場所も分かっている。
「ニーニャ、来て」
無理やり手を引き私は人形部屋へと入っていく。訳の分からないニーニャは戸惑っているが、眠気のせいか大人しく従っている。
私は椅子に座る人形の前に立つと、その人形をどかした。そこから出てきたのは、小さな出入り口のようだった。
「隠し部屋…?」
「中に入ってみよう」
入ればそこは小狭い空間に繋がっていた。グラトナレドで見かけたあの魔除け薬が、煎じた状態になっていたり煮詰めてあったり、それがサンプリングされて棚にいくつも保管してあった。
「ここが研究室…」
「見て、ニーニャ。実験結果をまとめたデータもある」
データには、色々な実験が行われていてその結果が細かく記されていた。これでエイブラハムの悪事を暴ける。
「…よかった」
「え?」
私が興奮してその内容を読んでいたら、ニーニャがポツリと呟いた。眠気のせいで気が緩んでいるのか、今まで見たことのない顔だった。
「あんたがウソ、ついてなくて」
ニーニャがやっと笑ってくれた。私は何だか嬉しくなってつられて笑ってしまった。しかしそんなほのぼのした雰囲気に似つかわしくない大きな音が外からドーンと響いてきた。
「今度は何?」
外に出てみると大惨事だった。いつかの魔王城のように外は半壊して庭は哀れな状態へと変貌していた。何者かの攻撃を受けているようだ。
「ミラ!」
その中心にいたのはミラだった。攻撃を受ける側ではない。攻撃を仕掛けている側だった。
「どうしたの!?」
慌てたニーニャがナンシーに近寄ると、彼女は力なく首を振った。
「魔族、いた」
「魔族が?」
「それって…」
私はミラが攻撃を仕掛けている方を見てみると、そこには獅子の身体をしたイザークが見つけられた。
「イザーク!」
「それ、あんたのツレの魔族?」
「ミラ、我を失ってる」
イザークが何故ここに?いや、それより何で戦ってるのあの二人。とにかく目立ちすぎるなんてもんじゃない。私たちが気絶させていた警備の人族も、気がついて逃げ出していた。
「魔族ううぅっ!」
ミラは今までにないくらい錯乱していた。
「ミラは魔族が本当に嫌いなのよ。止めなきゃ」
「魔族が嫌い?」
意外だ。確かに所々怖いと思ったミラだけど、根は優しく良い子なのだ。グラトナレドで出会ったキャシーはあまり実感がないと言っていたのに、ミラはこんな毛嫌いして攻撃するくらい嫌いだなんて。
「あの娘に先を越されてしまった」
「混ざって戦ったりしないのか?」
「私は他に邪魔されず、一対一でと考えているんでね」
そしてなぜかヒューバートとカルヴィンは二人のことを観戦していた。いやいやカルヴィン、あんた何をのんびりしてるんだ。今あんたが話してるのは戦闘狂いのバーサーカーだ。
とにかく他に止める人もいないのかと思うが、確かに激しい二人のバトルに割って入ることは難しい。近づくこともままならないでいると、イザークがこちらに気がついた。
「マーガレット!」
彼は戦いの最中であるはずなのに人型に戻り、駆け寄ってきた。戸惑う隙もなく彼は両手を広げると、なんと私を抱き締めた。
「えぇっ!?」
「よかった…無事か…」
声音から私のことを心底心配してくれていたのは分かる。イケメンに抱き締められるなんてドキドキ。でも今ってそんな場合じゃないと思うんですけど!
ミラは容赦なくこちらを攻撃してくる。私を庇いながらイザークはそれを避けていく。
「強いな。あの獣人」
「そんな冷静な…!とにかく逃げよう、イザーク。エイブラハムの実験データは手に入れられたの!」
私が必死に訴えるが、イザークは私をニーニャたちに預けるとまたミラに向き直った。
「逃げても良いが、あの獣人パニックを起こしてるからな」
イザークは再びミラと向き合う。ミラはまた突進してきた。それをかわしたイザークは振り返ってきたタイミングで鳩尾に拳を入れた。
「マーガレットの無事が確認できたから、もういい」
「ミラ!」
ニーニャが悲鳴をあげる。崩れ落ちるミラを背面から押さえつけると、イザークは頭を鷲掴みにした。
「その力、何かと思ったが…」
「あ!」
ミラは押さえつけられなが必死に抵抗した。「いやだ!」と苦しそうに叫ぶミラを見て不安になる。
「イザーク?」
「珍しいな、俺も初めて見た」
何を言ってるのか理解する前に、ポンと軽くはぜるような音とともにミラは煙に包まれた。そして、そこに現れたのは小柄なカバだった。
あれ?獣人って変身したんだっけ?さっきの猫はニーニャじゃなかったし。冒涜的生命っていうのは身体が変化する魔族のことを指すって話だったと…
「何すんのよ!」
ニーニャが駆け寄っていき、イザークを引き剥がした。カバに変わってしまったミラは震え、怯えている。何か言ってるようで、耳をそばだててみると「見ないで」という言葉が聞こえた。
「え?あれ?ミラは魔族だった…?」
「違うわよ!魔族なんかじゃないから!」
ニーニャは隠すようにミラに覆いかぶさった。どういうことか訳がわからないが、もう攻撃はしてこないようだと私は一息つく。しかし、それで終わりではなかった。
「終わったかな?次は私の番で良いだろうか?」
戦闘狂ヒューバートのことを忘れていた。彼は「次は自分の番」とでも言うように声をかけてきたようだ。
「獅子の身体に皮膜の翼、蠍の毒尾を持つ魔族…伝聞で聞いた通りだ。魔族出没の目撃情報を聞いて、もしやと思っていたんだが。お前、ラースラッドの悪魔だな」
イザークはチラリと私の様子をうかがってから、ヒューバートに冷たく答える。
「周りが騒がしい。じきに冒険者が来るぞ」
「なぁ、そうなんだろう。伝説の魔族と合間見えられるとは、感激だ。その魔族を私の手で倒せるとなれば尚更」
以前ハイノが言っていた、ラースラッドの悪魔…一体、どういうことなんだろう。あの時も、それについて詳しくは聞けなかった。しかし今、その説明を求められるような状況でないことは分かる。
「そんな時間は無いと思うがな」
「…そうか」
屋敷の正面入口の方から「動くな!」と鋭い怒声が上がった。外から重装備に身を包んだ冒険者たちが駆け込んでくるところだった。
モタモタしてる間に対魔族用で招集された冒険者たちが騒ぎに気づき来てしまったようだ。どうしたらいいの?私が慌てているのと対照的に、イザークもヒューバートも落ち着いている。
「邪魔だな…先にあちらを片付けるか」
ヒューバート、あなた人族の王国騎士団の少佐なのよね?その発言じゃ、やっぱりただの戦闘狂としか思えないんですけど。




