第72話 揺るがない心
「何で謝る…?」
スコットの番が回ってきたが、彼はこちらを見たままだった。
「何を謝っている?それはどういう意味だ?何に対してなんだ?」
スコットの怒りを肌でビリビリ感じる。咄嗟に出た謝罪に、私は理由を説明することができず固まってしまった。
「マーガレット、お前今何を考えているんだ?何を思って行動している?どういうつもりで今ここにいるんだ?」
何を考え?どういうつもりで?
私はカラカラな喉で声も出せない状態でひたすら考えた。私は、イーラが来いって言うから仕方なく…
「スコット選手、順番が」
鳩兵隊の1人が促すと、スコットは無言で構え、遠くに置かれたリンゴを狙う。そして、怒りを纏った力強い『火炎矢』を射た。
スコットの矢はリンゴをのど真ん中を射ぬき、そのまま消し炭へと変えてしまった。
「マーガレット」
私はもう本当に喋ることもできなかった。ただただ自分の発言の失敗が悔やまれたが、どんなに後悔しようともスコットの怒りが収まることはないだろう。
「あんた、トルペの時の方がよっぽど強かったよ」
その一言に混乱は増す。あの時の方が強かった?なぜ?別に何か変わった訳ではない。むしろ道中もイザークに合間を見ては特訓してもらってたくらいなのに。それなのに、どういうことなの?
私は激しく動揺しながら構えた。自分の番が回ってきたというのにそれどころではない。カルヴィンの騒ぐ声が聞こえる気がする。でも今、私の耳は音を拾う機能がマヒしているようだった。
スコットが怒っている。何に対してか分からない。私がやらかしたことだけは分かった。取り返したいけれど、どうしたら良いのか。人から嫌われるのは、冷たい目を向けられるのは・・・
怖い。
『氷結矢』を放つ。私の魔法はリンゴの横手を大幅に逸れて行った。「失敗」の言葉と獣人の歓声が沸き上がる。私がハッと気が付いた時には、私の順番はここで終わりとなっていた。勝負の途中だったと言うのに、私・・・
「魔法は集中力が大事なのだ!他所事に囚われるとは愚の骨頂なのだ!」
カルヴィンが私を責める。私は体中から血の気が引いたようだった。ふらりとみんなの所に戻ると、イーラが「がっかりだな」と一言呟いた。
私は、もう本当に言葉も出せずその場に突っ立っていることしかできなかった。唯一イザークが気遣わし気にこちらを見ているのも居たたまれないので止めてほしかった。
私は、私は、一体、何をしているんだろう・・・?
「スコット、やるじゃない!相手の動揺を誘うだなんて」
ドロシーが嬉しそうにスコットへと声を掛ける。しかしスコットは不機嫌そうな顔でそっぽを向いてしまった。また不満そうにするが、順番を促されドロシーは弓を構えた。
こうして、スコット、ドロシー、ルークスリアの順番でまた勝負は続いていた。
「本当、エルフって勝手よね。こんなことして私たちの食い扶持潰そうとしてくるなんて」
途中で、急にドロシーがルークスリアへと絡みだした。距離は大分離れてきた。そろそろ狙うのも厳しくなってきたのだろう。しかしドロシーの挑発にルークスリアは全く反応しなかった。焦れたドロシーはさらに言葉を重ねる。
「ちょっと、聞いてるの?自分勝手で卑怯者のエルフは、これだから・・・」
「そなたは知らないのだ。あの甕がどんな影響を及ぼしているのか」
やっと反応が返ってきたが、ルークスリアの言葉にドロシーは眉をしかめる。
「何を言って・・・」
「あの甕の水で育った魔除け薬は、魔法生物の凶暴化に影響しているのだ。どんなに言ってこようとも、わらわはあの甕を破壊してみせる」
獣人たちがざわついた。ドロシーが「出任せを!」と憤慨するのをルークスリアは冷たい目で見ていた。
「あの甕は、私たちの生活を豊かにしてくれたのよ!そんな出鱈目言ったって騙されないんだから」
「実際に人族から言質も取れている。出鱈目などではない」
「姫巫女様が仰ったのよ!私たちの貧困な生活を脱却するための活路になるって!」
しかし不安になったらしいドロシーはグラへと助けを求める。
「獣王様!」
「ウソですよ。信じなくて大丈夫です」
先ほどは影響云々言ってたくせに、グラは動揺することもなくサラッと嘘を吐く。まんまと安心するドロシーに対してルークスリアが「愚か者」と低い声を発した。
「自分で考えよ、獣人。魔法生物の凶暴化がいつから始まったのか、どこで発生しているのか。自ら考えることを放棄するから何も見えぬのだ」
ルークスリアの動揺を誘うつもりであっただろうドロシーは逆に動揺し、次に放った矢はリンゴから外れてしまい失格となった。残りはスコットとルークスリアの2人である。
「エルフさんよ、ちょっと提案がある」
そこでスコットが口を開いた。
「もう長いこと射てるが勝負がつかない。ここは、一気に距離を離して最後の勝負といかないか?」
スコットの提案に、ルークスリアも承諾する。多分、お互いに疲れが出てきているのだろう。次の一手で最後の勝負とするつもりなのだ。
2人は5歩ほど後退すると、的は本当に遠かった。今までも散々離れてきていたのに更に離れたとあって、リンゴは目視するのも難しいくらい小さく見えた。今まで順番であったが、互いに隣に並んだ。リンゴも2つ並べられており、ここからは順番関係なく撃つことになった。
「あんた、すごい集中力だな」
スコットがルークスリアにそう声をかけると、表情も変えずルークスリアは言う。
「当たり前だ。わらわはエルフの長であり、一族をまとめる役割を任されている。獣人がどれだけ食い扶持が、飢えが貧困がと嘆こうとも、それにただ同情するなどはできぬ。現状を考え、どうすべきなのかを考え、やると決めたことは必ずやりとげる」
弓を構え、的を狙った。辺りはもう彼女の動揺を誘おうとヤジったりしない。ルークスリアは静かに狙いを定めていてが、力強く射た。ルークスリアの放った矢は勢いよく的へと向かっていき、そのど真ん中を貫いていった。
誰もが彼女の気迫に圧倒され、黙っていた。しかし、その矢が的を射抜いた瞬間、獣人は素直に歓声をあげていた。グラも、苦笑いを浮かべながら賞賛の拍手を送っている。もう魔素の扱いも難しくなってきたスコットの放った『火炎矢』はリンゴに当たる前に失速し、届かぬまま終わってしまった。
勝敗は決した。ルークスリアが見事勝利したのだった。
***
優勝したルークスリアの目の前に暴食の甕が運ばれてくる。誰もが言葉を発せずその様子を窺っていた。
「残念です。お若く見えたので、獣人が飢えに苦しむことを聞けば動揺くらいしてくれるかと思いましたが。さすがエルフを束ねるものと言ったところでしょうか」
グラは観念したらしく、ルークスリアに甕を渡す。
「もちろん哀れに思うが同情はせぬ。しかし、今後のエルフと獣人族の関係は考え直さねばならぬと感じた」
「ほう。それはそれは」
「同じく森を住まいとする者同士、いがみ合うのではない違う関係を築いていくべきだと思う。里の老も連れてくる。今度話し合う機会を作ってはくれぬか」
「分かりました。一度機会を設けましょう」
ルークスリアはその甕を受け取った。その甕は豚の蹄が描かれた花瓶サイズの、思ったよりも小さなものだった。しばらく誰も何も言えなかったが、あの時のタヌキの少年がポツリと呟いた。
「また食べ物なくなっちゃうの?」
それは思ったよりも大きくこの場に響いた。




