第63話 忘れてしまう恐怖
ルークスリアへの連絡も終わり、私はイーラへと向き直る。
「と言うか、ルークスリアはエルフの長であり言わば女王なんだから、正式に獣王を訪問してもらってそれに一緒に着いていけば早いんじゃないの?」
「まぁ、それができたら一番手っ取り早いんだがな」
私の閃きを、そんなことはすでに考えていたと言わんばかりの態度でイーラは肩を竦める。
「獣人は魔族も嫌いだが、エルフも嫌いなんだよ。聞いただろ?豊かな森の恵みは全てエルフが独占してしまって自分たちは貧困に喘いでいたって考えてるんだ。とりあえず、この世界では各種族間の仲は良いとこなんてないもんだと思った方がいいぞ」
「魔族以外にも確執は山ほどあるってことなのね・・・」
うーん、複雑だな。と言うか、そんな状態なのにグラトナレドにルークスリアを呼んでしまって良かったんだろうか?私は何だか嫌な失敗をしてしまった気がしてイザークを振り返るが、彼は相変わらず読めない表情で佇んでいるだけだった。
とりあえず日も落ちてきたので私たちは各自、宿の寝室にて就寝することとなった。私はイーラを即座に追い払い、ベッドへと倒れ込む。
これが終われば今度こそ帰れる。今度こそ、私たちの世界に戻ることができるんだ。
お父さんとお母さん。友達、先生、学校。帰りによく立ち寄ったタイ焼き屋、舗装された道路、立ち並ぶビル、ネオン、色々なものがこちらとはまるで違う。私とナイトの、本当にいるべき世界。
でも何だか最近、その記憶が薄れている気がして怖い。私はベッドの上でジタバタともがいてみる。あまりにもこちらでの日々が濃密すぎるせいで、日本での生活がどんどん記憶の中から遠のいていくようだった。それがとても怖い。
もちろん、こちらの世界が嫌いなわけではない。色んな人と仲良くなれたし、学ぶことも多かった。でも、そうやって愛着が湧いてしまうのは同時に離れる時に苦しくなってしまいそうで戸惑われた。だって、結局私はここを離れてしまうから。
「はぁ・・・」
嬉しいけれど、複雑。ここを離れたら、きっと、二度とこの世界に来ることはできないだろう。その時、私はどう思うんだろうか?
「ダメだ・・・散歩にでも行こう」
私は考え過ぎてしまうのでベッドから飛び降りた。外は少し暗くなってきているが、ちょっとだけ歩いてくるくらいは許されるだろう。
宿の外に出て少し歩くが、グラトナレドは夜行性の獣人たちで夜でも賑わっていた。元気よく駆けまわるタヌキらしき姿の獣人の子どもや、ギョロギョロとした目で通りを眺めるフクロウの獣人もいる。
「わ!」
「ごめん、ねえちゃん!」
芋を抱えたタヌキの子とぶつかりかけた。その子はひらりと躱すとそのまま走っていく。それを追いかけるもう一匹のタヌキが「待ってよ、兄ちゃん!」とその背中に叫ぶ。
「ずるいよ、俺にも!」
「やらねぇよー」
どうやら兄が芋を独り占めしているようだ。弟をからかうように振り返り、ベッと舌を出す。しかし、そうやって余裕を見せていたせいで、先回りしていた母親に拳骨を喰らうことになっていた。
「こら!兄ちゃんが何してんだい、意地汚い」
「いってぇ!」
「前みたいに食いっぱぐれるこたないんだから。分け合って食べな」
母が叱りつけると、兄のタヌキは不満そうに唇を尖らせ、抱えていた芋を1つ弟に寄越した。弟は嬉しそうにそれを手に取るとすぐに食べ始める。
「あーあー。そんなにがっつかなくても・・・」
「でも母ちゃん。またいつ食いもんが無くなるか分かんないじゃん。食べられる時に食べておかないと」
「心配すんな。姫巫女さまが仰った通りにしたら、見る見る内に食べるもんに困らなくなっただろう。あの方を信じて着いていけば、あたしらがまたひもじい思いをすることなんてきっとないさ」
口いっぱいに頬張っていた弟が嬉しそうに笑った。
「おれ、ひめみこさま大好き!」
随分と慕われているようである。その姫巫女さまが、あの獣キャバの中にいたのか。私はゾンネンブルーメでの日々を思い出してみたのだが、そんな神聖な存在がいたなんて気づきもしなかった。みんなどの子も気さくで明るく親しみやすい子ばかりだった。でも勿論、そんな性格だからこそあんな小さな子にも好かれているのだろうけれど。
「どこへ行くんだ」
「きゃ!」
突然背後から声を掛けられて驚き振り返れば、イザークがいつの間にか立っていた。私はドキドキと心拍数の上がった胸を抑えながらイザークを睨みつける。
「急に脅かさないでよ!イザークこそ、どうして外に?」
「マーガレットが出ていくのに気付いたからな」
どうやら追って来てくれたらしい。私がポカンとしながら彼を眺めると、「夜遅くに1人で出歩くのは危険だ」と注意されてしまった。
「でも、とっても和やかで気さくで、良い獣人ばかりじゃない。大袈裟よ」
「それでもだ。マーガレットが考えているより、この世界は複雑だ」
「・・・それじゃまるで、私や私の世界は単純って言われてるみたいだわ」
何だかイザークの言い方にカチンと来てしまって思わず声が低くなる。しかし感情の機微に疎いイザークは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「マーガレットやナイトの世界のことは知らないからどうなのかは分からない。それに、俺はマーガレットが単純だと思ったことはない」
そうよね、悪気があって言った訳じゃないものね。それでも、こんな風に返されてしまうと苛立っていることが馬鹿らしくなってしまう。
「そうよね、イザークは例え私の世界のこと知ってたって悪く言ったりする人じゃないわよね」
「・・・良かったら、聞かせてくれ」
「え?」
「マーガレットのいた世界について。どんな所だったのか、どうやって過ごしてきたのか」
どうやら寝付けない私のことを察してくれたのか、イザークは私を夜の散歩に誘ってくれた。嬉しかったけれどちょっと気恥ずかしくて「眠くないの?」と問えば、イザークはあまり眠るのは好きじゃないとこちらを気遣ったのか答えてくれた。
「それじゃ、何から話そう。まず、お父さんとお母さんね・・・」
私はグラトナレドを何処と言う訳もなく歩きながら話し続けた。私の記憶の中にある、消したくない存在、出来事、一つ一つをしっかり噛みしめるように。話し始めてみれば、そんな記憶達は決して消えることなく私の中にあることが再確認できた。
それで少しはホッとする。そして、やはりまたその世界に帰りたいという気持ちも再度確認することができて、私は気持ちを新たにする。
「イザーク、私絶対に家に帰るよ」
「ああ」
私の言葉を静かに受け入れイザークは口を挟むことなく話を聞いてくれた。私はその晩、気が済むまで私の世界いついての記憶を辿っていった。




