第57話 暴食の甕
イーラは苛立ちを隠そうともしなかった。
「これだからドワーフ族は。無関心や事なかれ主義も、俺は十分に罪深いと考えているぞ」
「好きに言うが良い。わしらのように力無き種族はこうでもしないと生き残れないのじゃ」
アケーディアは少しだけバツが悪そうに視線を外した。イーラはしばらくアケーディアに冷たい視線を送っていたが、ふっと息を吐き出すと首を振った。
「ま、とにかく今は良い。それよりも暴食の甕だ。あれがまさか最近の魔物凶暴化に繋がっているなんてな、思いもしなかったぞ」
先ほどまでの空気を変えるようにイーラは明るく話し始めた。
「さて、それで。カルヴィンとやらも魔女の秘め事を知りたいんだな。イザーク、お前が教えたのか?」
「・・・勝手に、申し訳ない」
「別に責めちゃいないさ。お前に教えたのは俺だ。それにさっきも言っただろう、俺は別に隠すつもりはないって」
謝罪を口にするイザークにあっけらかんとイーラは答えていたが、アケーディアはそれを信じられないという目で見ていた。魔女の秘め事は魔女と7種の王のみの秘密らしく、側近の者でさえそれは知らされていないと言う。だからこそ、こんな風にぞんざいに色んな者に知られているという状況がアケーディアとしてはまさにあり得ないのだろう。
「さて、イザークから『魔女の秘め事』についてどこまで聞いているかな?これははるか昔、7種の王に7種の強大な力が配られたことが発端だったんだ。これはどれも、使い方を誤れば様々なものを死に至らしめる罪深い力が秘められているそうだ」
「死に至る・・・?」
「どの種族にどんな力が渡されたかは、正直全てを把握している訳ではない。みんなあまり自分の手の内を晒したがらなかったからな。ただ、竜人族が『傲慢の書』を持っているっていうのは、確かな話だ」
「なぜ、それが確かなのだ?」
カルヴィンが説明するイーラに疑問を投げかけると、イーラはニヤッと笑った。
「竜人族は元々魔族だった。今代の竜王は部下に魔族を贔屓にする者がいたらしいからな、魔族を多少気にかけていた。それで、俺が自身の秘め事を破壊した時にこちらを心配して訪ねてきたからな。その時に、まぁ、教えてもらったんだよ」
カルヴィンは目を見開き絶句していた。魔族を贔屓にする部下っていうのは、どう考えてもこのカルヴィンのことだろう。それにしても、最後は曖昧に誤魔化しているが教えてもらったって、一体どんな方法を使ったやら。何にせよ、あのニヤニヤ笑いを見る限り、あまり良い予感はしないけれど。
「あれ以来、竜王とは没交渉ではあるがな。それはまぁ、今は置いておこうじゃないか。それよりも、アケーディアよ。俺は獣人族の持つ『暴食の甕』について、それが何なのかを知りたいんだが?」
「そうだ。それが今世間で広まってる魔物の暴走に関わってるってさっき、言ってたもんな」
ショックを受けているカルヴィンを他所にイーラとナイトはアケーディアへと視線を移した。やはり自分の口から王以外に話をするのは抵抗があるらしいが、アケーディアは渋々と口を開いた。
「獣人族が持つのは『暴食の甕』じゃ。正直、あの種族もあまり口の固い種族ではなかった。と言うよりも、獣王があまり事の重要性を認識していないんじゃ。あそこも種族の中では魔女の秘め事のことを知っている者がちらほらいるようじゃった。誰も、あまりそれを気にしていなかった。元々身体能力が高く、己の肉体に絶対的自信を持っていたからこそ、獣人族としては魔女の秘め事も『そんなものが存在している』、という程度の認識じゃった」
なるほど。確かに獣キャバのナンシーもすごい脚力を持っていたし、鳩兵隊も身体能力にはかなりの自信があるようだった。こうして、肉体的な力というものに自信があったがために、魔女の秘め事はあまり重要視されなかったのだろう。
「しかし、ある時をきっかけに少し変わったようじゃった。貿易に来た獣人族の1人が世間話程度にわしに教えていったわ。『魔女の秘め事の良い活用方法を教わった。これで獣人族も食うに困らず冬を越せる』とな。嫌な予感がしたんで少々調べてみたんじゃが、案の定じゃった。奴らはそれがどんな結果を招いているか自分たちで気づきもせず、魔除け薬と称して『暴食の甕』の水で栽培した薬草を作っておったんじゃ」
「それで、実際それはどんなものなんだ?」
「その魔除け薬を魔法道具で調べてみた。どうやら『暴食の甕』は『飢餓状態に陥る水を生む』甕のようじゃった。つまり、この水を飲むと酷い飢餓状態に陥るんじゃ」
飢餓・・・お腹が減るってこと?何だか死に至る力っていう割に、微妙な気がするんだが。
しかしそんな私の気持ちを表情から読み取ったらしいアケーディアは、予想通りと言うように続きへと移った。
「侮るなよ、人族娘よ。お前は飢えたことがないんじゃろうな。それがどんなものかを知らんのだろう。現にこれが魔物の凶暴化に繋がっているのじゃから」
「魔除け薬は主に煙を焚いて使用されていたが、どう影響を?」
イザークがタイミングよく質問を挟めば、待っていたと言わんばかりにアケーディアは頷いた。
「つまりじゃな、飢餓状態に陥る成分の入った煙が焚かれることで、確かに獣はその臭いを嫌い場所を移動した。しかし、結局煙を吸い込んでしまっており飢餓状態へと陥り、別の場所で凶暴化して腹を満たそうと村落を襲っていたんじゃ。同じように村落では襲われるため魔除け薬を焚く。そうすれば魔物はまた移動して他の村落で暴れると。この繰り返しと言うことじゃ」
何という負の悪循環。結局、自分たちを守るために行っていた行為で状況を悪化させていたということなのか。突然、持っている小瓶に入った魔除け薬が不気味なものに思えてしまって思わずイザークに預けてしまった。なんだか持っていることすら怖い。
「それを知っていながら、今まで黙っていたのか?」
「何度も言わせるな、イーラよ。わしらドワーフはもの作りくらいしか能のない弱き種族じゃ。スロテナントは丁度、大きな山脈が間に聳えているおかげで煙もなかなか影響してこない。平和に暮らせるのであればわしらは薬にも毒にもならず、静かに暮らしておるよ」
やはり不満げなイーラであったが、それでもここまで情報を聞くことができたので良しとしたのだろう。パンっと手を打つと満足げにアケーディアへと交渉を始めた。
「それでは、アケーディアよ。その獣人族の暴走、我々が止めようではないか。しかし、獣人族の魔女の秘め事の暴走を止めた暁には、ドワーフの魔女の秘め事も放棄してもらうぞ」
「何故そんなことをしなくてはならんのじゃ・・・!」
「そう言えば、ドワーフ族の魔女の秘め事って何なんですか?」
そう言えば、一体何なんだろうか。つい疑問を投げかければ、アケーディアはもうヤケッパチな表情で教えてくれた。
「わしらドワーフ族の持つ魔女の秘め事は『怠惰の笛』じゃよ」
そうしてアケーディアが懐から取り出したのは驢馬の描かれた小ぶりの古い笛であった。
「この笛は、里を雲隠れさせられる霞を出す笛なんじゃ。この笛を吹けば霞によって旅人は永遠にこの里に辿り着くことは無い」
それのせいで私たちはスロテナントまでたどり着けなかったのか。
私はその古ぼけた笛を不思議な気持ちで眺めた。確かに、そんな能力であればアケーディアが一番無害な力と言う気持ちも少し分かる気がした。




