第51話 ヘケトの小瓶
心の傷?
外傷的な話ではなかったのか。確認するようにナイトを見ると、口をパクパクと動かしていた。えっと、なに?
「お・も・っ・て・た・の・と・ち・が・う・・・?」
違ったんかい!
黒竜カルヴィンは、こちらの焦りなど知る由もなく語りだした。
「それがし、義理堅く紳士に、平和と平等を愛し生きてきた竜人族の中でもかなりの平和主義者と恐れながらも自負している。しかしながら、そんなそれがしの心を踏みにじり、故郷追放へと追い込む出来事が起こったのだ」
やや演技がかった口調でカルヴィンは潤む瞳から涙を拭い、熱く拳を握りしめて訴えてくる。私はと言えば、聞こえてくる話の中に解決の糸口でもないかと必死に耳を傾けていた。
「故郷を追放されてしまったの?」
「さよう。ドロデンドロン大陸がプライディア、そこがそれがしら竜人族の国であり、ただ一つの居場所とも言える場所なのだ。それがしらは冒涜的生命と揶揄されることを良しとせず、それがしら自身に備わる誇りを持って現状に抗う努力を見せてきた。そのおかげで独立宣言後、他種族からの侵略を受けることなく国を存続させることができているのだ」
どうやら竜人族は努力によって現状自分たちの居場所を確保してきたと認識しているようである。他種族がどう思っているかは抜きとして。しかしながら、朗々と竜人族について語っていたカルヴィンであったが、何を思い出したのか突然がっくりと落ち込みを見せた。
「だがしかし、それがしは自身の良心を他にも反映させ、世の中の生きとし生ける者には良心が必ずやあるものと思い込んでいた。これが全ての間違いであったのだ」
「良心?」
「いかにも。それがしは竜人族がみな魔族を嫌う中、理解を深めれば、親交を深めれば、必ずや分かりあいお互い思いやる心を持てると誤解していたのだ」
悔し気に拳を握り、歯を食いしばるカルヴィンは見た目が竜であるためそれだけで恐ろしい。しかし、話を聞く限り良い竜人のようであるのに、一体何があってこんなに憎しみを滾らせることとなったのか。
「それがしには魔族の友人がいる。否、以前はいた、のだ。それがしは竜人族のみなに常に言っていた。彼は悪い奴ではない。冒涜的生命などとそれがしらが彼らを否定するのは、それがしらが昔味わった屈辱を自ら行う恥ずべき行為であると愚かにも説いていたのだ」
「別に間違ったことを言ってるようには聞こえないけど・・・」
「否、間違っていたのだ!それがしの言葉を聞き、スペルディア様はその魔族のプライディアへの滞在の許可を出された。彼は喜び詩吟の一つも謳ってくれたものだ。しかしながら、それは全てそれがしらを欺くための仮の姿に過ぎなかったのだ」
・・・詩吟?仮の姿?
「奴は、アイベックス海賊団が船長、ライナルトであったのだ!それがしの情けを踏みにじり、奴はプライディアで盗みを働き、逃げていった。全てはそれがしが奴を信用したことが原因であったのだ!」
思わぬ名前が出てきて唖然としてしまった。昔は吟遊詩人をしていたと聞いていたが、竜人族にも海賊行為を働いていたとは、あいつ意外と心臓に毛が生えているのではないだろうか。
「奴を手引きしていたとして、それがしも一族から追放を喰らった。これは致し方のない結果なのだ。しかしながら、このように友と思っていた者に裏切られ、居場所を奪われたことはそれがしにとって深い傷となり今もなお心に突き刺さって全ての気力を奪っていく」
スポットライトでも浴びているかのようなオーバーアクションと演説で、カルヴィンは自身に酔いながらもその心の苦しみを吐露していった。
「さぁ、人族よ。それがしのこの苦しみ、いかようにして取り除こうと言うのだ。言ったからには責任を持ってこの傷、癒してもらおうぞ」
ずいとこちらに顔を向け、カルヴィンは宣った。どうしたものか。ヘケトの小瓶は果たして心の傷にも効いてくれるんだろうか。どう考えてもムリな気がする。しかしイザークが動こうとしていたので、少しでも時間を稼ごうと私は小瓶に手をかけた。
「それじゃ、ヘケトの小瓶を使うわよ。あなたの傷、きっと癒してみせるから・・・!」
イザークを止める意味も込めて大きく声を張り、ポンと小瓶の蓋を開ける。小瓶の中身は空っぽで、蓋を開けても特に何も起こることがなかった。
しかしそう思ったのは、初めの数秒だけだった。ゾワゾワっと生理的嫌悪感が身体中を駆け巡っていくのを感じた。それは、聞いたことのある音だった。
「何の音だ・・・?」
「これ、聞いたことある・・・」
低く不気味な音は、小瓶から流れているようだった。徐々に輪唱のように音は大きくなり、坑道の中で反響するように響き渡っていった。
「そうか、分かった!学校の近くでよく聞く、これ、ウシガエルの鳴き声と一緒だ!」
ナイトの声が先か、地響きのような音が先か。カエルの輪唱に合わせて、何かがこちらに近づく音がドドドド・・・と響いてきていた。
「何だ?何が起きているのだ?」
カルヴィンも警戒して入口に視線を送った、次の瞬間。数多のカエルが中に飛び込んできた。
「ッキャーーーー!」
この世界に転移してきた時よりも恐ろしく、初めて竜と対峙した今よりも絶望的な気持ちになった。生理的嫌悪感で全身が総毛立ち、今までに感じたことの無い恐怖感に支配された気分である。
数多のカエルは雪崩れ込んできて、竜を目にすると口々に叫んだ。
「ちょっと、竜とか生で見るの初めてなんですけど!」
「ちょーヤバい。リアルドラゴンとかウケる」
「や、てかムリくない?これ逃げないと」
「つかムチャブリすぎっしょ。じいちゃんまじ鬼畜だし」
ヴォジャノーイは見た目カエルであったが、人に近い姿をしていた。だからいたって平気だった。カエルって認識よりカエルの姿に似ている魔族っていう認識だった。
だがこれは完璧にカエルである。そして大群である。ヌメヌメとして、柔らかく、拳程度にちょっと大きい。アマガエルとか、そういう可愛げのあるカエルなら平気だが、これはムリだった。
「ちょっと、誰?小瓶使ったの」
「あの人族っぽい」
「あっちの魔族はどっち?」
「もう面倒だし竜以外で良いんじゃないの?」
「いいから、撤収撤収。竜人族とかヤバ過ぎだから」
カエルたちは私たちに近づくと、足元を掬い嫌がる私たちを連れて無理やり外へと飛び出していく。私はと言えば、あまりの事態に頭が着いていかず、叫び声をあげるのも限界を感じて、仕方なしに意識を手放すこととなった。
「てかこの女、かなりうるさいんですけど」
最後に聞こえたのは、そんな言葉だったと思う。




