第03話 異世界トリップ2
私たちは日中に移動、夜には落ち着ける場所を確保して交互に睡眠という行動を繰り返した。やはり魔物かどうかは分からないが野生動物が襲ってきたって困るし、身の安全を第一に行動していかなければ命が危ない。
そうして他の平地に比べて少し小高い丘を登り、周囲を見回してみると、本当に日本では考えられない広大な森が広がっていた。日本では周りをビルや建物で囲まれていたので、見渡す限りに自然が広がっているのは圧巻である。
「マーガレット、見るが良い」
「何か見えるね」
そうして、本当に遠くだが小さく町らしきものが見つけられた。
私は方角を間違わないように入念にチェックを入れる。どうやら時計の短針を太陽の向きに合わせ、その短針と長針の半分の角度が南に当たるらしいと、拓郎が珍しく役に立つ知識を披露してくれた。これからまた平地に下って進むのだ。俯瞰的に見ることができない今後は方角だけが頼りである。拓郎が腕時計を付けていて、本当に良かった。
「全てこうなることは分かっていた」
「体力消耗するから、拓郎、黙って」
風呂に入れず髪がべたつくのも、マントが日に日に汚れていくのも、どちらも我慢できた。
しかし、数日間、私の鞄に入っていたおやつの大袋チョコだけで飢えを凌いでいたのは、お腹が極限まで減り、流石にしんどい。一日2粒と決め、朝夕のみ口に入れる生活は、豊富な食料に溢れた現代日本で暮らしていた私たちにとっては一番の苦痛だった。水筒のお茶も温くなるし、保存状態が良くないから味も悪くなっている。そろそろ口にしてたらお腹を壊してしまうかもしれない。
「拓郎、時計見せて。方角の確認をしよう」
「ああ」
しばらく歩いて、一度向きを確認した方が良いだろうと拓郎に声をかける。方角確認が自分の大役だと、拓郎は少し嬉しそうに時計を覗き込み、表情が凍り付いた。
「なに、どうしたの?」
「舞・・・」
マーガレットなんて呼ぶ余裕すらない拓郎に、私も嫌な予感がして心臓がドクドクと早鐘を打った。拓郎が小さな声で「時計、動いてない」と呟いたときには、心臓が止まるかというほどの衝撃を受けた。
思わず彼の腕に飛びつき見れば、先ほど確認した時刻と同じ場所で短針も長針もピタリと止まっている。
「嘘でしょ・・・壊れてたの?」
拓郎ががっくりと項垂れている横で、何かおかしい気がして自分のスマホを取り出してみた。本当の時刻を見てみようと確認してみるが、それは拓郎の腕時計と同じ時刻を示し、動くことがなかった。
「どういうこと・・・?」
キャパシティオーバーである。分からないことがこう何度も起こると、ちょっとしたアクシデントもずしりと体に負担としてのしかかってくる。方角が正確に分からないことは不安要素ではあるが、そんな致命的ミスとまではいかない。いや、遭難中の方角は把握は重要で、それが分からないっていうのは致命的なのかもしれないけれど。
でも諦めるわけにはいかない。そうであるはずなのに、何故だか急に足が動かなくなった。それは自分のものでは無くなってしまったのではないかという程に重く、感覚も鈍い。頭がぼんやりとして、物事を考えるのが億劫であった。
心が折れてしまったのかもしれない。こんなことに精神的大打撃を受けて、バカみたいだ。だが、積もり積もったものだったのだろう。今までの異常事態に張っていた気が、ここにきてぷつりと切れてしまった。死ぬんだ。そう思った。そうしたら、膝から崩れ落ちた。
「舞・・・」
拓郎の声が幕を張った様に遠くから聞こえる。それに反応が返せない。
「・・・舞、立って!」
鬼気迫った声色につられて顔を上げると、そこには見たこともない大型の犬だか狼だかが、鋭い犬歯を剥き出しにしてこちらの様子を窺っていた。
今までが幸運だったのだ。何の野生生物にも遭遇せずに進んでこれたのは奇跡に近い。
「お願い、舞、立って・・・!」
ぐいぐいと私の腕を引く拓郎は、腕を掴む力の割に小さく掠れ気味の囁くような声だった。大声を出した瞬間、それを皮切りに奴らが襲い掛かってくるのではないかという恐怖が感じ取れた。
狼は全部で3匹いた。私が知っている狼の3倍ほどある巨体に、鋭く尖った犬歯に長い爪を見て、ああ、やはり拓郎の言ったことは間違いなかったのだと気づく。
ここは、異世界なのだろう。
「舞・・・!!」
拓郎の涙が零れ落ちた。こんなところで足を引っ張って申し訳ないが、どんなことをしたところで、私たちではこの狼から逃げ切るのは不可能だろう。そういう気持ちから私は立ち上がることができない。
死んでしまうのだ。呆気なかった。
「舞!」
一匹の狼が地を蹴った。大きな口が開き、その口内にある牙が全て目視できた。どれも鋭く尖り、糸を引いている。目の前に獣の牙が迫ってくる光景は、私の心を急激に現実へと引き戻した。
「-----ッ!」
ザシュッ
悲鳴もあげられないまま拓郎にしがみついて固く目を閉じると、来るであろうと予想していた痛みは待てども来なかった。代わりに聞こえた聞き慣れない音に、恐る恐る目を開けると、私は呆然とその光景を眺めるしかなかった。
目の前にいた狼は地に伏し、その体の側部には一本の矢が生えていた。絶命はしなかったようで、痛々しげに呻き、視線を矢が飛んできた方へと向ける。
「こっちだ、狼ども!」
誰か知らない男の人の声が聞こえた。私と拓郎はその後、互いに抱き合いながら事の顛末を見守ることとなった。
数人の重装備した男性3人・女性1人の計4人のパーティが次々と3匹の狼を倒していった。拓郎の言っていた通り魔法がこの世には存在するようで、中には魔法を使う者もいた。その4人は鮮やかな手つきと連携で、1匹ずつ確実に仕留めていき、すぐに3匹全て難なく倒すことに成功した。
「君たち、大丈夫だった?」
剣を背負った青年が声をかけてくれた。地面に座り込み、固く抱き合ったままの私と拓郎に近づき、手を差し伸べてくれる。だが私も拓郎も呆然として、お礼を伝えるどころか声を出すこともできなかった。
「どうしたの、この子たち。腰抜けて声も出せない状態?」
「まあ、確かに一般人がジャイアントウルフと対峙しちゃな」
「というか、見たとこ旅の荷も全然ないし、どうしたんだ?」
「本当だ。何だよ、謝礼の期待もできねーな」
「こら、そんなこと言わない・・・盗賊にでも襲われたのかしら?」
「災難だな。もう心配ないぞ」
取り囲みワイワイと話し出す4人組。混乱に陥っていた私の脳内では「言葉が分かる。言語が通じるようで良かった」とか「お礼を伝えなければ。でも謝礼なんてできない」とか「この口ぶりからするとジャイアントウルフっていうのは、この世界ではどの程度のランク付けになるんだ?」とか瞬時に色々なことが駆け巡っていた。
ぐー。
しかし一番初めに主張したのは、安堵感から気が緩んでしまったらしい腹の虫の方であった。