第28話 深淵の常闇3
次の日、掘削作業のメンバーにルークスリアを加えた人員で転移魔法陣の前に立った。お別れにエスターは涙を流してくれて、私も思わず涙ぐむ。
「今までありがとうございました。ネイト、みんなにも伝えておいて」
「ああ」
「お姉ぢゃん、元気でね!」
緊張に胸を押さえながら、ナイトと一緒に魔法陣の前に立った。いつかの教室のことを思い出す。あの時は、まさか本当に異世界に転移してしまうとは思わなかった。
私とナイトは元の制服に着替えていた。何だか今ではこっちの格好に違和感を感じてしまう。こちらで揃えた装備はネイトに預けることにした。売ってお金になってくれれば良いのだが、汚れてしまっているし端金にしかならないだろう。
「転移魔法陣はナイトの中に蓄積されている。ああいうものは勝手に朽ち果てたりしない。もう二度とこちら側に来ないよう、気を付けろ」
「ナイトが暴走しなければね」
「何だよ・・・」
正直、未練がない訳ではない。仲良くなれた人たちもいるし、問題は何も解決されていない。けれど、私たちがこの世界にいる意味っていうものがないのだ。
「それじゃ、行きます」
私とナイトは魔法陣の中に立った。私はナイトの持っていたナイフを取り出すと、手のひらに当てた。これで、本当にこの世界とはお別れだ。ぐっと力を込めて、手のひらに刃先を押し当てた。
プツリと皮は切れ、血が出てくる。刃を滑らせると一本の筋ができて、そこから鮮血がにじみ出てきた。手のひらを下に向け、それを魔法陣に落とす。ポタリポタリと私の血は流れ、地面に吸収されていった。
・・・それだけだった。
「あれ?」
「移動しないな・・・」
え。何、それ。恥ずかしい。量が足りなかったのかな?
「ちょっと待って、もっと切るから・・・」
「止めろ、マーガレット。量の問題じゃないだろ」
「ウソ・・・なんで帰れないの!?」
感動的なお別れも台無しである。いや、そんなことより、帰れないの!?
「なんで!?」
ナイトと顔を合わせてみたけれど、首を傾げるばかり。イザークに「その時と違うことがあるんじゃないか?」と思い出すよう促されたので2人であの時のことを思い出してみた。位置?時間帯?やり方?どれも意味なんてなさそうで何も思いつかない。
「あ。そう言えば、傷をつけたのは俺だった、かな」
「確かに。ナイトからナイフを奪おうとして取っ組み合ってるうちに掠っちゃって・・・」
「なら、試してみる価値があるな」
今度はナイトがナイフを持ち、ゆっくりと私の手のひらにあてがった。私もナイトも緊張しながら、その刃先を見つめる。そっとナイトがナイフをスライドさせ、また新たに私の手のひらには傷ができる。零れ落ちる私の血は、また地面に染みこむだけで変化は起きなかった。
「マーガレット・・・」
「どうしよう、ナイト?どうしてなの?」
「そんなの、理由なんて一つしかないだろう」
おたつく私に、ナイトは落ち着いた調子で呟いた。これもまた異世界での鉄板的出来事ってやつなのだろうか。私は緊張して唾を飲み込んだ。
「理由って?」
「マーガレット・・・一体、いつの間に誰に純潔を捧げてしまっ・・・!」
反射的に振りかぶった右ストレートがナイトの左頬に入ってしまったが、私は謝る気はない。
***
とりあえず里に引き返すことになった。エスターが気遣いからか最近エルフの子供たちの間で流行っている遊びを教えてくれたが、逆に居たたまれない気持ちである。意気揚々と帰ろうとしていたのだが、帰れると信じて疑わなかったのだが、それは叶わなかった。
「きっと条件が間違っているんだ。それが何か分からなければ戻れない」
イザークの冷静な分析に、私もナイトもお手上げである。それが何なのか分からない。あの日を再現したつもりなのだが、何かがおかしいらしい。ちゃんと取っておいたマントも羽織ったし。
「あの箒、捨てなきゃ良かったな」
「そんなこと言われても、邪魔だったし・・・」
実は思いついて試せなかったものの一つに箒があった。だがあの箒もゾンネンブルーメに着いて装備を一新した時に邪魔だからと捨ててしまったのだ。今になって惜しまれる。
「いや、それは生贄ではなかったんだろう。なら、そこまで強い影響力を及ぼすとは考えづらい」
私たちの考えも、イザークから否定されてまたしてもお手上げ状態である。条件はほぼ全部揃っているはずだ。一体、何が足りないのか、考えても考えても答えは出ない。
「私たち、家に帰れないの・・・」
絶望にうちひしがられて私は机に突っ伏した。帰れない。今まではそれを頼りに頑張ってこれたって言うのに、これからどうしたら良いのか。ナイトもさすがに軽口を叩けず、部屋の中は気まずい空気に包まれていた。
そんな時に、思い切り勢いよく部屋の扉が開けられた。
「こちらにナイトとマーガレットという冒険者はいるかー!」
あまりの怒声に驚きそちらを見るが、扉は開いているが誰も人はいなかった。
「な、何・・・?」
「おい、いるなら返事をせんかぁ!この愚図がぁ!」
いまだ怒声の続く扉を呆然と眺めながら、下へと視線をずらすとそこには軍服を着た鳩がちょこんと立っていた。
「二度は言わんぞ!ナイトとマーガレット、いるなら即座に返事をしろぉ!」
「は、はい・・・」
「います・・・」
「初めっから返事をせんか!この蛆虫めがぁ!」
やはり鳩からこの怒声は発せられているらしく、鳩は私たちの返事を聞くとプリプリとしながら室内へと入ってきた。私たちの前に立つと、鳩胸を張り、再度怒鳴りつけてくる。
「貴様ら無能のために遠路遥々伝言を伝えに来た!豚のエサ以下の価値しかない貴様らは、この伝言を受け取れることに感謝の念を抱き、心して聞くように!」
「な、な、何なんだ、この鳩・・・」
「鳩兵隊だ。遠くにいる者と連絡を取りたい時に伝言を運んでくる者だ」
ナイトの疑問にイザークが答えてくれた。どうやら遠方との連絡を取るのは全てこの鳩兵隊の仕事らしく、ちなみに今私たちに伝言を伝えに来てくれた鳩は鳩軍曹と言うらしい。ハイノが言っていた鳩兵隊と言うのはこの鳩のことらしい。
「鳩兵隊は大陸を跨ぎ、色んな種族と接触を取る必要があるから、これだけ高圧的な態度でないと舐められてしまって仕事が成り立たないんだそうだ」
「え?主要な人物とかお偉いさんに会う時もこの態度なんだよね?良いの?こういうものなの?」
「おい、貴様らぁ!ミジンコ程度の価値も無いくせに軍曹を待たせるつもりか!」
鳩軍曹はくりくりの愛らしいお目目で周りに睨みをきかせ、私たちが黙ったのを確認すると堂々とした態度で伝言を伝えてくれた。
「冒険者ギルドより全冒険者への通達である!マグノーリェ大陸海港都市トルペ付近の海洋にて、魔族の率いる海賊船が出没とのこと!遭遇した冒険者は目標を速やかに討伐し、ギルドへと引き渡しをせよとの通達である!良いか、軍曹は伝えたからな!食べ物の食いカスのような貴様らでも理解ができただろう!軍曹は他の冒険者にも伝える使命がある!これで帰るが、何か申し出たい者はいるか!」
ナイトがそっと手を挙げたが、鳩軍曹はちらりとそれを確認し、そのまま無視して外に出て行っていまった。どうやら話を聞いてはくれないらしい。




