第16話 夢魔
誰だこいつ。何者なんだ。
見慣れていたはずの赤い瞳が細められる。
「無理やりなんて、インキュバス様には不本意なんだけどな」
そう言ってジークベルトは私をベッドに向かって放り投げた。ちょっと待って待って、これってピンチ!貞操の危機っていうやつなんじゃないの!?
「インキュバスって、あのインキュバス?悪魔なの?」
「悪魔?変な言い回しするね。悪い奴ではないよ。魔族だけど」
この状況で自分から悪い奴じゃないって言われても説得力ないから!
「俺もね、もっと色気のあるお姉さんが良かったんだけど。仕方ないよね、君の処女奪ってこいって上からの命令でさ」
「どんな命令!?」
「本当は合意の上でもらおうと思ってたんだけど、君って強情だし。俺ももうこんな店で働いてるの疲れちゃったし」
ジークベルトはゆっくりと近づいてくると、私を抑え込むように覆いかぶさってきた。
「大丈夫。すぐ終わるから」
「大丈夫な訳あるか!誰からの命令なの?」
「ブルクハルト様だよ。言って分かるの?」
誰だそれ。全く知らない名前が出てきて混乱は深まる。でもとにかく時間を稼ぐしかないと話しかけまくる。
「そのブルクハルトって人は貴方の上司なの!?」
「上司ではないね。確かに、言うこと聞く必要はないんだけどさ。でも、インキュバスにとっては糧にもなるし。損するような話じゃないからね」
マウントポジションを取ったせいで余裕なのか、流暢に喋ってくる。私は宿に杖を置いてきたことを後悔した。でも、威力が少し落ちるけど杖なしでも魔法は打てなくはない。隙を見て倒すしかないだろう。
「そう言えば、死ななければ良いって言ってたし。手足くらい、もいでおこうかな。抵抗されたら面倒だしね」
「グロい!エグイ!悪魔!」
「だから悪くはないって。魔族なだけ」
魔族って魔法効くのかな?もしかして光魔法とかしか効きませんとかあるのかしら。そんなの一個も知らないんだけど。某回復魔法でも唱えたら撃退できないかしら。
「とりあえず、無駄な抵抗は止めて大人しくしてなさい」
ジークベルトは表情を変えないまま、私のローブを脱がしにかかってきて・・・
「ジークベルト、いる?」
コンコンと扉がノックされた。外からナンシーの声が聞こて、動きが止まる。
「店、もう始まる。仕事して」
ノブが一度回され、施錠されていることに気付いたのかガチャガチャと鍵を回す音がした。それにジークベルトが気を取られている隙に、私も魔法を唱えた。
「『妨害氷縛』!」
ジークベルトの体を氷漬けにして動きを止めようとしたのだけれど、先に気付かれ逃げられた。でも、マウントポジションを取られていた状態からは脱出できたので良しとする。
「マーガレット?なぜいる?」
「ナナナナ、ナンシー!あの人、人じゃない!魔族!」
入ってきたナンシーに助けを求めるように近づいたが、もしかしたら仲間だったかも。一瞬躊躇したけれど、ナンシーは魔族と聞いて顔が険しくなった。
「魔族、なぜいる?」
「ちょっとさ、ナンシー。鍵のかかってる部屋に無理やり入ってくるのはマナー違反でしょ」
「この町、魔族の出入り禁止。謀ったか」
どうやらジークベルトと獣キャバとは仲間関係にないらしいので、安心してナンシーの隣まで移動した。ジークベルトは飛び退いた時に変身したらしく、腰あたりから薄い皮膜でできた翼を生やし、頭には両側のこめかみ辺りから角が生えていた。
初めて魔族と対面した。宙に浮けるらしく、その後ろの翼は飾り物かと言わんばかりにゆったりと浮遊していた。
「聴取する。動くな」
「そう言われて逃げない奴はいないでしょ」
ナンシーの態勢が低くなったと思ったら、突如すごい勢いで床を蹴った。弾丸の如く移動すると、身体を回転させてジークベルトに蹴りを入れる。そうか、獣人は人なんかよりも身体能力が高いんだった。
「止めてよね。俺って戦闘向きの魔族じゃないんだから!」
腕でナンシーの蹴りを防いだジークベルトが距離を置こうと引いた先を予測して、今度は私が魔法を仕掛ける。
「『氷結矢』!」
「2対1って、さすがに卑怯じゃない!?」
杖がないせいで狙いがズレてしまい、当てることはできなかった。しかし脅威には感じたらしく、もう一度蹴りを繰り出すナンシーを押し返すと、窓に向かって加速した。
「退散させてもらうよ。割に合わないことはしない主義なんでね!」
ジークベルトはそう言うと、窓を割りあっさりと去っていった。ガラスが割れた音を聞きつけ、下の階からキャバ嬢たちが上がってくる。
「あらぁ大変ねぇ。窓がバリバリになってるねぇ」
「ちょっと、何があったのよ!?」
ミラとニーニャが顔を出した時に、ナンシーは窓の外を眺めていたが、振り返って答えた。
「新しいボーイが必要」
***
後のことは任せて帰ることにした。窓もバリバリ、ボーイも1人逃亡となったので獣キャバも営業どころではないだろう。
私はジークベルトの言っていたことを考えてみた。ブルクハルトって魔族のやつが、私の貞操を奪ってこいと命令していた?あっちは異世界トリップのためには純潔が守られていることが必要だと知っていた?
だから何だってんだ。どうして狙われなきゃなんないんだ。どういうことなんだ。私にはさっぱり事情が掴めない。こういう話は私よりも断然ナイトの方が得意である。宿に向かって急ぎ帰ると、中央広場でナイトに会うことができた。
「ナイト!よかった、ナイトも出かけてたんだ」
「マーガレット・・・?」
「ちょっと大変なことがあったんだけど、聞いてよ」
とにかくこの状況を説明して対策を考えなくてはならないと、ナイトを引っ張って腰掛けられるところを探した。中央広場の屋台近くにはベンチも設置されているので、この間のように串焼きを購入してそこに腰掛けることにした。
「それでね、この前まで働いてた獣キャバのボーイが実は魔族だったみたいなの。私、命までは狙われてないんだけど、何て言うか、また別に大切なものを狙われてるって言うか・・・」
「大切なもの?」
先ほどまでは興奮していたから息巻いていたが、一息ついて説明しようと思うと恥ずかしい。貞操を狙われてるって、自分で言うのもなんだけど自意識過剰じゃないか?
「ブルクハルトっていう偉い魔族の命令みたいでね。どうも、異世界からこっちに来たことを奴らは知ってるみたいなんだよね」
「・・・」
ナイトは串焼きに手も付けずにだんまりだった。ちょっとくらい私の苦悩も察してほしいところだと焦れてみるが、何だか様子がおかしい。
「ナイト?」
「マーガレットはすごいよな!」
突然そうやって大きな声を出したかと思ったら、手に持っていた串焼きを地面に叩きつけた。私はビックリしてナイトを見たが、相変わらず顔は下を向いて目が合うことはなかった。
「異世界から来て、魔法が簡単に使えるようになって、魔族からも狙われてる。とんだ主人公さまじゃないですかっての!俺は結局、力もなくて、ホッピングラビットを無様に追い立てることもままならず、毛皮だって剥げない。お荷物も良いところですよ!」
急にそんな風に声を荒げるナイトは初めて見るので、どうしていいか分からなかった。
「ホッピングラビットの毛皮は、私だってムリだったし・・・」
「でも魔法使って捕まえることはできたよな?」
「それは、ナイトが追い立ててくれたのも・・・」
「そんなの誰にだってできるし!」
どう考えたってこれは八つ当たりだ。ナイトはかなり落ち込んでいるようだ。かく言う私だって先ほどまではかなり落ち込んでいたし。今は違う衝撃のせいで悩みが吹き飛んでしまっただけに過ぎない。
それでも、やっぱり魔族が何か企んでるなんて危ない状態で仲違いをしていたくはない。
「こんな言い争いをしてる場合じゃなくて。魔族が狙って来てるんだよ?ナイトも襲われるかもしれない。どうするか考えないと」
「俺には来ないんじゃないの?マーガレット様みたいに有能じゃございませんから」
「だから、こんなケンカしてる場合じゃないんだってば!」
今の私はナイトを意固地にさせることしかできない。本当はどういう狙いがあるのかとかナイトと一緒に検証したいのだが、聞く耳を持たない状態なのでムリだろう。




