第01話 深淵の常闇1
「ねぇ拓郎。何してるの?」
私は幼馴染に心底不審だって目を向けた。
そこは放課後の空き教室。机は全て椅子をひっくり返して上に乗せ、教室の後ろに纏められた状態になっている。少し広さのできた教室の中央には、何やら昔何かのお話で見たことがあるような模様の入った円形状のマークが、白いチョークで床に描かれていた。
「ふふふふ・・・ふはーっはっはっは!ついに、解読は終わった!我々は遂に深淵の常闇の解読に成功したのである!」
「深え・・・何それ?」
「深淵の常闇!っだ!」
彼はどこから用意してきたのか黒いマントを翻し、丈の長すぎるそれは重さがあるようで力なく持ち上がり、バサリと音を立てて床に再度着地していた。
「拓郎、その深淵の常闇ってもしかしてその魔法陣のこと?」
「拓郎ではない!私の名前は、ナイト・ウル・ダークネスだ!」
恥ずかしい。
高校に入学して二年。友達をいっこうに作れない幼馴染が心配で、時折こうして様子を見に来てはいたのだが、まさかこんなにも頭が湧いていたとは思わなかった。思えば幼少期、隣に引っ越してきた人の好さそうなお母様と無骨ながらも男気に溢れたお父様の間で、不愛想にそっぽを向いていた少年を可愛らしいと勘違いして構いに構っていたのが間違いであったのだろうか。
人見知り激しく何でも私頼みに、恥かしがりの癖に悪目立ちを好む彼は今考えれば私以外の他人との付き合いをどうすれば良いのかと彼なりに悩んでいたのかもしれない。
しかしながら不器用であった彼は自己防衛のために他人と付き合えない原因を他に求めた。その結果が、自分は人類とは一線を画す秀でた存在であり、他人は取るに足らない烏合の衆であるというものだった。つまるところ、「イェーイ、俺様天才!キミらみたいなバカな存在は、この崇高なる考えについてくることもできないんだから、こっちからお付き合いなんて願い下げだよ!」てなもんである。
「よーく聞くが良い、マーガレット!お前には重要な任務を与えよう。この大役が与えられたことを人生の誉れとし、心して任務を遂行するのだ!」
「マイちゃんはマーガレットではないし、いつの間にこのお遊びに付き合うことになったのかと今驚きでいっぱいだよ」
拓郎はマントをズリながら動きづらそうに教室の中心に移動すると、慎重にチョークの線を消さないよう気を付けながら、持っていた箒でその中心をコツコツと叩いた。
「深淵の常闇とは、彼の世界と現世を繋ぐものである。マーガレット、お前はいつからこの世界が一つしかないと決めつけていた?あるものを証明するのは容易いが、ないものを証明するのは至極難解。この世界が一つしかないなどという考えは思考を停止させる行為。実に愚かである!」
「深淵の常闇は別世界への扉なの?」
「いかにも。このナイト・ウル・ダークネスが長年の研究を経て完成させたものである。本日、ついに最後の生贄を捧げることでこのゲートは彼の地へと繋がる記念すべき日となるのだ!」
長年の研究・・・現在高校1年生早生まれの15歳。一体いつから秘密裏に研究していたのか知らないが、確かに細かく書き込まれた魔法陣はちょっとだけそれっぽい。しかしながら当然これはどこかの漫画だかで見た絵を自分なりに表現した結果でありママゴトの領域を出ないものであろう。現に今彼が小脇に抱えているマル秘ノートは一度中を見たことがあるが、彼のただの落書き帳である。他人がうっかり中を覗くとHPがガリガリと削られるような代物であるし他人にうっかり覗かれたと知れば彼自身のHPもガリガリと削れる代物であるが、現時点で私が覗き見たことを拓郎は知らない。
「最後の生贄・・・それは、尊き純潔の乙女の血!」
そう言って一際強く魔法陣の中心を箒で叩いた後、拓郎は頑なにこちらを見ようとはしなかった。しかしながらその背中はこちらの反応を窺っているのが大いに読み取れる。私はと言えば、つまるところ、お前処女だろと幼馴染に叫ばれて、怒りで腸が煮えくり返る思いである。
思うのだが最近の若者はそういった行為を行う年齢が早いみたいなのが世論一般の見解であるかもしれないが、こんなど田舎の地味ないち女子高生には行為は疎か彼氏ができるのだって難しいことなのだ。そんなのは都会の子のやることだろうと偏見すら持っている。
大体拓郎は私が他の男と経験をしていたら怒ったりしないのか。まさか興味もないって言うんじゃなかろうな。そこのところをハッキリさせないことには私の怒りも治まらない。
「拓郎は私が他の人としてても良いって言うの?」
「ナイト・ウル・ダークネスだ!もちろん経験されていては困る!また新たに生贄を探してこなくてはならなくなるからな」
偉そうな口調とは裏腹に目線を泳がせ決してこちらを見ようとしない。しかしながら、理由はともかく拓郎が困るというのならば、まぁ致し方ないがこの怒りも鎮めてやろう。つまり処女でいてほしいという拓郎の願望なのだろうそうだろう。
拓郎は私が怒りださないことを確認すると、調子に乗ってまた演説を再開する。
「それではマーガレット、中心に立て。これより儀式を開始する。このナイト・ウル・ダークネスが深淵の常闇を開き、新たな世界を開放するのだ」
私はとりあえず早く帰りたいので言うとおりに動く。決してこれは拓郎が可愛いからではなく帰宅時間の遅延がこれ以上にならないようにするためである。もちろんお隣さんなので拓郎とは一緒に帰る。えぇもちろん。
拓郎は私が円の中心まで来ると、おっかなびっくりに私の手を取った。急に積極的なのね。
そうして箒は脇に置き、マントの中に一度片手を隠すともぞもぞと何かを探り出す。私は可愛らしい幼馴染のママゴトあそびに付き合って大人しくその様子を見ていた。
「それでは、いざ!深淵の常闇よ、己の全てを開放せよ!」
厨二病患者の一定数はナイフなどの刃物が好き。
先ほどの文句を並べたてながら拓郎は懐から折り畳み式のナイフを取り出した。私の腕に宛がおうとするのでギョッとしてそれを止める。
「ちょっと、何てもの持ってるのよ、拓郎!おばさんに言いつけるわよ!」
「邪魔をするな、マーガレット!純潔の乙女の血が、儀式には必要不可欠なんだ!」
「いいから、危ないから渡しなさい!サイッテー!いくらなんでもこれはダメだよ!」
「ええい、邪魔をするなと言っている!・・・ちょっと切るだけ。痛くしないから!」
「そうじゃなくて・・・イタッ!」
抵抗する拓郎からナイフを取り上げようとして揉みくちゃになっていたら、その刃先が掌に当たった様で微かな痛みを感じて手をひっこめる。
傷は深くないが血管を切ったのか、小さい傷口にしてはなかなかの血が出てきた。
「あ、ま、舞・・・」
ぎくりと動きを止める拓郎を、私はさすがにおいたが過ぎると睨みつけた。
「拓郎!言わんこっちゃ・・・キャッ!?」
しかし、文句を言いかけているときに、眩い光が上がり、言葉も遮られた。何事かと事態を把握する暇もなく、瞼を閉じても眩しいその光に包まれ、訳が分からないまま両腕で顔を隠し、目が開けられるようになるまで耐えた。
「ま、舞・・・」
弱弱しい拓郎の声で恐る恐る目を開けると、光はもうなかった。だがしかし、そこは教室でもなくなっていた。確かに私たちは魔法陣の上に立っていた。しかしそれは奥深い森の中であった。