幽霊屋敷の透明ワルツ
僕はこの大きなお屋敷に一人で暮らしています。大きいけれど、蜘蛛の巣があちこちにかかっていたり、ときどき床が抜けてしまうくらいボロボロなこのお屋敷。それでも、僕はここが好きです。なぜなら、僕はここしか知らないからです。
気がついたときにはこのお屋敷で一人の人間として暮らしていました。お腹が減ることもなければ、病気にかかることもなく、退屈な日々を過ごしばかり。自分の名前、年齢すら知りませんでしたが、特に不便はありませんでした。
しかし、こんなボロボロなお屋敷でも、お客さんは来ます。僕はその人たちをもてなそうとしましたが、みんな決まってこう叫ぶのです。
「幽霊だ!幽霊が出たぞ!!」
僕は何度かそう叫ばれて、漸くわかりました。僕が幽霊だという事実を。納得せざるを得なかったのです。そして、自分が幽霊だと自覚してからは、あまり人前には出ないようにしました。
ある日、小さな女の子が一人でここに訪れました。その子は可愛いワンピースを小さな拳で握りしめ、必死に涙を堪えているように見えます。
「だれかいませんか?」
女の子は震える声で空中に呼びかけます。しかし、返事はありません。それでも女の子は続けました。
「ウサギのぬいぐるみを探しているんです。ここにいませんか? あの子、さびしがり屋なの。早く見つけてあげなくちゃいけないの。」
その子の必死な様子に、僕はいたたまれなくなり、思わず口を開いてしまいました。
「ここにはいませんよ」
女の子は声の主を探すために辺りを見渡しましたが、その子の瞳にはもちろん誰も映りません。
「あの、おねがいです。わたしといっしょにあの子を探してくれませんか?」
僕の瞳に、その子の縋るような表情が映り、僕は自分の胸に手を当てました。
「わかりました。僕でよければ、手伝いましょう」
僕のその言葉で、女の子の顔がぱっと明るい笑顔になりました。
「本当に? ありがとう!」
ああ、どうしよう。こんなことを言われるのが初めてで、僕は頬が熱を持ち、胸の鼓動が早くなるのを感じました。そして、人に感謝されることの喜びを、僕は生まれて初めて知りました。
「でも、あなたはいったいどこにいるの?」
「……ここにいます」
そう言って、女の子に手を伸ばしたけれど、僕の手は虚しくすり抜け、女の子に触れることはありません。
どうにか僕の存在を証明する手段はないかと考えていると、ふと女の子の後ろにある扉が目につき、思いついたと同時に僕は扉に向かって走り出しました。
「ほら、確かに僕はここにいますよ」
軋む音と共に埃っぽい空気で満ちたお屋敷に、新鮮な空気が久々に流れ込み、それに気づいた女の子の瞳が驚きで大きく見開きました。彼女には扉が一人でに開いたように見えたのでしょう。なぜなら僕が扉を開いたのだから。
僕は今まで埃っぽい空気だけを吸っていました。窓から漏れる日の光しか知りませんでした。しかし、今の僕の肺は外の空気で満たされています。僕の体は太陽の光を直接浴びています。なんて清々しい空気でしょう。なんて暖かな日差しでしょう。ああ、外の世界はなんて素敵なところなのでしょう。
「本当だったんだ……あの幽霊の噂……」
「ええ。僕がここに住む噂の幽霊です。信じてくれますか?」
「うん。信じる。あなたのこと、信じる」
「良かった。じゃあ、早速、ウサギさんを探しに行きましょう」
女の子は扉を抜け、僕の方を気にしながら歩き始めました。僕は初めての外の世界への高揚を抑えるために深呼吸をしてから、ゆっくりと一歩を踏み出しました。
女の子の後を追ってしばらくすると、町が見えてきました。あまり大きいとは言えないけれど、人を避けてきた僕にとって目眩がするほど嫌なところです。
「ここがわたしがくらしている町なの」
「……ここのどこかにあるといいですね」
「いなかったらどうしよう」
女の子はまたワンピースの裾を握りしめ、涙声で答えました。
「だ、大丈夫ですよ。きっと見つかります。とりあえず、どこから探しましょうか?」
「おうちとよくいっしょに行く公園は探したよ」
「他に心当たりはないのですか?」
僕の問いに対し、女の子は首を振りました。
「では、今度はよく通る道を探してみましょう」
「わかった! ついてきて!」
女の子は町へ向かって走り出しました。僕も慌ててそれを追いかけますが、途中で市場という場所に来てしまったらしく、道が人でうまっていました。そんな 中、彼女は小さい体ですいすいと人ごみの間を通り、どんどん先へと行ってしまいます。僕も人に当たらないように身を捩ったり、時には人を掻き分けたりしな がらなんとかして進もうとしますが、彼女との距離は不思議なくらい離れていってしまうのです。
ぬいぐるみを二人で必死になって探しましたが、残酷なほどに時は進み、見つからないまま夜になってしまいました。町の中を充分探したのですが、成果はあげられず、残るのは町の外れにある墓地くらい。しかし、女の子は決して墓地に近づこうとはしません。
「じゃあ、僕だけで行くので、君はここで待っていてください」
そのまま不安そうな表情の彼女をその場に置いていき、僕は墓場へ向かいました。
そこには多くの墓石が並べられ、ちらほらと花束やお供え物などが置いてありました。その中に一つ、確かに白いウサギのぬいぐるみが置いてあります。僕は それを持って、彼女の待つ場所に行こうとすると、いつの間にか、彼女は僕の後ろに立っていました。驚いた僕はうっかりぬいぐるみを落としてしまったのです が、僕が拾うより先に、女の子がぬいぐるみを拾いながら口を開きました。
「幽霊さん、ごめんね。わたし、かくしていたことがあるの」
「……かくしていたこと?」
「わたし、本当はもう死んでいるの。幽霊なのはわたしの方なの」
「わたしの……方?」
見える君、見えない僕。触れられる扉、触れられない君。人ごみをすいすい進める君、進めない僕。この違いが全て、全て、君が幽霊で、僕が幽霊でないからだとしたら……僕は……
「わたしが死んだときにこの子がひとりぼっちになるのがいやで、幽霊になったの。でももういいの」
「もういいって……どういうことですか」
僕は彼女に向かって手を伸ばしたけれど、やはりその手は届きません。
「あなたがわたしの代わりにこの子の友だちでいてあげて。わたしといっしょにこの子を探してくれたあなたなら、この子の友だちでいられるでしょ?」
彼女の体はだんだんと透けていき、背景に溶けていきます。
「待って、行かないで。僕もずっと一人で寂しかった。僕と普通に話をしてくれたのは、君が初めてだったんです。これじゃ、僕はまた一人になってしまう」
僕にはもう彼女を止める手段はありません。ただ、彼女の笑顔を見送ることしかできませんでした。
「大丈夫だよ。あなたはもうひとりぼっちじゃないよ。だってあなた、いい人だもん。でも、あなたの初めてお友だちは、わたしだからね。忘れないでね」
そう言うと、彼女は僕にぬいぐるみを手渡しました。僕はそのぬいぐるみを抱きしめ、彼女に届くよう祈りながら、呟きました。
「……僕は君のおかげで、外の世界を知ることが出来ました。本当にありがとう。今日のことは絶対、忘れません」
彼女はもう、どこにもいません。
墓場を出て、お屋敷へと帰ろうとしていると、町の人から突然声をかけられました。
「お兄さん、知らない顔だね。この町へは旅行で来たのかい?」
僕はその時、全てを思い出しました。本当は幽霊ではなく、透明人間であったことを。
僕はもともと裕福な家庭に産まれた子供で、産まれながら多大な魔力を持っていました。成長すればするほどその魔力は更に強くなり、やがて僕はどんな願い 叶えてしまう魔法使いとして有名になりました。けれど、そのことによって、僕は欲に塗れた人間たちに翻弄させられるようになりました。両親まで巻き込みな がら、みんなで僕を奪い合いました。そして僕は強く願いました。「一人になりたい」と。すると、僕の力はその願いに反応し、僕に呪いをかけました。それ は、透明人間として永遠に生き続けなければならない一人ぼっちの呪いです。そして長い長い年月を過ごすうちに、僕の記憶は風化されてしまったのです。この 呪いを解く方法はただ一つ。友だちを作ること。つまり、彼女のおかげで、僕は呪いから解放されたのです。彼女のおかげで、僕はもう、一人ぼっちではないの です。
僕は一呼吸おいてから、答えました。
「いえ、ここに引っ越そうと思って、ちょっと下見を」
「そうか、ここは何もないけれど、いいところだよ」
僕はこの町で暮らしています。けれど小さくて、何もない所です。それでも、僕はここが好きです。なぜなら、ここは僕の初めての友だちと出会った町だからです。




