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「それでもあたしは言わずにいられない」

「ゆら、前に話したでしょ。お母さんね、好きな人がいるの。お母さんよりも年上で同じ病院で働いてる理学療法士さんなの。患者さんの体を元通りになるようにお手伝いする、大事な仕事。口うるさいおじいちゃんにも丁寧に接するし、おばあちゃんたちには可愛がられてる、そんな男の人。患者さんのことで色々相談してるうちに、お母さん思ったの。この人となら幸せな家庭が持てるって。

 それに、すっごく子供好きなの。スポーツで骨折した中学生の子を親子みたいに面倒見てて、その子がゆらに見えてきて。あの人は絶対に暴力を振るったりしないし、ゆらのこと怒鳴ったり叩いたりもしない。お母さんはそう思ってる。

 だからね、一度ゆらにも、その人に会ってほしいの。ううん、何度でも気が済むまで会って話してほしい。絶対にゆらも好きになるから。

 その人にも娘さんがいてね、すごくしっかりしてるの。家事も得意だって聞くし、お母さんよりも料理とか上手かもね。

 ゆらか。お母さん、できればその人と結婚しようと思ってるの。もちろんゆらかが許してくれたらよ。今度の土曜日に、お母さんとゆらかと、その人と娘さんの四人でご飯を食べに行かないかって誘われてるの。

 ゆらか、一緒に行ってくれる?」


 明るくておちゃらけて面白いことばかりを口にするお母さんのいつになく真剣な眼差しが向けられる。以前ほんとうのお父さんはすぐにお母さんを叩いたり、あたしに物を投げたりする人だった。


 あたしを守るためにお母さんは離婚して、しばらくはお爺ちゃんお婆ちゃん(お母さんの実家)と一緒に住んでいた。お爺ちゃんが車で葉村崎はむらさき市の学校まで送迎してもらっていたので、あたしは転校せずにいれた。


 しばらくしてから、お母さんが通勤時間の都合で葉村崎市にアパートを借りることになる。勤務先病院の社員寮として契約されていて、あちこち古いけど家賃は安いのだそうだ。あたしもお母さんと同じアパートに移る。


 ちんちくりんのあたしにはアパートの台所は少々背が高い。刃物や火も危険だからとひとりでの料理は禁止されていた。代わりに洗濯を取り入れたり畳んだり、朝のゴミ出しや部屋の掃除はやらせてもらえたので、少しならできる。


 お母さんは基本、大雑把で片づけが苦手だ。部屋も狭く、自然とあたしが片付け係になっていった。そんなときに目にしたのが百均アイテムを使った収納テクニックだ。お小遣いでも充分まかなえたし、なにより楽しかった。


 お母さんの仕事は忙しくて不規則だけど二人だけの暮らしに不満などなかったし、その生活がずっと続いていくことに疑問も抱かなかった。


 でもお母さんは違っていたようだ。真面目に、でもその理学療法士の人のことを話すときは嬉しそうにしていた。それだけで、あたしも充分だ。


 正直に言うと、大きな男の人は怖いから苦手。どうしても怒鳴られた記憶が蘇り、手が震えてしまうのだ。


 でも、いつまでもあたしのためにお母さんに寂しい思いをしてほしくはない。


 だから、あたしはお母さんの言葉に大きく「うん」と頷いた。



   ◇◆◇◆◇



 午後五時代の急行電車にて都市部の紙那かみな市まで出る。お母さんの車では渋滞で動けなくなる可能性があるための安全策のようだ。満員電車に二十分ほど押し込められると紙那かみな市駅に到着した。


 ドアが開くと共に押し出されるが、お母さんがしっかりと手を繋いでくれていた。人ごみに流されないように、あたしを引っ張って階段まで誘導してくれた。待ち合わせ場所は市駅の南改札口にある時計前。ゆっくり歩いても二、三分で着ける。


「あっ!」


 誰かの荷物があたしの服を引っかかったことで、ショルダーポーチのチェーンが切れてしまった。色あせたイルカのマスコットが外れて、靴音の津波に飲み込まれてしまった。


「ちょ、ゆら!」


 反射的にあたしはお母さんの手を振りほどき、マスコットが消えた先に駆け出した。あのイルカはお母さんが縁日の射的で獲ってくれた大事なもの、あたしの宝物。イルカを欲しがって大泣きしたあたしのために、お母さんが何十回もチャレンジして獲ってくれたことは鮮明に覚えている。絶対に失いたくない、お母さんとの思い出のひとつだ。


 しかし、探すどころか足下を見ることもできない。人ごみに流されるままに、階下へと追いやられ、自分のいる場所もわからなくなる。抵抗しても声を上げても、誰にも届かない。


 ホームへと到着した電車の扉が開いたことで、波は一気に加速した。乗りたくもない乗る予定もない車内に引き込まれていく。必死に手を伸ばして「お母さん」と叫ぶが、発車ベルの大音響はあたしの声など簡単にかき消してしまう。


(嫌だ、行きたくない! 誰か助けて、お母さん助けて!)


 

「ちょっと待ってください! まだ行かないで。すいません、ちょっと空けてください!」 


 あたしの手が強く握られて、檻のような車内から引っ張り出された。勢いのまま、助けてくれたヒトの胸に飛び込み押し抱かれた。


「ひ、あ、ん、う」

「もう大丈夫よ。ごめんね、痛かったね。強く引っ張りすぎたから。、大丈夫?」


 涙で滲む視界がかろうじて捉えたのは、年上のお姉さんだった。靴底の汚れがこびりついたホームの地面に膝をついて、キレイな柄のハンカチであたしの涙を拭ってくれていた。


「迷子になっちゃったの? 家族の人と一緒?」


 あたしの服の汚れを払って整えてくれる。あたしを安心させようと声を絶やさず掛け続けてくれていたお姉さんは、モデルさんと見間違えるほど綺麗で可愛い人だった。


 うまく声を出せず、言葉を詰まらせながら失くしたマスコットのことを説明する。お姉さんはあたしの頭を二度撫でながら、躊躇なく頷いた。


「じゃあ一緒に探そうか。大事なものだもんね。わたしは彩世あやせよ」女神のような笑顔を浮かべていた。


 このときから、あたしのココロは彩世あやせちゃんだけを映すようになったのだ。



   ◇◆◇◆◇



 目を開ける。一瞬だけモヤがかかるが、すぐに晴れる。半分だけ開いた瞼越しに、灯りを宿していない室内灯ルームライトと暗い部屋を認識する。


(あたしの部屋だ。あれ、あたし寝ちゃってたの?)


 熱っぽさとダルさが身体の自由を制限しているせいか、すぐに身を起こすことはできなかった。


(なんか、昔のユメ見ちゃった。彩世あやせちゃんと初めて会った日の、コト)


 半年以上前にもなる。お母さんの未来の再婚相手との顔合わせを兼ねた会食の日、あたしを助けてくれたお姉さんが彩世あやせちゃんだった。彩世あやせちゃんはお義父さんに遅刻の旨を携帯電話スマホで告げ、初対面の迷子あたしのマスコットを三十分以上も探してくれたのだ。


 駅構内を周り、あたしを探してくれていたお母さんと鉢合わせしてあたしは叱られたが、彩世あやせちゃんが事情を話してくれた。


 そこであたしは、彩世あやせちゃんが何者なのかを知ることになる。お母さんの未来の再婚相手、その娘というのが彩世あやせちゃんだったのだ。


(あのときはびっくりした)


 彩世あやせちゃんは、あたしが未来の義妹いもうとだと知っても「よろしくね」と変わらぬ微笑を浮かべながら、あたしの手を握っていてくれた。細くて綺麗で柔らかい手で。


(ちょうど、こんなふうに……っ!?)


 あたしの手にある感触を間違えるはずはない。意識が鮮明になると共に自覚できた芳香がわからないはずがない。あたしが大好きな女性ひとのことに気付かないわけがない。


「あやせ、ちゃん」


 名を口にして思い出す。一緒に湯船に浸かりながら、あたしは頭がぼうとしていることに気付いていた。

しかし、一秒でも永く彩世あやせちゃんと一緒にいたいがために、あたしは無理をしていた。熱いのを我慢して、それを誤魔化すように彩世あやせちゃんに質問をして……。



『わたしには好きな人がいるの』



 彩世ちゃんの声がリアルに脳内で再生される。それくらいは覚悟していた。美人の彩世あやせちゃんに恋人がいないわけがない。同性のあたしから見ても魅力的なのに、男の人なら尚更だろう。


彩世あやせちゃん」


 今度ははっきりと声にする。暗闇に慣れてきた視界、あたしの部屋のあたしのベッド。あたしの手を握りながら、ベッドに覆いかぶさるように寝息を立てる女神様。


 あたしだけの、大事なお姫様。


 湯上り、石鹸の良い香りがあたしの感情を揺さぶる。目の前で無防備な寝顔を向けるお姫様とあたしの距離は、僅かに三十センチメートル程度でしかない。


 そして、二人を隔てる存在モノは、この場になにひとつない。


彩世あやせちゃん、彩世あやせちゃん」


 胸が苦しくなってくる。過呼吸のように息が荒くなったので、口周りを両手で覆い隠した。


 クチビルが、ある。彩世あやせちゃんのクチビルが。あたしの名前を呼んでくれる柔らかくて甘いクチビルが触れる距離にある。


彩世あやせちゃん……あたし、あたしっ」


 頭がぐちゃぐちゃで、なにも考えられなかった。でも、あたしは迷わずに数十センチメートルを詰める。鼻の頭がぶつかって、額がぴたりと重なる。


 あと五センチの距離がもどかしい。勢いに任せてクチビルを奪いたい。でも、もしそんなことをすれば、あたしはどうなってしまうのだろうか?


 あたしのことを義妹いもうととして可愛がってくれている彩世あやせちゃんを裏切り、汚すことになる。


 頭がおかしくなる、どうしたらいいかわからない。手が震える。息が荒くなる。胸が痛くなる。声が漏れてしまう。


彩世あやせちゃんっ!」

「ゆ、ら、ちゃん。――――よ」


 暗い中で、クチビルがなぞったのはあたしが一番聞きたい単語だ。彩世あやせちゃんの声で、彩世あやせちゃんの言葉で、彩世あやせちゃんの意志で、あたしに向けて欲しい!


「ゆ、ら、ちゃん。だいすきよ」


 あたしは、迷うのを止めた。


 初めての味は、柔らかくて温かくて。あたしのココロごと痺れさせるに充分で、脳内は彩世あやせちゃんの感触を堪能することだけに支配されていた。


 間違っている。こんなことが正しいわけがない。


 愛する女性ひとのクチビルにしゃぶりつくあたしは、もうただの動物ケモノでしかなかった。


 呼吸すら忘れていた。数十秒、数分。どれだけの時間を費やしたのか、幾度クチビルを奪ったのか記憶はない。本能が支配するままに、カラダが求めるままに。


彩世あやせちゃん。あたしも彩世あやせちゃんのこと大好きだから。誰よりも誰よりも、愛しているから! だから、あたしのこと、見捨てないで下さい!」


 聞こえるはずもない。聞こえたら確実に壊れてしまう関係。それでもあたしは言わずにいられない。


 だって、あたしは。


「天河ゆらかは義姉あね彩世あやせちゃんをココロから愛しているのです!」


「……ん」



 肯定の返事というには都合が良すぎるが、あたしにはそれでいい。彩世あやせちゃんだけがいてくれるだけでいい。


 

 もう二度としない。決して味わえないと覚悟して、あたしは最後の口付けをした。恋人同士がするキスには絶対に届かない、自分勝手な行為。


「ごめんね、彩世あやせちゃん。ごめんね」 

 

 あたしの独言ひとりごとに応えるものは、なにもなかった。

今話を以って、「天河ゆらか」は終了いたします。


読了及びアクセス・ブクマ・評価・感想を頂いた方々には感謝しています。


本当にありがとうございました。

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