「あたしにはちょっと熱い43℃」
・天河ゆらか/十歳 女子小学生 乙女座
趣味:お義姉ちゃんに想いを馳せること(百合色な妄想)
特技:百均DIY、雑貨づくり
・天河彩世/十七歳 女子高校生 獅子座
趣味:音楽鑑賞「Ray/Light」、お料理
特技:家事全般
その他:スーパーお義姉ちゃん、女子にモテる
午前五時五十分。沙羅双樹という楽曲が耳に届き目が覚める。女性五人組バンド「Ray/Light」のサードシングルで、女の子の恋愛を力あるコトバで詩にした彼女らの代表曲。クラシック調の静謐な冒頭から複雑に変化し、尺八や三味線、和太鼓などを取り入れた独特な旋律がスマホの目覚ましアラームに設定されているのだ。
歌詞は、ひとりの地味な女の子が通学途中の電車の中で見た大人のお姉さんにひと目惚れして、お姉さんの愛玩奴隷になる妄想をするという過激な内容だ。メンバーの奇抜で怖カワイイ化粧と衣装もさることながら、ボーカルのMMLが得意とする手品と日本舞踊をアレンジしたパフォーマンスが人気で、あたしも素直にカッコイイと感じていた。
旋律は数十秒で立ち消えた。あたしがスマホを操作して止めたわけではない。部屋の壁際に据えられたベッドの上で隣室の彩世ちゃんのスマホから流れる目覚ましアラームを耳にし、あたしも目を覚ますのだ。音量が大きいわけではなく壁がそこそこ薄いこと否めないが、それだけあたしの全神経が隣室に向けられているということだ。
正確には隣室で寝起きする、彩世ちゃんに。
かちゃり、パタン。部屋着に着替えた彩世ちゃんが部屋を出た音を確認して、ゆるゆるとベッドを出る。季節は春だけど、やや肌寒い。ベッドに奪われたあたしの体温を全部回収したいところだが手段がないので我慢する。早朝の呪いで、頭もボーっとしている。この数分で間の抜けなアクビが四回も口をついて出た。
「うぅぅ、さむい」自分の体を抱きしめるように上腕をさする。寒いから着替えたくないしギリギリまでベッドに入っていたい。
(けど、彩世ちゃんにだらしないなんて思われたくない。ゼッタイ!)
寝る前に厳選して用意していた着替えを手に、そそくさと部屋を後にした。なるべく音を立てないように、伝説の怪盗にもひけをとらない(自称)忍び足で階段を一歩ずつ降りる。彩世ちゃんには気付かれたくないのでスリッパは履かずに持ち運ぶ。これだけで消音効果に大きな差が生まれるのだ。幸いにして現住居は建っていくばくの間もない。以前住んでいたアパートの外階段のような歪んだ音を出すことはない。
階下に出ると目的地であるバスルームまではすぐだった。寝癖のついた、ただらしない顔を見られるなんてありえない。彩世ちゃんはキッチンにいるだろうし、ここからは絶対に見えない造りになっている。まだスリッパは使わず、念のために足音は忍ばせて移動した。
しゃー。電気給湯器の重低音を背景に勢いよく湯が吐き出されている。
(しまったーっ! 彩世ちゃんが先にシャワーを使っているーっ! ラッキー!)
洗面台に正対するように浴室がある。洗濯もここでできるようになっていて、浴室と洗濯機の間には専用シェルフも置いてある。シェルフの上下に大きさの違う円筒形の籐籠が付属している。上籠は浅い作りのオープンタイプ、そして下籠は深めで蓋も付属している。
上籠にはマイクロファイバーのバスタオルがアロマ柔軟剤の良い芳香を放っている。彩世ちゃんの好きな銘柄だ。ふかふかのバスタオルをめくると、洗いたての下着や部屋着が持ち主の肢体を今か今かと待ちわびていることだろう。
そして、籐蓋で封印された下籠の中には、さっきまで彩世ちゃんの美躯を覆い隠していた布地がある。この籠の中に、目の前の宝物箱に……!
(いけない、こんな邪な考えを抱くなんてダメ)
好奇心に振り回され、本能のままに愚考を犯すなど動物と同じ。理性でもって感情を律し、欲望の許容量の最大値を制御してこその人間だ。いくら彩世ちゃんのことが大好きでも、人間としての品性と礼儀と尊厳を失っては意味がない。警察に逮捕された有象無象な変質者たちとなんら変わりない。
手のひらに“ただの洗濯物”と三回書いて飲み込む。これであたしのイケナイ煩悩は消えるはずだ。念のためにもう三回だけ書いて飲み込んでおく。
しゃー。
二段階の引き戸式の浴室扉、二メートルほどの長方形強化ガラスが彩世ちゃんの輪郭を浮かび上がらせる。当然ながら透明ではなく、不透明仕様だ。お父さんのシャワーシーンを間違って見てしまう危険はないが、このときばかりは高純度クリスタルに置き換われば良いと切に願う。
(いっそマジックミラーにでもなれば……いけない!)
あたしはぶんぶんと頭を振って、すぐさま手のひらに”すりガラス”と六回書いて飲み込んだ。煩悩退散。
しゃー。――――、――――、――――、――――きゅっ。
彩世ちゃんの肌色がまぶしい。反射板でも使用しているかと勘繰ってしまうほどの艶めき。浴室内でシャワー撮影会でも行われているのかと疑念を抱く。私服や制服から見える部分はとても綺麗で、染みのひとつもない。日焼けにもかなり気を使っているようだ。直に見たことはないが、きっと全身のどこに至るまでが美に包まれているに違いない。
(ああ、彩世ちゃん。あたしだけの天使、あたしの女神様、あたしだけの……)
カラカラカラ。
「あ、ゆらかちゃん」
(はぁ……、……。はぅぁっ!?)
「ゆらかちゃんもシャワー使いたかったのね。全然気がつかなかった、ごめんね。結構待たせちゃったかな」
すりガラスという御簾が開かれて、女神様が降臨なされた。そのお姿はまさに、生命の源典たる水の中から誕生したかのように、髪を、頬を。体中には水滴の天衣を纏いて、憂いと慈愛に満ちた神々しいまでの双瞳をあたしに注いで下さっているのだ。
「すっごい寝癖がついててね、ゆらかちゃんに見られたら恥ずかしかったの。一緒だね」
女神様は優しく微笑みながら、その身を聖布で包んでしまわれた。あたしが神託の意味を理解し後頭部を押さえたのは、女神様が聖衣に身を包み終えた後だった。
「髪乾かしたらすぐ朝食の準備するから、ゆっくりめに入っててね」
「ぅん、わかった」
「ありがと、ゆらかちゃん」
浴室に入って扉を閉めてから、あたしはパジャマを脱いだ。ドライヤーをかける彩世ちゃんに見られないように脱いだパジャマを下の籠に入れる。扉の影に隠れながらも洗面台の彩世ちゃんと鏡越しに目が合ってしまう。彩世ちゃんはニッコリしてくれたけど、あたしはペッタンな裸を見せたくないからすぐに扉を閉めた。
(あぁぁ、嫌な感じに思われたかもしれない!)
笑い返せば良かったと後悔する。最悪だ。せっかく朝から彩世ちゃんの綺麗な肢体を目に焼き付けたと言うのに、肝心の交流が躓いては意味がない。
それにしても、彩世ちゃんの美躯を見て満足しているのに、自分の裸体を見られるのはとても恥ずかしい。我ながら自分勝手だと反省している。
(でも、しょうがないんだもん。彩世ちゃんはムネも大きいし腰も細いし、脚のラインもすっごく綺麗でモデルさんにも負けないくらい可愛いけど、あたしなんか……)
自分の裸体に目を落とす。彩世ちゃんがアルプス山脈なのにたいして、あたしは平野だ。彩世ちゃんを細身と呼称するなら、あたしは鶏ガラだ。高二の彩世ちゃんと小五のあたしを比べると別段、不思議なことではない。モデル級の美少女と、ただの子供。比較するだけで不敬罪が適用される。
(でも、彩世ちゃんにはみっともない姿なんて知られたくない。あたしの理想の女の子、美少女、天使、女神様な彩世ちゃんにだけは変に思われたくないし、嫌われたくない。ゼッタイ!)
しゃー。
蛇口を捻り頭からシャワーを浴びる。あたしにはちょっと熱い43℃。高校生の彩世ちゃんが浴びていた温度だ。寝ている間に掻いてしまった背中がヒリヒリしたので、少しだけ湯音を下げた。41℃と42℃の、ちょうど中間。
1℃半が、いまのあたしと彩世ちゃんの違い。
とっても大きくて、とっても広くて、とっても遠い、1℃と半分。
いつかは追いつきたい。隣で胸をはって並びたいと願ってやまない。
あたしの大好きな彩世ちゃん。あたしのお母さんが好きになった男性の一人娘。あたしとお母さんにとっての新しい家族。
あたしが初めて好きになった女の子、“あたしだけの”お義姉ちゃん。