受験戦争
初めてですし、文章を書くのは下手な方ですので、面白くないですがすみません。
これは私が小学生のころの話だ・・・。
「またそんな問題もできないのかよ・・・。」呆れた声が教室中にやまびこの如く響き渡る。私はきっと顔を真っ赤にしていただろう。このような言葉を聞くのはもう何度目なのかもわからなくなっていた。
僕は普通の公立小学校の普通の生徒だった。
4年生くらいまでは普通に友達の家によく行ってゲームやカード、時には缶蹴り等をしたりして遊んだりしていた。親はお世辞にも学歴が高いとは言えないし、裕福でもなかった。ただ普通の人よりほんの少しだけ勉強ができた。まだ周りには僕より優秀な人が多少いるくらい。格別勉強が好きだったわけではないしむしろ普通の人と同じように大嫌いと言ってもよかった。
小学校高学年になると塾に入った。受験専門の進学塾だ。後に聞くと僕が入りたいと言ったと親は言うけど、そんなこと言った覚えはないから今となっては本当はどうかはわからない。
塾は学校とは違った。やっていることがわからなかった・・・。それからは塾へ行く度に
「そんなんじゃどこも受かんねーぞ」と怒られ、しまいには
「そんなのもわからないのか・・・。」と呆れられる始末。小学生の僕にとってはかなり厳しいものがあった。桜の咲く頃だった。
そんな生活が1年近くも続いた。小学生にも関わらず宿題でほとんど眠れないという日さえあった。夏休みともなれば1日10時間以上の勉強を余儀なくされた。とうとう僕は塾に行きたくなくなってしまっていた。親にはそんなことは相談できず一人で抱え込んで悩み続けた。
それからというもの塾の日は寝たフリをしたり頭痛がすると言ってみたりしてどうやって親に言い訳して塾を休むことだけに頭を働かせるようにしていた。塾を休みたいが為に涙をこぼす日もあった。その頃にはもう目が悪くなっていて眼鏡をかけはじめていた。
その頃からだっただろうか、
「ガリ勉、ガリ勉」と言われ今まで仲の良かった友達からですら疎外感を味わうようになったのは・・・。きっといじめと呼ぶには遠いものだったのだろうがそれでも確実に僕の精神は少しずつ音を立てて崩れていった。
それからというもの(自分は何故こんな思いをしなければならないのだろう。何故生きているのだろう)と思うようになり、暇さえあれば痛くなくて簡単に死ねる方法を探していたように思う。気付けば勝手にベランダに一人で出ていたこともあった。夏の暑いころだった。
僕は少しでも友達との関係を修復しようと思い、黙って塾が始まるちょっと前に友達の家に遊びに行くようにした。塾で怒られる日々よりはずっと楽しかった。
そんな僕を見兼ねてかとうとう親も諦めたようで塾を休会しようと言った。僕の答はもちろんイエスだった。
それから僕は遊びにたくさんの時間を費やした。睡眠も満足にとった。友達ともまた仲良くなった。さらには学校の陸上の練習にまで朝夕加わるようになった。僕はもう満足していた。
気付けばもう雪の降る頃になっていた。この季節になるともう受験の始まる頃だった。さすがに親もまた塾に行かないかと言うようになっていた。僕はついにやってみようと思った。あと二ヶ月ではもう遅いということも塾の人達に白い目で見られるんだろうなぁということもわかっていた。
僕は塾に復帰した。案の定わからないどころか聞いたこともないような内容のことを授業でやっていたが僕はそれでも必死だった。
受験の日はあっという間にやって来た。
僕はきっと見た目だけは周りと遜色なかっただろう。
試験開始の合図とともに解答用紙、問題用紙をひっくり返す音、周りがペンで答を書く音だけが耳に入ってくる。僕も必死で答を考えた。今となってはどのような問題だったかすら思い出せない。ただ覚えているのは試験終了合図はあまりにも唐突で、僕の解答用紙は半分以上が白いままだったということだけだ・・・。
私は結局第一志望とは程遠い学校に奇跡的に引っ掛かり、今は安泰な生活をしている。
ただ私が言いたいのは大人の希望を子供に押し付けず、自分から言い出せない子供が多いので、子供の悩みだからといって軽く考えずに、大人がそこに気付いてあげて少しでも悩みを和らげて欲しいということである。