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 結局その穴を通り抜けて向こう側へ行くのは泉のみとなった。

 不思議と銀河は、「内側の建物、ここから十フィート先ほどにダクトがある。そこにはレーダーが設置されていないから自由に潜り込めるし、まっすぐに実験室へ抜けることができる。足がかりになる」と、まるで見てきたかのように的確に言ってのけた。

「なんで知ってんの?」という泉の問いには、

「さあ?」と含み笑いを浮かべただけで。

「でも、ギンガはどうすんのさ。アタイだけ中に入っても……きっと、捕まっちゃうよ。見張りの装置もどうやったら切れるのか分かんないよ。どうすりゃいい?」

「そこにいてくれるだけでいいよ」

 銀河が唐突に言ったので、泉はぼっと頬を染めた。もちろん彼がそのような意味で言ったわけではないと知りながら。あわてて熱を振り払いながら再び尋ねる。

「で、でも、他に入る場所ねぇだろ。赤い線だらけだったじゃねぇか」

「ん。だから、泉をどうしようかと考えていたんだ。俺は自分自身を殺せるから……」

「殺せる?」穏やかでない言葉を聞き、泉が眉をひそめる。「殺せるって、どーいう意味」

「そのまんま」にこっとほほ笑んだ銀河は、彼女を追い払うように軽く背中を押した。「大丈夫、マイクロカメラは心配するな。ただし少しでも逸れちゃいけない。このまま線上にまっすぐ歩いて、まっすぐ穴を潜り抜けるんだ。そうしてその場で俺が来るのを待って。いいね?」

「あ、ああ……」

 腑に落ちないまま、泉は指示通りに歩き始めた。迷うことなくまっすぐに穴へ近寄り、トンネルの向こう側をうかがった。もちろん、銀河が安全だというからには絶対に安全に違いないと、頭の中では信じ切っていたが、気分の問題だ。そうして実際何もないことを確認するとするりと穴を抜けた。

 目の前にそびえるのは、見たことのある建物。懐かしくもない、見慣れてもいない。ずっと内側にいたから、見たのは脱出するときの一度のみ。そのときも泉は、この小さなトンネルを潜って外の世界へ出る前に、こうして立ち止まって監獄を見上げた。あのときよりももっと仰々しく重厚に見えたが、恐怖感はなかった。きっと銀河と一緒なせいだと泉は思った。

 その銀河がどうしているのか知る術はなかったし、不安感が一気に噴き出してきたが、飼い犬が主人を待つように黙って待ち続けた。それ以外に自分ができることはないと知っていたから。せめて、銀河の足手まといにならないように忠実に言いつけを守るくらいは──

「イズミ」

 背後から聞き慣れた穏やかな声が聞こえ、泉は弾かれたように振り向いた。銀河が変わらない穏やかな笑みを浮かべている。

「ギンガ!」思わず駆け寄った泉は彼の胸に飛び込み、両腕で抱え込むようにして顔を見上げた。「よかった、無事だったんだ。どうやってヘイを越えてきたんだよ?」

「言っただろう、俺は俺を殺せる……つまり、いないことにできる」

「いないこと?」泉が首を傾げる。

「そう」と銀河。「誰からも見えなくなる」

「分かんないなぁ」

 眉をひそめる泉の肩を優しく掴み、銀河はそっと引き剥がした。

「分からないならいいよ。行こう」

「つまりさ、透明人間になっちゃうってこと」

 泉はまとわりつくように追尾しながら尋ねた。銀河が微かに笑う。

「うーん、その限りではないね。姿が消えるわけじゃない。俺はちゃんとその場に存在する。だけど、他からは見えない。つまり、騙すんだ。目を騙す」

「アタイにもできる?」

「できるかもしれない」足を進めながら、銀河はあくまでも穏やかに泉の素朴な質問に答えた。「光の屈折を利用するだけだから、あるいは理論さえ知れば」

「リロン? 何それ?」不思議そうに目をぱちぱちさせた泉は、しかしにかっと大輪の笑顔を浮かべると無邪気に銀河を振り仰いだ。「まあいいや。難しいことは分かんないけど、ギンガにくっついてれば平気だろ。アタイを守ってくれるんだろ」

 少し意外そうな表情を浮かべて泉を見下ろした銀河は、肯定しなかったが否定もしなかった。そして壁に茶色く錆びた鉄製のフェンスを認めると、その前に跪いて軽く手を這わせた。四隅を止めているボルトは同様に錆びていて硬かったが、なんとかなりそうだ。脳の前方に軽く力を込めて "捻る" と、ボルトは簡単にぽろぽろと外れて地面に落ちた。

「わ、すげぇ」声を上げかけた泉が慌てて口を塞ぎ、きょろきょろ周囲を見渡してから声を潜める。「手で触ってもないのに……やっぱ、ギンガもアタイと同じなんだね。サイってやつなんだろ」

「俺は少し……」違うと反論しかけ、銀河はその言葉をのみ込んだ。

 泉の瞳は嬉しそうに輝いている。彼女は自分だけが狂った実験の被験者ではないのだと知り、安堵し、喜んでいる。それをわざわざ頭ごなしに否定することもないだろうとの気遣いからだ。それに実際、何も違わない。人と違う、異質な能力を持っているという点では。

「これはずっと昔に作られたダクトなんだ。だから、中も古いまま。その分たっぷりと汚れは溜まっているが……」

 銀河が二人の服に目を向ける。泉はハハ、と乾いた笑いを漏らした。彼の瞳は "構うことはないだろう" と言葉を続けている。実際その通りで、二人とも、まとっているのはほとんど薄汚いボロ切れ同様だ。

 ダクトの中には、不思議な臭いが充満していた。決して良い意味ではない。嗅いだ瞬間に鼻が麻痺してしまうほどの、強い刺激臭。薬品の臭いにも似ている。泉は毒なのではないかと心配したが、銀河が平気な顔で進んでいるのを確認すると、大丈夫なのだと自分自身に言いきかせて後に続いた。

 狭い金属の中では、少し声を漏らすだけで反響して大きく聞こえる。だから泉は必死で息を潜めていた。しかしそれに反し、

「少しだけ聞かせてくれないか」銀河はあっさりと──もっとも、小声ではあるが──声にして切り出した。

「何を?」泉が聞き返す。

「両親のこと。嫌なら "じいちゃん" の話でもいい」

 何を急にと思ったが、泉は律儀に話し出した。

「なんも、特別なことなんかねぇけどさ」と前置いて。「父ちゃんと母ちゃんのことはあんまり覚えてねぇから、じいちゃんの話するよ。じいちゃん、昔は紡績工場で働いてたんだってさ。知ってる? あの、一番おっきいのあるだろ、あそこで。リーダーって呼ばれて、たくさんの人の上司だったんだって。それがじいちゃんの自慢なんだ。だけど、アタイを育ててくれてたときにはもう辞めて、ずっと家で暮らしてた。ジコで片方の手が無くなっちゃったんだって。工場はいっぱい金をくれたけど、じいちゃんはそれ以上働かせてもらえなかったんだ」

 泉の一方的な話を銀河は黙って聞いている。狭い四角い空間が思い出話で溢れてゆく。

「だから母ちゃんがアタイを連れてきたとき、本当はじいちゃんもいらなかったみたい。でも、大切にしてくれたよ。母ちゃんがアタイを売るって決めたとき、泣きながらヤメロって言ってくれたの。だからアタイ、売られてくことに決めたんだ。じいちゃんがアタイを本当に好きでいてくれるんだって分かったからさ」

「……逆じゃないのか?」銀河がぽつりと口を挟んだ。

「なに?」

「お前のじいちゃんは、お前に側にいて欲しかったんだろう。なのになぜ "だから売られていくことに決めた" んだ?」

 泉があっけらかんと笑う。

「バッカだな、ギンガ……だって、好きだから役に立ちたいって思うじゃん。アタイ、本当は知ってたんだ。じいちゃんもギリギリだったんだよ。心配かけさせないように、アタイにはそれなりのメシ食わせてくれてたけど、じいちゃん、ほとんど食べてなかった。それに、だいぶ前から家にある時計とか皿とか、じいちゃんが工場にいたとき表彰されてもらったメダルとか……少しずつ無くなってた」


 泉の祖父は、孫の生活を守るために、自らの食いぶちを減らした。そうして過去の栄光すら売り払った。工場に貢献していたことを誇りとする老人はその証を孫のために捨てたのだ。しかしそれは本当に泉のためと言えるのだろうかと銀河は怪しんだ。結局その献身が仇となり、心優しい孫娘は祖父を護る為に自己犠牲に身を投じた。思いやりの押し付け合いなのではないかと銀河には思えてならない。

 しかし、それならばどうすべきだったのか。二人共に朽ち果てるべきだったのか。結局、身を売ることで泉は生きながらえたし、老人は──少なくとも彼女が去ったあと少しは──飢え死にせずに済んだだろう。もっとも、孤独感から衰弱してしまった可能性はあるが、ともあれ、その頃の二人にとっては最善の策だったのではないか。

 それなら椎名秋人の選んだ道はどうだったのか。彼は一体、何のために、誰のために修羅の道を選んだのだろう。彼自身のためなのか、愛する妻のためなのか、息子のためか──いや、と、頭の中で否定した銀河は口の端を歪めた。少なくとも息子のためではない。それを知っているからこんなにも父親に憎悪を向けているのだろうか。全てを投げ出してまで捜し続けているのか。つまり、本当に俺が望んでいるのは 父 親 に 愛 さ れ る こ と な の か──

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