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 戸惑った銀河は少しの間のあと、ゆっくりと小指を泉の小指に絡ませた。彼女がひときわ大きな笑顔を顔に載せる。

「ゆーびきーりげんまん、うっそついたら、はーりせんぼん、のーます」歪なメロディに合わせて歌った泉は、最後に反動をつけて小指を離した。「ゆびせんぼん!」

「ゆびせんぼん?」銀河が怪訝そうに表情を曇らせる。「ゆびきった、じゃないか?」

「えー、違うよ。せんぼんだろ」

「だって、ゆびきりだろ……」

 呟きながら、銀河は昔の記憶を思い出した。ゆびきり。白く細い柔らかい小指は温かだった。小さな銀河の指をそっと優しく絡め取り、ゆっくりと上下に揺らす。透き通った声がたおやかにメロディを紡ぎ出す。


 ゆびきりげんまん 嘘ついたら針千本のます――

 歌い終えた彼女は、繊細なビードロ細工を扱うかのように、優しく銀河の小指を離す。そうして微笑む。

 ゆびきった。


「だって、はりせんぼんのますんだろ!」

 その幻影は泉の大声によってかき乱され、すうっと頭の奥へ消えていった。

「……そもそも "はりせんぼんのます" の意味を分かっているのか?」

 銀河の質問にたじろいだ泉が視線を泳がせる。

「え……アレだよ、あの、一種だよ……トカゲとかの?」

「分かってないんじゃないか」銀河がくすりと笑う。「針を千本飲ませる、という意味だ。もし約束を破ったら、それだけきついペナルティを受けるという誓約」

 分かったのか、分かっていないのか、ともあれ大きな瞳をさらに大きく見開いた泉が、興奮した様子で銀河に詰め寄る。

「ギンガ! 今、笑った! 笑ったよな、な?」

「え、いや……」

 銀河の戸惑いなどお構いなしで、夜も更けているというのに泉は大声で話続ける。もっとも周囲に民家などないし、テントの住人たちも相変わらずいるのかいないのか、辺りは清閑としていたが。

「可愛い顔してるじゃん! そうだよ、いつもその顔でいろよ、なっ? そいで、そのせーやくとかって話なんだけどさ、ようは、もしギンガが約束破ったら、なんか罰を受けるってことなんだろ。で、アタイ考えたんだけどさ、罰ってのもなんか、おっかない感じだし、芸がなくねえか? だから、こういうのはどうだろう。もしギンガが約束破ったら、泉ちゃんの言うことを一つだけ、なんでも聞く! ってのは……」

 普段であれば冷静にその案を却下できたはずなのだが、泉にペースを狂わされっぱなしで思考回路が全く動いていない銀河はあっけに取られ、マシンガンのような彼女の言葉をかみ砕いて理解する余裕すらなかった。それを無言の了承ととった泉がにやりと口角を上げる。

「ようし、決まりだ! だとしたらアタイも、お願いごとを何か考えておかなくっちゃな」

「お、おい……」

 感知しないところでトントン拍子に決まってしまった決定をいまいち理解できず、銀河は慌てて泉を引き留めたが、

「そうと決まれば今日は寝ようぜ。明日、アタイがちゃんと第三研究所まで道案内してやっからさ」

 椅子にしていた石を持ち上げた彼女は再び少し離れた位置へ持っていき、

「夜ばいすんじゃねーぞ!」

 最後にキッと銀河をにらみ付けるとそのままゴロリと横になった。


 それきり。先ほどまでうるさくしゃべり続けていた姿は幻想だったのではないかと思えるほど、口をつぐんだ泉は動かない。やがて肩が規則正しく上下し始め、それを見届けた銀河は深いため息をつき、たき火に向き合い、再びバケツの水をゆっくりとかき混ぜ始めた。

 単調な作業を進めながら一点を凝視していると、自然に思考が外界から遮断され、内へ、内へと潜ってゆく。再び現れた女性の幻影が小指を差しだし、銀河もまた再び絡ませる。優しいゆびきりの時間が始まる。


 ゆびきりげんまん


 メロディを小さく口ずさむ女性の、


 嘘ついたら


 色素の薄い肌も、髪の色も、銀河のそれとそっくりだ。


 針千本


 銀河の全てが母親譲りだ。切れ長の、二重の瞳も、高い鼻筋も、薄い唇も。


 のぉます


 彼女は最後にふわりと微笑む。必ず微笑む。絡めた指を離すのが名残惜しい銀河を諭すように。大丈夫、どこへも行かないから、大丈夫。そう言いきかせるかのように。


「ゆびきった」


 小指を離した後、彼女は必ずこう言う。

「約束。ね、銀河。お母さん、ずっと側にいるからね。ずっと銀河を守ってあげる。大丈夫よ……」



 椎名雪は、その名の通り、雪の精霊であるかのように儚げな美しい女性だ。全身の色素が薄く、病弱で、大抵は病床に伏せている。父親と共に病院を訪れると、どのような状況であれ必ずベッドに体を起こした彼女は息子を引き寄せ、自分と同じ、色の薄い猫毛を撫でながらゆびきりをする。どこにも行かないと、いつも必ず側にいると、彼女自身を暗示にかけるように誓うのだ。

 秋人は常に、そんな妻と息子を一歩さがった位置から見守る。彼は妻の体調を誰よりもよく把握している。彼女の生命があと数年もたないことを知っている。

 雪を妻に迎えると決めた頃から、秋人は難病の研究に没頭するようになった。彼女を少しでも側に引き留めておくために、寝る間も惜しんで研究を続ける。そのために、妻と過ごす時間を全くとれていない事実に彼は気付いていない。

 いつしか彼の目的は、妻の生命を永らえさせることから、生命を永遠に留めておくことに変わってゆく。難病に対する新薬の発案をきっかけとして一気に成功への階段を駆け上り、巨大な製薬会社、VoE《ヴォイス・オブ・アース:地球の声》を創始する。そうしてアキト・シーナは、全世界が認める権威へと成り上がった。

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