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心臓を貫かれ、とっくに停止しているはずなのに、アキトは笑い続ける。笑い声はますます狂乱に、大きくなってゆく。異様な気配が首をもたげ、ぞくりと背筋を逆撫でされた銀河は刀をそのままに、とっさに飛びのいた。
「素晴らしいよ、銀河……お前を殺すのが惜しくなってきた」
刀が貫通したまま、体を起こしたアキトはゆっくりと立ち上がった。そうしてひときわ愉快そうに高笑いをすると、柄を掴んでゆっくりと引き出した。じわじわと刀身が見え始める。じわじわ、じわじわ、ゆっくりと。まるで手品師がトリックで刺した日本刀を抜いているかのように、貼り付いた笑顔の向こうから赤く濡れた鋼鉄が現れる。
さすがに顔色を落とし、銀河は後ずさった。アキトが放り投げた刀が、からん、と足元に転がる。それに視線を落とした銀河は、再びアキトに向けた。
「……貴様……まさか……」
「そう、これが俺の能力」
血に塗れたままにやりと不敵に笑うアキトの表情はこれ以上ないほど邪悪で、背中から黒い翼が生えてきたとて誰も驚かないほど、人間離れしている。彼はおかしな具合に上がった口角の奥から、声に似た音を絞り出した。
「不死者だ」
不老不死。椎名秋人が生涯をかけて研究していた、自然の真理に背く力が今、目の前にある。銀河はごくりと唾を飲んだ。最愛の妻を生き永らえさせるために取り組んでいたはずの研究に取り憑かれた彼は、とうとうその力自体に乗っ取られ、人ではない何かに変わってしまった。
「不死者など……」銀河はフェイを思った。自分を庇って死んだ雪を思った。「限りがあるから美しいんだ。終点のない道はいつか苦痛に変わる」そうして、緩慢に足元の刀を拾い上げると刃先を昔の父親へ向け、別れを告げた。「貴様を終わらせてやる……それが、俺が息子として椎名秋人にしてやれる最後のこと」
「終わらせられると思うか!」
笑いながら銀河に飛び掛かったアキトは拳に全力を載せて床に振り下ろした。物凄い轟音と共に硬いコンクリートが砕け散り、欠片が宙に舞い散る。床を転がって横に逃れた銀河は、素早く体勢を整えると駆け寄った。動きを察したアキトの腕が水平に振り回される。軽く床を蹴って飛び退けた銀河はそのまま刀を振り下ろした。動きを予測したアキトが逆の腕で受け止める。ガギン、と無機質な音が響いて刃が止まる。まるで硬い金属を打ったかのように、ジンと手に痺れが走ったが、構わず素早く刀を返した銀河は胸の高さで刀をヒュッと振り抜いた。
刃が肉を割き、肋骨で止まる──前に、そして割られた肉が閉じようとする前に光速で刀を引き抜いた銀河は、再び腕に刀を振り下ろした。それは、今度は金属ではなかった。生身の腕が落とされ、血が噴き出す。
「があっ!」苦し紛れの咆哮を上げたアキトが蹌踉めき、膝を付いた。
「俺と同じ能力なら、俺が一番良く知っている」凍り付いた目でアキトを見下ろし、銀河は吐き捨てるように言った。「よほど集中しなければ硬化はできない。一カ所に意識を向ければ、他の箇所は無防備になる」
「しかし、同じこと!」血走った目を見開いたアキトがにやりと冷笑を浮かべる。
切り落とした腕の先が、小さな虫がひしめいているかのようにざわざわと蠢くのを銀河は無言で凝視していた。腕が再生していく。ほんの数秒のうちに、失われた組織がみるみる再生されてゆく。
「不死者は滅することなどできないぞ」
「できるさ」何事もないように答えた銀河は、再び刀を構えた。「再生が追いつかない速度で切りつければ……細胞も残らないくらい切り刻んでやる」
「黙れ! 俺は不死だ。不死とは何だ!」
わめくアキトに構わず銀河が突進する。
「死なぬ! 死なないから不死者なのだ!」
「形ある以上、消滅する!」銀河がはねのけるようにアキトの言葉を否定した。
文字通り能力に振り回されるかのように、いろいろな能力を発現させては空回りするアキトとは対象的に、刀だけに意識を載せた銀河は身軽に動くと的確に標的を切り裂いた。全身から血を噴き出すアキトはもはや赤黒い塊でしかない。どんなに再生しようとも、失った血が戻ってくることはなく、貧血で動きはますます緩慢になってゆく。
「そういうことだ、アキト・シーナ」ひときわ高く刀をかざした銀河は、彼の首を目がけて振り下ろした。「所詮、人間……人は神になどなれない!」
刀はアキトの首をはね落とし──はね落とせるものと銀河は思っていた。だが、刀は振り下ろせなかった。
「ダメだ、ギンガ!」いつの間にか覚醒した泉が、刀を握るギンガの腕を押さえている。「ギンガが殺しちゃダメだ! やっぱり、ダメだよ。父ちゃんだろ! なんか別の方法、考えようよ。嫌だよ、アタイ、ギンガが目の前で誰かを殺すの見るのは嫌だよ」
泉が泣いている。大きな瞳からぼろぼろと涙を零して。
彼女との出会いは仕組まれたものだった。確かに泉はアキトに操られるまま銀河を捜し出し、誘導した。だが、それはあくまできっかけに過ぎない。ほんの一日しか行動を共にしなかったが、泉が銀河の心をほんの少しだけ開き、動かしたのは彼女自身の意思であり、本性である。
彼女の手を振り払うことができず、銀河は黙って刀を下ろした。確かに泉の言う通り、すでに決着はついている。実力が僅差ではないことは明確だ。
「……イズミ……いい子だ、イズミ……」
弱々しく声を絞り出すアキトを、泉がキッとにらみ付ける。
「黙れ! アタイがアンタを殺してやりたいくらい……でも、そうしたらアンタと同レベルになっちゃうだろ、だからしないだけ。アタイもギンガもアンタとは違う、人間なんだよ!」
その言葉を聞き、銀河は完全に手を降ろした。アキトに対する憎しみはどこかへ消えていた。残るは憐れみばかり。目の前にいるのは、人間の道を踏み外した弱い存在だ。泉の言う通りかもしれない。知って手に掛ければ、きっと、もう人ではなくなってしまうのかもしれない。
「……不死者など存在しないと、思い知れ」銀河は刀を鞘に戻し、彼に背を向けた。「次回、もしも顔を合わせたら……そのときはまた……」
泉が笑顔で銀河を見上げる。「ギンガ……行くのか?」
「ああ。行こう。もういい……」
呟き、足を進めかける銀河の腕を泉が取った。