第7話 氷の公爵の怒り
アネットの返事を受け取ったアルベルトが、直接公爵邸を訪れたのは三日後のことだった。
「グランツ侯爵家嫡男、アルベルト・グランツ様がお見えです」
クラウスの報告を受けたルシアンは、書類に走らせていたペンを止めた。
「……門前払いにしろ」
「旦那様、それが——」
「面会の約束はしていない。追い返せ」
「アルベルト様は『アネットに会うまで帰らない』と仰せで、門の前に居座っておられます。このままですとご近所の目もございますし……」
ルシアンは舌打ちした。珍しい感情の発露に、クラウスはわずかに目を見張る。
「応接室に通せ。——アネットには知らせるな」
「かしこまりました」
応接室に入ると、アルベルト・グランツは我が物顔でソファに腰を下ろしていた。金茶色の髪を整え、高価な装飾品で着飾った姿は、いかにも侯爵家の嫡男といった風情だ。
「これはこれは、ラヴロック公爵。急なお願いにもかかわらず——」
「要件を言え」
ルシアンは座りもせず、冷たい視線でアルベルトを見下ろした。
「はは、相変わらず素っ気ないですね。では単刀直入に。アネットを返していただきたい」
「返す?」
「ええ。彼女は元々僕の婚約者です。一時の感情から婚約を破棄してしまいましたが、やはり彼女は僕のもとに——」
「何の権利があって、そう言える」
ルシアンの声が一段低くなった。部屋の温度が下がったような錯覚すら覚える。
「彼女を不要と言って捨てたのはお前だろう。『代わりなどいくらでもいる』と」
「……あれは、その、軽率でした。若気の至りというか——」
「若気の至りで五年間の信頼を踏みにじったのか」
アルベルトの顔が引きつった。社交界で「氷の公爵」と恐れられる男の威圧は、想像以上だった。
「待ってくれ、ラヴロック公爵。僕はただアネットと話がしたいだけだ。それだけ許してくれれば——」
「断る」
「しかし——」
「彼女はお前に返事をしただろう。断ったはずだ。それでもなお押しかけてくるのは、紳士の振る舞いとは言えないな」
アルベルトは立ち上がった。
「公爵、あなたにアネットを引き止める権利はないでしょう! 彼女はレイヴンクロフト家の令嬢だ。あなたの所有物ではない」
「所有物?」
ルシアンの瞳に、危険な光が宿った。
「所有物だと思っているのはお前のほうだろう。必要なときだけ手元に置き、不要になれば捨て、また必要になれば呼び戻す——それは物に対する扱いだ」
「ぐっ——」
「本当のことを言おう、グランツ」
ルシアンは一歩、アルベルトに近づいた。長身の公爵に見下ろされ、アルベルトは無意識に半歩後ずさる。
「ホルスト家が告発された話は知っている。お前がアネットを欲しがっているのは、愛情からではない。セレナ・ホルストの後ろ盾を失って、代わりの駒が必要になっただけだ」
図星を突かれたアルベルトの顔が、みるみる蒼白になった。
「そ、そんなことは——」
「違うと言うなら、なぜホルスト家が告発される前にアネットに謝罪しなかった。三週間もの間、一度たりとも」
アルベルトは言葉を失った。
ルシアンは窓に目を向けた。窓の外には、アネットが丹精込めて蘇らせた庭が広がっている。花壇に咲き始めた花々が、午後の光を受けて輝いていた。
「彼女は今、あの庭を蘇らせている。誰にもできなかったことを、たった三週間で成し遂げようとしている。枯れた木に花を咲かせ、死にかけた薬草を蘇らせ——」
ルシアンは振り返り、アルベルトを真正面から射抜いた。
「彼女は私のものだ」
その一言に、部屋の空気が凍った。
「二度と近づくな。次はこんな穏やかには済まないと思え」
「……っ」
アルベルトは何か言い返そうとした。だが、ルシアンの銀灰色の瞳に宿る冷たい怒りを見て、口を閉じた。
最後に悔しげに唇を噛み、足早に応接室を出ていった。
アルベルトが去った後、ルシアンは深く息を吐いた。
「……言いすぎた」
『彼女は私のものだ』——我ながら、何を口走ったのか。感情に任せた発言など、普段の自分からは考えられない。
「いいえ、旦那様。大変結構なお言葉でございました」
いつの間にか応接室に入ってきたクラウスが、実に満足そうな顔で佇んでいた。
「……聞いていたのか」
「執事の務めとして、万が一に備えておりました」
「盗み聞きの間違いだろう」
「とんでもございません。——ただ」
クラウスは穏やかに微笑んだ。
「『私のもの』と仰るからには、然るべき手順を踏まれたほうがよろしいかと」
「……出ていけ」
「かしこまりました」
一礼して去っていくクラウスの足取りが妙に弾んでいたことを、ルシアンは気づかないふりをした。
その頃、庭にいたアネットは、何も知らなかった。
ただ、夕食の席でルシアンがいつもより饒舌だったことと、いつもは食べない甘味に手を伸ばしていたことが、少し気になっただけだった。
「ルシアン様、何かいいことがありました?」
「別に」
「そうですか? 今日は機嫌がよさそうに見えますけど」
「……気のせいだ」
気のせいではないことは、食卓のフルーツを一切れ多くアネットの皿に乗せてきたことからも明白だった。




