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第十四話 告白


 夏の終わりの風は、過ぎてゆく季節に、どこか名残惜しさを含んでいるかのようだった。フェリシアは、学園三年の夏の休暇で、公爵邸に帰ってきていた。

 クレイは、珍しく庭に出たいと言ったフェリシアと二人、公爵邸の庭園を歩いている。この夏の休暇は外に出かけることが多かったものだから、二人で庭を歩くのは、随分と久しぶりのことだった。

 庭園の奥、人の気配の少ない小路で、フェリシアは足を止める。


 静かに振り返ったフェリシアは、クレイがこれまでに見た誰よりも美しかった。黄金を溶かしたような金髪に、エメラルドでさえ恥じらうような輝きを秘めた翠の瞳。”画聖”と呼ばれた名画家による美人画も、式典のパレードで遠目から拝見した王妃様も、フェリシアにはきっと及ばない。本当に、美しかった。


「クレイ」

「はい、お嬢様」


 いつも通りの距離。いつも通りの声。クレイはこの夏の休暇の間中、ずっとフェリシアの傍にいた。湖畔でピクニックをしたり、遠乗りに行ったり、お忍びだと言って街で買い物をしたり。海に行った日もあった。久しぶりにあれがしたいこれがしたいとねだるフェリシアを、クレイは存分に甘やかした。幸せな時間だった。

 それが、今日で最後になると、お互いに分かっていた。夏季休暇が終わるという意味ではない。本当の意味で、最後なのだ。


「この夏季休暇が終われば、私は学園に戻ります」

「……存じております」

「卒業まで、公爵邸に戻る機会はありません。卒業後も、めったに戻ることは出来ないでしょう」


 フェリシアは、第一王子の婚約者だ。卒業後はすぐに王宮へ登城する手筈になっている。妃教育の仕上げのためだ。

 フェリシアの言うように、王宮へ入れば、もうめったなことでは実家に戻ることもできなくなる。王都にあるタウンハウスであればまだしも、リーデンバルド領の公爵邸へは、それこそ結婚後の花嫁領でのパレードまで戻れないだろう。


「つまり――もう、あなたとこうして過ごすことは叶いません」


 フェリシアは、そこで言葉を切った。フェリシアの形の良い唇が、一度小さく震える。

 クレイは何も言わなかった。ずっと前から、分かっていたことだ。自分の役目は、フェリシアを悪役令嬢にしないこと――それはつまり、フェリシアを第一王子妃として送り出すことだ。

 そうなってしまえば、フェリシアは、クレイには手の届かない人になる。貴族の出身である侍女たちは、王宮にもついていけるだろう。だが、ただ家がリーデンバルド公爵家に代々仕えているだけの平民であるクレイは、そうはいかない。この夏季休暇が、フェリシアと過ごせる最後の機会だった。


「だから……心残りは、なくしておきたいの」


 フェリシアは一歩、距離を詰める。その指先が、わずかに震えていた。

 フェリシアが、クレイをまっすぐに見つめる。深い翠の瞳が、クレイを射抜いた。


「――クレイ、あなたを愛しています」


 逃げ道のない言葉だった。曖昧さも、含みもない。

 クレイの瞳が、はっきりと揺れた。


 それでも――クレイは、動かなかった。


 フェリシアは、静かな面持ちで彼を見ていた。彼は、視線を逸らすことも近づくこともせず、ただ静かにフェリシアを見つめ返した。


 その瞳に宿る感情を、フェリシアは確かに見た。驚き、動揺、そして――だが、それはすぐに深く沈められる。フェリシアには、すぐに見えなくなったその感情を確信できるだけの自信は、持てなかった。


「……お嬢様」


 クレイの声は、いつもよりわずかに低く、掠れていた。


 彼はゆっくりと微笑む。

 それは、フェリシアが幼い頃から何度も見てきた、従者としての穏やかな笑顔だった。

 フェリシアの指先がぴくりと揺れる。言葉を選ぶように、クレイが一度息を整えたのが分かった。


「私は、ただ……お嬢様の幸せだけを、心から願っております」


 その声は、静かで柔らかかった。


 肯定も、否定もない。愛しているとも、愛していないとも言わなかった。けれど――それ以上の言葉が、続かない。

 フェリシアは一瞬だけ目を伏せる。そうして、理解した。


 ――ああ、この人は。

 自分の気持ちを分かっていて、それでも応えないのだと。


「……そう」


 声が震えなかったことに、フェリシアは自分でも少し驚いた。最初から、分かっていたからかもしれない。


「そうね。……クレイは、そういう人ですもの」


 フェリシアは微笑んだ。それは泣かないための笑顔だった。

 クレイは――文字通り、生まれた時からフェリシアを守ってきてくれたフェリシアの大事な人は、本当に、心からフェリシアの幸福を願ってくれている。そして、彼の思うフェリシアの幸福は、自分の隣にはないと思っているのだろう。


「今日のことは、私のわがままです。困らせたわ、ごめんなさい。でも……言えてよかった。言わなかったら、きっと後悔しましたから」


 クレイは何かを言いかけて、結局、何も言わなかった。クレイは深く、深く頭を下げる。そうして静かに言った。


「……お嬢様の未来が、幸福と光に満ちたものでありますように」


 フェリシアは少し笑って、それから踵を返す。振り返らなかった。

 振り返ってしまえば、きっと「それでも」と縋ってしまうから。これ以上、彼を困らせたくなかった。


 クレイは、その背を見送ることしかできなかった。

 伸ばしかけた手は途中で止まり、ゆっくりと握り締められる。


 ――この夏が終われば。

 この距離も、この時間も、すべて終わる。


 それでも、クレイは呼び止めなかった。


 自分が、彼女の未来に踏み込んではならないと知っていたから。

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