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第一話 プロローグ


「まじか〜……」


 クレイは両手を地面に投げ出したまま呟いた。

 六歳の男児らしく裏庭の木に登って遊んでいたところ、バランスを崩して落下、そのまま地面に思い切り頭を打ち――その拍子に、前世の記憶を思い出したのだ。日本に生まれた男性として生きた記憶を。


 クレイは、クレイとして生きた六年の記憶と、随分すんなり馴染んだ前世の記憶を照らし合わせ、大きなため息をついた。


「ここ、()()()()()の世界じゃねえか……」


 長ったらしい正式名称はもう忘れてしまったが、『ヒカオト』と呼ばれていたゲームだ。光の魔力を持つ平民のヒロインが、貴族ばかりの学園に特待生として入学し、学園で出会う身分の高い男子生徒たちと恋に落ちる。まあ、いわゆる乙女ゲームってやつだ。

 クレイは大学時代の一年近く、このゲームをとにかくやり込んだ。とは言っても、別にクレイの趣味だったわけではない。


 前世のクレイには、年の離れた妹がいた。その妹が好きだったのが、件の乙女ゲームだ。大病を患い、小さい頃から入退院を繰り返していたせいで、ほとんど学校にも通えていなかった妹の、数少ない楽しみのひとつがそのゲームだった。シリーズで何作か出ており、前世のクレイも妹にせがまれてよく攻略を手伝っていたのだ。

 前世のクレイは医大に進んだ。いつか妹の病気を治してやるのが夢だったのだ。大学二年の頃、妹の好きな乙女ゲームシリーズの新作が出た。バイト代で買ってやると妹は喜んだが、その頃には、もう起き上がるのも一苦労するほど弱っていた。新作はやり込み要素が強かったため、プレイできる時間の短い妹だけではあまり進まない。結局、ゲームは前世のクレイがほとんど進めていた。見舞いの時に新しいストーリーやスチルを見せてやるために、忙しい勉強の合間を縫って随分やりこんだものだった。


 ある日、新しく解放したストーリーを携えて見舞いに行くと、妹はきゃあきゃあ言って喜んだ後、少し寂しそうに『私はたぶんこのゲームを全部クリアできないけど、あにいが私の代わりにクリアしてね』と言ったのだ。その時は笑って流したが、ほどなくして妹は病状が悪化し、帰らぬ人となった。結局、前世のクレイが病気を治すどころか、ゲームすらクリアしきる前に妹は死んでしまったのだ。

 妹の死後、しばらくは何をする気も起きなかった。大学の勉強すら意味のないものに思えていたが、ふと自分の部屋に転がる妹の乙女ゲームを見て、前世のクレイは妹の言葉を思い出した。それから、乙女ゲームを完全クリアするまでやり込み、妹の墓前に添えたのだ。その後、前世のクレイは妹の病気の治療法を見つけるため、医学研究の道を選ぶことになる。


 『ヒカオト』は、前世のクレイにとってとても思い出深いものだった。だから、思い出してすぐに気づいた。この世界は、間違いなく『ヒカオト』の世界だ。


 今のクレイは、国一番の広大な領地を持つ大貴族、リーデンバルド公爵家に仕える従者の家の息子だった。しかも、代々そのリーデンバルド家に仕える家柄で、父は公爵の、兄は公爵家長男の従者をしている。クレイも、いずれは公爵家の子女の従者となるべく育てられてきた。そしてつい先月、公爵夫人がご領地で女の子を出産し、クレイがその従者となることが正式に決定したのだ。

 クレイは、影に日向に主人を支え、主人からも信頼される父や兄の姿に強く憧れていた。ついに自分も父や兄のように、仕えるべき主人を得るのだと、心を躍らせていたのだ。生まれてくるお子様が待ち遠しくて、生まれてからは初対面の日を指折り数えていた。


 だが、記憶を取り戻した今、そうも単純に、自分の状況を喜べなくなってしまったのだ。


 『ヒカオト』には、ご多分に漏れず悪役令嬢が存在する。

 その悪役令嬢こそが、国内有数の大貴族リーデンバルド公爵家の娘、フェリシア・リーデンバルド公爵令嬢――そう、クレイの、仕えるべき主人なのだ。


 ゲームのフェリシアは、攻略対象の一人、第一王子アレクシスの婚約者として登場する。国一番の美姫と呼ばれるほどの美女だが、キツく苛烈な性格で、平民のヒロインを見下し、ありとあらゆる嫌がらせを仕掛ける。子どもじみたイタズラから、犯罪スレスレの悪辣なものまで、とにかくヒロインを虐め抜くのだ。婚約者である第一王子のルートだけでなく、どの攻略対象を選んでも邪魔をしてくる敵役だった。前世のクレイも何度煮湯を飲まされたことか。作中ではバッドエンド以外、どのルートのエンドでも、ロクな結末を迎えない。そして最後には、攻略対象とヒロインに断罪され、家ごと没落するのだ。断罪後のことはさらっと触れられるだけだが、どれも悲惨なものであった気がする。まさに悪役令嬢である。

 作中では、クレイは件の悪役令嬢、フェリシアの従者として登場する。だが、立ち絵やセリフはない。フェリシアのセリフで何度か名前が出てくるだけのモブである。それも罵倒とセットだ。苛烈な悪役令嬢に虐げられる可哀想な従者、という立ち位置で、フェリシアの悪辣さを引き立てるポジションだった。


 まあつまり、このまま行けば、クレイが仕える相手は悪役令嬢となり、虐げられながら従者生活を送ることになる。おまけに、その後は公爵家の没落と一緒に、家族揃って職無しだ。そりゃあ、ため息くらい吐きたくもなるものである。


 そして、今世のクレイの記憶によると――ちょうど明日、フェリシアとの初対面が予定されているのだ。


「明日か……」


 ゲームの中のフェリシアを思い出して、思わず苦い顔になる。あれの相手をするのはかなり骨が折れそうだった。酷い癇癪持ちで、使用人に当たるような描写もあった。加えて、フェリシアの悪行には、前世のクレイもここまでするか?と辟易していたのだ。現代日本の倫理観を取り戻してしまったクレイにとって、彼女の従者として悪行に加担させられるのはかなり抵抗がある。


 だが、当のフェリシアは生後一ヶ月の赤子に過ぎない。彼女はまだ何もしていないのだ。

 つまり、まだ間に合うということでもある。クレイがフェリシアの従者となることは決定事項だ。リーデンバルド公爵からの命令に、クレイが逆らうことはできない。それこそ職を失ってしまう。だが、改めて考えてみると、フェリシアの従者とはそれほど悪くないポジションに思える。何せ、赤子の頃から傍で仕えるのだ。ゲームのフェリシアとて、何も赤子の頃から邪悪だったわけではないはずである。幼い頃から傍にいるのだから、信頼を勝ち取り、どうにかして罪に問われるような悪行をしないように誘導し――最悪、一番やばい事件さえ阻止できれば、少なくともリーデンバルド公爵家が没落するようなことはないだろう。ゲームのフェリシアがやり過ぎただけで、リーデンバルド公爵家は、子女の多少の悪行で潰れるような規模の家ではないのだ。


 リーデンバルド公爵家が没落するのは、クレイも困る。リーデンバルド公爵家はクレイ、そしてクレイの家族の職場でもある。もし没落すれば、家族揃って路頭に迷う羽目になってしまうだろう。ここは現代日本ではないのだ、職を失っても国は助けてくれない。没落した、それも王子やら高位貴族やらから弾劾された公爵家に仕えていたとなれば、再就職も難しい。無職の平民に残されている道といえば、物乞いに身を落とすか、飢えて死ぬかだ。それは何としても避けねばならなかった。


 フェリシアという爆弾さえ制御できれば、国一番の公爵家という、前世の大企業ばりに安定した職場が手に入る。リーデンバルド公爵家の従者の家系とは、生まれでいえばかなり恵まれているのだ。これをみすみすふいにしてしまうのは、あまりに勿体無い。


 クレイは、まだ会ったこともないフェリシアお嬢様を洗脳――もとい、正しく教育することを心に決めた。

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