6話
地下の工房で得た知識は、アルスの脳を絶え間なく刺激していた。
彼が見る世界は、もはや単なる「物」の集まりではなかった。空気は窒素と酸素の複雑なダンスであり、石壁は絶妙なバランスで保たれた原子の檻だ。
「……ここを、こう書き換えるだけでいいのか」
放課後の部室棟。エリナが訓練に励む傍らで、アルスは彼女の「手甲」の調整を行っていた。
地下の円陣から得た『変数』の知識を応用し、金属の表面に直接、魔力を「加速」させるのではなく「沈静」させる微細な術式を刻み込んでいく。
だが、その静かな作業を破るように、部室の重厚な扉が乱暴に蹴り開けられた。
「——そこまでだ、アルス・レーヴェン。および、エリナ・フォン・ローゼリア」
現れたのは、白いマントを羽織った三人組の生徒。学園の治安維持を司る『執行委員会』だった。
先頭に立つのは、三年生の金髪の男、ゼノス。彼は鋭い眼光でアルスを射抜いた。
「執行委員会が何の用かしら? 訓練の邪魔をしないで欲しいんだけど」
エリナが不快そうに剣を置く。だが、ゼノスは眉一つ動かさず、一枚の書状を突きつけた。
「アルス・レーヴェン。貴様には『禁忌魔術使用』および『魔道具不正改造』の疑いがかけられている。学園長直属の諮問委員会が開かれるまで、その身柄を拘束させてもらう」
「禁忌魔術? 冗談はやめて。アルスはただの錬金術師よ」
「ただの錬金術師が、選抜試験であのような奇跡を起こせるはずがない。……さらに、貴様の寮の部屋から不審な魔力反応が検出されている。地下へ続く隠し通路を見つけたという報告もあるのだ」
アルスは沈黙したまま、手元の作業を止めなかった。
どうやら、昨夜の地下探索は完全には隠し通せていなかったらしい。あるいは、彼が手に入れた「銀の指先」が放つ異質な波動が、学園の監視結界に触れたのか。
「黙秘か。……連れて行け」
ゼノスの合図で、背後の二人が「魔力封じの鎖」を手に歩み寄る。
エリナが即座に前に出ようとしたが、アルスがそれを手で制した。
「エリナ、いい。僕が直接説明する」
「でも、アルス! 彼らは最初からあなたを罪人にするつもりよ!」
「大丈夫だ。……少し、実験の続きを外でやるだけさ」
アルスは椅子から立ち上がり、潔く両手を差し出した。
冷たい鉄の鎖が彼の手首を縛る。その瞬間、鎖に刻まれた魔力吸収の術式が作動したが、アルスは顔色一つ変えなかった。
彼の中に流れる魔力は「12」。吸い取るほどの量すら、最初から存在しないのだ。
学園の中庭。移動中、噂を聞きつけた多くの生徒たちが遠巻きに様子を伺っていた。
カイゼルをはじめ、選抜試験でアルスに苦汁をなめさせられた貴族たちが、ニヤニヤと笑いながら見物している。
「おい、ゼノス先輩! そいつは危険ですよ! 魔法を物質に変えるなんて、悪魔の業だ!」
カイゼルの野次に、ゼノスが足を止める。
彼はアルスの襟首を掴み、大勢の前で晒し者にするように声を張り上げた。
「諸君、見ろ。これが『規律』を乱す者の末路だ。魔力値12の無能が、小細工で天才たちを欺こうとした報い……」
「——小細工、か」
アルスの低い声が、広場に響いた。
彼は縛られたまま、ゼノスの足元にある「石畳」をじっと見つめていた。
「ゼノス先輩。あんたのその白いマント、かっこいいな。だが、生地の織り方が甘い。……魔力を通しすぎている」
「何を——」
「結合解除:空間固定」
アルスが呟いた瞬間。
ゼノスの着ていた執行委員会のマントが、一瞬で「鉄の重り」へと変質した。
重さにして数百キロ。突然の重量に耐えきれず、ゼノスは無様に地面に這いつくばった。
「ぐっ!? な、なんだ、この重さは……!? 貴様、何をした!」
「何もしないよ。ただ、布を構成する有機質を、周囲の石畳から抽出したケイ素と鉄分で置換しただけだ。……あんたたちの言う『魔法』じゃない。ただの『配置換え』さ」
アルスは拘束されたまま、一歩前へ踏み出す。
彼が歩くたびに、地面の石畳が波打ち、彼の手首を縛っていた鎖が砂となって崩れ去った。
「最強の魔力を持つエリナが、僕をパートナーに選んだ理由を教えてやる。……僕は、彼女が壊した世界を、何度でも作り直せるからだ」
広場は静まり返った。
魔力値12。
それは、この世界において「無能」の証だった。
しかし今、その数値は何の指標にもならないことを、全員がその身で理解させられていた。
「アルス!」
駆け寄るエリナ。彼女の手には、アルスが先ほどまで調整していたガントレットがあった。
アルスはそれを奪い取ると、倒れているゼノスの目の前に叩きつけた。
「これを学園長に持っていけ。僕がやっているのは、破壊でも禁忌でもない。……『進化』だ」
その日を境に、学園内の「アルス・レーヴェン」に対する評価は、「不気味な無能」から「理解不能な異端」へと変わった。
そしてそれは、学園の外部に潜む、より強大な勢力の耳にも届くことになる。




