13話
月が天頂に達した瞬間、学園を包む夜の静寂は、金属質の悲鳴によって引き裂かれた。
学園の中枢に鎮座し、全施設の灯りと結界を司る「大宝珠」が、何の前触れもなくその輝きを失ったのだ。
「停電……!? いや、魔力供給が途絶したのか!」
「予備結界を起動しろ! 早く!」
パニックに陥る衛兵たちの声を、地下牢の底でアルスは冷ややかに聞いていた。
彼は壁に当てた指先から、微かな振動を読み取っていた。
(……リィナが動いたか。あるいは『12の仲間』を名乗る連中が、魔力回路の接点を物理的に切り離したか。どちらにせよ、今だ)
アルスは立ち上がり、目の前の鉄格子を掴んだ。
普通、この格子には触れた者の魔力を焼き切る呪印が施されている。だが、アルスは魔力を流さない。代わりに、格子の「原子結合」の隙間に、自身の極小の魔力を楔のように打ち込んだ。
(……鉄、炭素、そして付与された魔導言語の記述。すべてを『不連続』に書き換える)
パキパキ、と乾いた音が響く。
強固な鉄格子が、まるで数日放置されたパンのように脆くなり、アルスが軽く押すと音もなく粉々に砕け散った。
「さて。お嬢様を迎えに行くとしよう」
一方、別邸のエリナは、暗闇の中で「銀の針」を自身の右手の甲に強く押し当てていた。
チリッ、と走る激痛。
次の瞬間、彼女の体内で暴れ馬のように荒れ狂っていた膨大な魔力が、一本の「線」となって右腕に収束した。
「……見える。アルスが言っていた、魔力の『指向性』ってこういうことなのね」
武器は没収された。だが、今の彼女には指先一本が名剣に等しい。
部屋を監視していた二人の執行委員が、慌てて扉を開けて踏み込んでくる。
「エリナ様! 動かないで……」
「邪魔よ」
エリナが右手を振る。剣筋をなぞるように放たれた魔力の不可視の刃が、重厚な木製の扉ごと、二人を壁まで吹き飛ばした。
彼女はそのまま、夜の廊下を駆け抜ける。
混乱する学園。暗闇の中、魔導ランプを掲げて右往左往する衛兵たちの隙を突き、二人の影が中央広場で交差した。
「アルス!」
「……いいタイミングだ、エリナ」
ボロボロの囚人服を着たアルスと、ドレスを翻すエリナ。
再会を喜ぶ間もなく、広場を数百の松明が囲んだ。
「そこまでだ、脱獄囚ども!」
副学長バルドルが、重武装の「学園守護騎士団」を引き連れて現れる。彼らの手には、対魔導師用の巨大な盾と、魔力を無力化する投網が握られていた。
「エリナ様、貴女の行動はローゼリア公爵家への反逆とみなされます! そしてアルス……貴様はここで殺しても構わんと許可が出た!」
「許可? 誰からだ。僕の『設計図』を書いた連中か?」
アルスはエリナの前に出る。
彼は逃走の際、地下の備品庫から掠め取ってきた「一握りの砂鉄」を空中に撒いた。
「エリナ、僕の背中に手を当てろ。最大出力だ」
「わかってるわ! 今の私なら、あなたの演算についていける!」
エリナがアルスの背に手を添える。
爆発的な魔力が、アルスという「回路」を通じて砂鉄へと流れ込む。
空中に舞っていた黒い粒子が、一瞬で複雑に絡み合い、巨大な「白銀の蓮華」のような形状へと組み変わった。
「結合、重積、超振動。……『銀華の盾』」
騎士団が一斉に放った矢や魔法が、その銀の華に触れた瞬間、すべてが分子レベルで粉砕され、霧となって霧散した。
「なっ……なんだ、あの盾は!? 魔法を……食っているのか!?」
「いいえ。魔法の波形を読み取って、その逆位相で叩き潰しているだけよ。……アルスの目には、あなたたちの攻撃なんて『穴だらけの計算式』に見えているの!」
エリナが叫ぶ。彼女の魔力を得たアルスの演算速度は、もはや人間の領域を超えていた。
「バルドル先生。あんたが信じている『権威』は、この砂粒一つよりも脆い」
アルスが指を鳴らす。
銀華が弾け、無数の銀の針となって騎士団の武器だけを正確に貫き、破壊した。
武器を失い、戦意を喪失して座り込む騎士たち。
その時、広場に響き渡るような低い拍手が聞こえた。
闇の中から現れたのは、黒い法衣を纏った老人。学園の真の支配者であり、王国の魔導顧問でもある学園長、マクスウェルだった。
「素晴らしい。第12被験体。……そして、その制御媒体としての聖騎士。……君たちの『結合』、実に興味深いサンプルだ」
学園長の瞳は、冷酷な観察者のそれだった。
「だが、今日のところはここまでだ。……行きたまえ。君たちがどこまでその理で世界を抗えるか、見守らせてもらおう」
「……逃がすというのか?」
「『逃がす』のではない。……放流するのだ。世界という名の、より残酷な実験場へな」
学園長が手をかざすと、広場の空間が歪み、校門へと続く道が開かれた。
罠かもしれない。だが、ここに留まる理由もない。
「行こう、エリナ。……ここからは、学園のルールも公爵家の名前も通用しない世界だ」
「ええ。あなたがいて、私がいる。それだけで十分だわ」
二人は夜の闇へと駆け出した。
学園時代の終わり。それは、世界を揺るがす逃避行の始まりだった。




