12話
学園の地下、最深部に位置する「特別隔離房」。
ここは魔導犯罪者や制御不能になった実験体を収容するための場所であり、壁一面には魔力を吸収する漆黒の石「吸魔石」が敷き詰められている。並の魔導師なら、この部屋にいるだけで眩暈を起こし、魔法の行使など夢のまた夢となる。
だが、アルスにとっては、これほど居心地の良い場所もなかった。
「……なるほど。吸魔石の格子振動は、意外と規則正しいんだな」
アルスは冷たい床に座り込み、壁に指先を触れていた。
魔力値12。もともと奪われるほどの魔力がない彼にとって、この部屋の仕掛けは無意味に等しい。むしろ、外部の雑音(魔力の揺らぎ)が遮断されたことで、彼の「物質変換」の演算精度は極限まで高まっていた。
重厚な鉄格子の向こう側で、足音が響いた。
現れたのは、かつて入学試験でアルスの数値を「ゴミ」と吐き捨てた、あの試験官だった。名をガストンという。彼は、今は諮問委員会の調査官という肩書きで、蔑みのこもった目でアルスを見下ろした。
「……相変わらず、薄汚いネズミのような面だな、アルス・レーヴェン」
「久しぶりだね、ガストン調査官。……その節は、12という正確な数値を測ってくれて感謝しているよ」
「皮肉か。……貴様が公爵領で何をしたかは聞いている。古代の遺産を破壊したそうだな。あれは学園……いや、我が国が喉から手が出るほど欲していた研究対象だったのだぞ」
ガストンは鉄格子を強く叩いた。
「貴様のその異能……『物質変換』の理論をすべて吐け。そうすれば、極刑だけは免れさせてやろう」
「理論、ね。教えてもいいが、あんたの脳では理解できないと思うよ。……あんたたちが信じている『魔法』は、この世界の表面を撫でているだけだ。僕は、その裏側にある数式を書き換えている」
「黙れ! 減り口を叩けるのも今のうちだ。エリナ様は、既にローゼリア公爵家によって王都へ連れ戻されることが決定した。彼女という後ろ盾を失った貴様に、明日はない」
アルスの指先が、微かに止まった。
エリナが連れ戻される。それは、学園と公爵家の一部が結託し、彼女をアルスから完全に隔離しようとしていることを意味する。
「……彼女が、それを承諾したのか?」
「無理にでも承諾させるのだよ。彼女は次期聖騎士候補。貴様のような正体不明の化け物に、これ以上関わらせるわけにはいかない」
ガストンが去り、地下牢に再び静寂が訪れた。
アルスは目を閉じ、エリナに預けた『銀の針』の感覚を辿った。
(……エリナ、聞こえるか? いや、まだ距離が遠すぎるか……)
同時刻。学園内の豪華な別邸。
エリナは、厳重な警護がついた部屋で、食事にも手をつけずに窓の外を見つめていた。
彼女の腰には、もはや『静寂』はない。没収されたのだ。だが、彼女の右手の指先には、アルスが仕込んだ「銀の針」が、皮膚の下で微かな熱を放っていた。
「アルス……。私、あなたの言う通りにしてるわ。でも、これじゃ何もできない……」
その時、部屋の扉がノックもなしに開いた。
入ってきたのは、メイド服を着た一人の少女——リィナだった。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「リィナ……。あなたまで、私を監視しに来たの?」
「……いいえ、お嬢様。これを見てください」
リィナが差し出したトレイの端、ティーカップの影に、小さな紙片が隠されていた。
そこには、殴り書きのような文字でこう記されていた。
——『今夜、月が頂に達する時。地下牢の排気口を開ける。……信じろ、12の仲間より』
「12の、仲間……?」
エリナの胸が高鳴った。アルスの魔力値と同じ数字を名乗る謎の協力者。
それは罠かもしれない。だが、今のエリナにとって、それは暗闇の中に差した唯一の光だった。
「リィナ、協力してくれる?」
「……もちろんです、お嬢様。私は、お嬢様とアルス様に命を救われた身ですから」
エリナは立ち上がった。
彼女の内に秘められた膨大な魔力が、静かに、しかし激しく胎動を始める。
アルスがいない今、彼女を制御できる者はいない。
「見てなさい、バルドル。……私から彼を奪ったことを、後悔させてあげるわ」
地下牢の壁に指を添えるアルスと、月を見上げるエリナ。
二人の心が再び共鳴し、学園という名の「檻」が、内側から軋み始めた。




