番外編・怖いもの
夜の城は、昼とはまるで別の顔をしていた。
人の気配は薄れ、代わりに雪を踏む音や、遠くで風が鳴る気配だけが静かに満ちている。
フェンリルたちは、鉄柵の外に出て夜警にあたっている。
しかし、それは張り詰めたものではなく、時折ゆったりと尾を揺らしたりしている。
「…静かですね」
セオドールとヒストリアはテラスに出て、その様子を見守っていた。
「フェンリルは無駄に騒がない。魔獣も、警戒すべき時を知っているからな」
淡々とした声。
それでも、彼らを信頼しているのがわかる。
二人きりで夜の庭を眺めるのは初めてではないが、フェンリルが“つがい”などというから、ヒストリアは少し緊張していた。
何か様子の違うことに気づいたセオドールが声をかける。
「…どうした?今日は雷は鳴らないぞ」
からかうように意地悪く微笑む。
「…か…雷の心配なんかしていません」
「そうか?」
「…殿下には、怖いものはないんですか?」
ぴたり、と動きが止まる。
セオドールはすぐには答えなかった。
庭の奥、闇に溶ける雪原を見つめたまま、しばらく沈黙する。
(まずいこと聞いたかな…)
ヒストリアがそう思い始めた頃、低い声が返ってきた。
「…ひとつだけある」
思わず、ヒストリアは目を見開いた。
「え?」
思っていた答えと、あまりにも違ったからだ。
「ない」と一蹴されるか、「くだらない」と流されると思っていた。
「…あるんですか?」
思わず聞き返すと、セオドールはゆっくりと息を吐いた。
「俺自身だ」
夜気の中、その言葉だけがはっきりと落ちる。
「…理性を失った時の自分。壊れたまま、誰かを傷つける自分」
淡々としているのに、どこか慎重な声音だった。
まるで、触れれば壊れてしまうかのように。
ヒストリアは、胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。
「…それなら、」
ほとんど考えるより先に、言葉が出た。
「私が止めます」
即答だった。
セオドールが、わずかに目を見開く。
「…簡単に言うな」
そう言いながらも、声には咎める色がない。
「殿下が理性を失いそうになったり、壊れそうになったら、呼んでください」
ヒストリアは真剣な顔で続ける。
「全力で引っぱります。しがみついてでも止めてみせます」
「…随分と物理的だな」
と突っ込まれ、ヒストリアははっとしてから、少し照れたように笑った。
「だって、魔法は使えませんし、私が他にできることなさそうなので」
ヒストリアのその言葉に、セオドールは満足そうに笑った。




