番外編・僕の記憶
※???
ある日、パパが大怪我をした。
赤い匂いがいっぱいで、僕はすごく怖かった。
パパは強い。
誰よりも強い。
だから倒れるなんて、思ってなかった。
「逃げろ」
パパはそう言った。
声は低くて、いつもと同じみたいだったけど、息が少し苦しそうだった。
ママと、きょうだいたちと、友達は逃げた。
みんな、言うことを聞いてちゃんと逃げたんだ。
でも、僕は逃げなかった。
だって、パパのそばに、また変な匂いが来たからだ。
大きくて冷たい。
僕が嫌いなキラキラした棒を持ってる。
あれは敵だ。
そう思って、パパの側に行こうとするけど、足が止まった。
パパが“こっちに来るな”って言うんだ。
だから、僕は物陰に隠れて様子を見ていた。
怖い。
あいつら、すごく強そうだ。
怪我さえしてなければ、鎖に縛られてさえいなければ、あんなやつらパパならすぐに倒せるのに。
「パパを殺さないで!!」
僕が叫んだその時だった。
冷たい風が吹いて、世界が止まる。
音が消えて、匂いもしない、僕の足は全く動かなくなった。
白い世界の中に、見えたのは青い目。
よく見ると、あの目は少しパパに似てる。
僕は、本能でわかった。
きっと、あいつはパパを殺したりしない。
少しして、赤い匂いが薄まると、パパの息が少し楽になった。
ほらね。
僕が言った通り。
これが、僕らの出会いだった。
それからしばらくして、僕は広い「庭」に来た。
鎖は嫌いだ。
閉じ込められるのも、怖がられるのも嫌だ。
でも、あいつは違った。
命令しない。
束縛しない。
見下すことも、怖がることもない。
ただ、ここにいろと言う。
だから、僕は従った。
ある時、あいつのそばに、もうひとつ匂いが増えた。
最初は警戒した。
だって、あいつが珍しく僕らを警戒したから。
そうさせた、こいつは一体誰なんだ?
「…こんにちは、初めまして」
僕に向かって挨拶してる。
こんな小さいの、ひと噛みで倒せそうだ。
「…綺麗な毛並みね」
…ふん。
小さいくせによくわかってるじゃないか。
たしかに毛並みは僕の自慢だ。
だから、僕に触れようと伸ばしてきた手を黙って受け入れてやった。
恐怖でもなければ威圧的でもない。
ただ、優しい手。
まぁ、悪くはない。
ところで、こいつは誰なんだと聞くと、ママがあいつの“つがい”だと教えてくれた。
こんなに小さいのが?
具合でも悪いのか?
どこか悪いなら、僕のパパのようにあいつに治してもらえばいいのに。
そう思った僕は、この小さいのを、鼻の先を使ってあいつの元に押してやった。
すごく驚いてたみたいだけど、誰も怒らない。
僕はいいことをしてやったんだから当然だけどね。
最近、そいつがまた僕のところに来たんだ。
僕らのごはんをいっぱい持って。
「こんにちは」
その声で、僕はすぐわかった。
相変わらず小さいな。
「私のこと覚えてる?」
僕は、“覚えてるよ”って言った。
この小さいのは、僕から目を逸らさない。
怖がることもない。
だから、ぼくは鼻を鳴らして、尻尾を振った。
怖がらせる必要なんて、ないからね。
パパもママも、きょうだいたちも友達も。
一緒に庭で暮らせるようにしてくれた、パパの認めた主。
その“つがい”は、僕が認めてやるよ。
僕らは気まぐれじゃない。
選んだ相手には、ちゃんと理由があるんだ。
だって、誇り高いフェンリルだから。
僕は、誇らしげに夜の庭で胸を張った。




