82.重臣たちの言葉
ヒストリアたちが大公国に帰ってきてから、一月が経っていた。
ノルディア城の重厚な会議室に、重臣たちの声が低く響いている。
ノルディア大公国の中枢を担う者たちが集うこの場は、常に緊張を孕んでいた。
だが今日の空気は、いつも以上に張りつめてい
る。
玉座代わりの長椅子に腰掛けるセオドールは、氷のように静かな表情で彼らを見渡していた。
その沈黙が、重臣たちを余計に饒舌にさせている。
「…殿下」
最初に口を開いたのは、年嵩の貴族だった。
慎重に選ばれた言葉の裏に、探るような視線が潜んでいる。
「先日のご婚姻についてですが…、城内外より、少なからず懸念の声が上がっております」
「懸念?」
セオドールは短く返した。
怒気も、威圧もない。ただ事実を問う声音だった。
その穏やかさに、別の重臣が勢いづく。
「失礼ながら、妃殿下のご出自が問題視されております。フェルバール王国の…いえ、元王家に関わる方であり、しかも替え玉の花嫁だった件は、すでに広く知られております」
「噂は、尾ひれをつけて広まるものだ」
「ですが事実も含まれております」
ぴしり、と空気が軋む。
「王と移民の踊り子の間に生まれた私生児。どこの国の血とも知れぬ方を、大公妃として戴くことに、不安を覚える者がいるのも無理はありません」
静まり返る会議室。
いつもなら、この時点で氷が床を這い、誰かが言葉を失っていた。
だが、今日は違った。
セオドールは、ただ視線を伏せ、指先で机を軽く叩いただけだった。
その様子に、別の重臣が囁くように口を挟む。
「…殿下が、そのように何も仰らないのも気がかりでしてな」
「何が言いたい」
「恐れながら…、本心では、妃殿下をお気に召していないのでは、と」
ざわり、と空気が揺れる。
「以前のご婚約者様は、帝国宰相のご息女、セレナ様。血筋も、教育も、申し分ない方でした」
「…比較するつもりか」
低く抑えられた声。
「いえ、ただ――…」
重臣は咳払いをし、核心に踏み込んだ。
「ご夫婦が、寝室を共にされていないことも、大公国の掟に反します。それを放置なさっているのは、妃殿下へのご配慮か、それとも…、」
その先は、言葉にされなかった。
だが、意味は明白だ。
セオドールの視線が、ゆっくりと上がる。
「…言いたいことはそれだけか」
凍りつく一歩手前の沈黙。
重臣たちは、内心で身構えた。
次の瞬間、氷嵐が吹き荒れることを覚悟して。
だが――、
「今日は、ここまでだ」
淡々とした宣言がされただけだった。
「この件については、これ以上の詮索は不要だ」
会議は、それ以上進まなかった。
重臣たちは互いに視線を交わしながら、退出していく。
その背中を、セオドールは無表情で見送っていた。
全員が出ていき、扉が閉まるなりカインが大きく息を吐いた。
「…正直、部屋が凍りつくかと思いました」
「俺もそう思った」
椅子に腰を下ろし、セオドールは額を押さえる。
「だが、この場で力を使えば、連中の思う壺だ」
「ヒストリア様のお考え、ですか」
カインの言葉に、セオドールは小さく頷いた。
「今まで尽くしてくれている家臣を力でねじ伏せるのはよくない、対話で解決しろ、と言ってくる」
「…殿下が、それで怒りを飲み込むなど、今日は空から槍でも降りますかね」
苦笑ともつかない息。
カインは一瞬ためらってから、声を落とした。
「ただ…、ヒストリア様の耳にも、いずれ届くでしょう。特に寝室の件は、連中にとって格好の材料です」
「分かってる」
「知っておられると思いますが、歴代の大公閣下は皇帝陛下の縁戚です。そのため、世継ぎ問題は避けて通れません。だからこそ、夫婦が床を共にすることという掟があるのです」
「…だからこそ、だ」
セオドールが言葉を継いだ。
「殿下?」
「ヒストリアを、追い詰めたくない」
そう言い切った声音は、揺るがなかった。
「彼女が自分で決めるまで、待つ。それが気に入らない者がいるなら――」
セオドールの瞳が、冷たく光る。
「その時は、その時だ」
カインは深く頷いた。
「…ヒストリア様には、まだ何も?」
「耳に入れる必要はない」
即答だった。
「城の不満も、噂も、彼女に背負わせるものじゃない」
その決意を、カインは黙って受け止めた。




