78.婚礼
結婚式の当日、大聖堂は静まり返っていた。
高い天井から差し込む光が、白い石床に柔らかな影を落としている。
人の気配はほとんどなく、列席者のための長椅子に座るのは、わずかな者たちだけだった。
皇帝レオンハルト、皇后ミレイユ、そして、メイジー。
神殿の手厚い治癒により、顔色は幾分かいい。
けれど、その細い指が、重ねられた膝の上でかすかに震えているのを、祭壇に立つルーカスは見逃さなかった。
その背はまっすぐで、金色の瞳は静かに前を見据えている。
目の前には、正装の黒い軍服に身を包むセオドール・ヴァル=ノルディア。
そこに立つ姿はいつもと変わらないはずだが、今日だけはどこか緊張しているようにも見える。
(…このクソガキ、一人前に緊張してやがる)
ルーカスが、祭壇に似つかわしくない暴言を頭の中に浮かべたところで、扉の向こうから、衣擦れの音がした。
ルーカスが、ゆっくりと目をやる。
「入ってきなさい」
そう声をかけると扉が開き、ヒストリアが姿を現した。
白を基調とした婚礼衣装。
過度な装飾はなく、けれど神殿の光を受けて、ひどく清らかに映る。
ミレイユが心を込めて用意したその衣は、ヒストリアの細い肩に、少しだけ大人びた影を落としていた。
ヒストリアは一歩ずつ、祭壇へ向かう。
視線の先には、列席者の三人、荘厳な祭壇を背に立つルーカス、そして、自分を待ってくれているセオドールがいた。
ヒストリアが隣に並ぶと、彼は小さく息を吐く。
「…よく、似合ってる」
低く、短い言葉。
ヒストリアは一瞬だけ照れたように視線を伏せ、そして小さく頷いた。
「…ありがとうございます」
ルーカスが、一歩前に出る。
「これより、神殿の名において、婚姻の誓約を執り行う」
声はよく響き、しかし過剰な威厳はなかった。
それは、大神官としてではなく、曾祖父として、すべてを見届ける者の声だった。
「セオドール・ヴァル=ノルディア」
「はい」
「汝は、このヒストリアを妻とし、いかなる時もその命と尊厳を守ることを誓うか」
一瞬の沈黙。
だが、迷いはなかった。
「はい、誓います」
その言葉は、石壁に静かに反響する。
ルーカスは、ヒストリアへと視線を移す。
「ヒストリア・グレイス」
「…はい」
「汝は、このセオドールを夫とし、その歩みに寄り添い、ともに生きることを誓うか」
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
怖さが、ないわけじゃない。
先のことなんて、まだ何もわからない。
けれど、好意がある、と言えた夜を思い出す。
氷竜の背で、真っ赤になりながら聞いた言葉。
――『お前だから、側にいてほしい』
ヒストリアは、顔を上げた。
「…はい、誓います」
声は小さかったが、確かだった。
その瞬間、メイジーの目から、静かに涙がこぼれた。
ルーカスは一度だけ目を伏せ、深く息を吸う。
「…少しでも嫌なことをされたり、大公が無礼な態度をとったら、すぐに連絡をするように。その時は、神殿が全力を注いでお前を守る」
その後、大神官としての言葉を、はっきりと告げた。
「神殿の名において、二人の婚姻をここに認める」
短い沈黙。
それから、少しだけ声を落として、続けた。
「…幸せになれ。二人とも」
それは、祈りではなく、願いだった。
セオドールは、そっとヒストリアの手を取る。
その手は、大きく、あたたかい。
ヒストリアは、握り返した。
祭壇の奥で、光が揺れる。
大聖堂には、大きな歓声があるわけではない。
けれど、確かにここで、ひとつの約束が結ばれた。
そして、メイジーはその光景を、まばたきもせず、胸に刻みつけるように見つめていた。




