72.王家の罪
王城の奥―――
絢爛な回廊を抜けた先にある、王の私室。
「お待ちください、大神官様!王はご休息中で――…」
慌てた家臣の制止を、ルーカスは一顧だにしなかった。
「すぐに済みますので」
その声は、あくまで丁寧で、穏やかでさえあった。
だが、そこに宿る圧は、明らかに常人のそれではない。
歩みを止めることもなく、扉が乱暴に開かれる。
重厚な室内には、三人の姿があった。
玉座代わりの椅子に座るフェルバール王。
その隣に寄り添う王妃。
そして、白金の髪に、緑の瞳をした王女、リヴィアナ王女。
一瞬、空気が凍りついた。
「…だ、大神官様…っ」
王は取り繕うように立ち上がり、笑みを作る。
「こんな夜更けに、い…、一体…」
「ご無礼、失礼いたします」
ルーカスは一礼した。
あくまで、形式通りに。
「ですが、私的に訪問した塔の中に、神官として見過ごせない事案があったもので」
王妃の肩が、わずかに跳ねる。
「そ、それは…、誤解ですわ。あれはただ、静養のために――」
「ほう」
ルーカスは、にこりともせず、視線を細めた。
「静養にしては、随分と警備が厳重でしたが」
王が咳払いをする。
「病というものは、時に周囲へ影響を及ぼします。万が一を考えて…」
「…万が一、か」
その瞬間、
ルーカスの声音から、柔らかさが消えた。
「病人を放置、隠蔽し、存在ごと消す。それを静養と呼ぶとは、随分と都合の良い話だな」
王の額に、汗が滲む。
「だ、だからそれは…、」
「それから、もうひとつ」
ルーカスは、ゆっくりと室内を見回し―――、
リヴィアナ王女に、視線を留めた。
「…な、何でしょう?」
「この王女は…、」
淡々と、だが逃げ場のない声で告げる。
「確か、ノルディア大公国へ“贈り物の花嫁”として送られたはずでは?」
王妃が、息を呑んだ。
「それは…ッ、その…、」
言い訳を探すように、王の視線が泳ぐ。
その時だった。
フードとベールを纏ったまま沈黙していた男が、一歩、前へ出た。
「…久しぶりだな、フェルバール王」
低く、静かな声。
次の瞬間、セオドールはゆっくりとフードを外した。
ベールが落ちる。
露わになったのは、氷を思わせるような銀色の髪と、帝国に名を轟かせる暴君の深青の瞳。
王と王妃の顔から、血の気が引いた。
「ノ、ノルディア大公…!?なぜ、ここに…」
「聞きたいのは、こっちだ」
セオドールの声は、怒鳴り声ではない。
だが、感情を抑え込んだその静けさこそが、恐怖だった。
「俺の元に来た花嫁は、誰だ?」
「そ、それは…ッ…」
王が口を開きかけた、その時。
「…あの、役立たずめ…っ…正体がバレたのか…」
ぽつりと、王妃が漏らしたことで部屋の空気が一気に変わった。
「口を慎め」
セオドールの声が、氷のように冷え切った。
床が、壁が、王の私室の半分が、瞬時に凍りつく。
「俺の妻に、無礼な言葉を吐くな」
凍気が、王一家の足元を這う。
「お前が侮辱しているのは、ノルディア大公妃だ」
王女リヴィアナが、震えながら後ずさる。
「ヒ…、ヒストリアが大公妃…?…そんな…ッ、」
その光景を横目に、ルーカスは深いため息をついた。
「…まったく」
半ば呆れ、半ば感心したように。
「お前の魔力は、相変わらず洒落にならないな。城を壊す気か?」
だが、その金色の瞳は、笑っていなかった。
「さて、」
ルーカスは、王へと向き直る。
「まだ言い訳を続けるか?」
凍りついた室内で、フェルバール王は、ただ唇を震わせることしかできなかった。
氷に覆われた床の上で、フェルバール王は喉を鳴らし、必死に言葉を探した。
「ま、待ってください…ッ、…これは誤解だ…、あれは王家の事情で―――」
「事情?」
ルーカスが、静かに問い返す。
その声は低く、穏やかで、だが一歩も逃がさない響きを帯びていた。
「病に伏した女を治療もせずに塔へ閉じ込め、その娘をあろうことか替え玉としてノルディアへ送り出す。 それが、王家の事情か」
「そ、それは国家の安寧のためで――!」
王妃が甲高い声を上げる。
「リヴィアナを守るためには、仕方なかったのですッ!かわいい我が子を人質になど―――…」
「――口を閉じろ」
セオドールの声が、刃のように落ちた。
それ以上の凍結はしない。 だが、彼が本気を抑えていることは、誰の目にも明らかだった。
ルーカスは、ゆっくりと一歩前に出る。
「では、こちらも“国家の安寧”の話をしようか」
王と王妃が、びくりと肩を震わせる。
「帝国神殿は、すでに記録を取っている。フェルバール王家が、王女の身代わりとして別人を外交の駒として利用。その事を隠すために、母を幽閉。さらに事実を知っていた第三騎士団は遠く離れた国境の村に出向させられた」
「な…っ」
「そして」
ルーカスの金色の瞳が、冷たく細められた。
「娘は、王の血を引く者だ。つまり、王自ら、血縁を切り捨てたということになる」
沈黙。
空気が、重く沈む。
「これは、信仰の問題でもある」
ルーカスは、大神官としての声音に切り替えた。
「神殿は“命の選別”を許さない。王であろうと例外はない」
王は、椅子から崩れ落ちるように座り込んだ。
「…そ、そんな…、…帝国は、我が国を滅ぼすつもりか…?」
「いや、」
即答したのは、セオドールだった。
「滅ぼす必要はない」
静かな声。
「自壊するだけだ」
その言葉が、何より残酷だった。
ルーカスが、最後の宣告を下す。
「フェルバール王家に対し、以下を命じる」
一つ、指を立てる。
「塔に幽閉している女、メイジーを、即時解放。 帝国神殿の管理下へ移すこと」
二つ目。
「王家は、この件に関するすべての記録を提出しろ。少しでも 隠蔽や虚偽が発覚した場合、神殿の記録を正式なものとして扱う」
三つ目。
「そして――」
ルーカスは、王を見下ろした。
「大公国との条約不履行により、この国は、帝国の領地となる」
王妃が、泣き叫ぶ。
「そ、それでは、我が国はどうなるのですッ!」
「し、神殿にそこまでの権限はないはずだ!!」
「…権限ならある。俺は帝国の大法官を兼ねている」
淡々とした一言。
「それに、アストレイア帝国皇位継承権第一位の皇弟殿下もこちらにいらっしゃるから何の問題もない」
ルーカスは笑みを浮かべると、踵を返した。
セオドールも最後に、冷たい視線を王一家へ向け、二人は部屋を後にした。
残された王城の私室には、溶けきらない氷と、震える王家だけが残った。




