表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/120

71.再会



西の塔は、王城の奥深くにひっそりと立っていた。

装飾もなく、威光もなく、ただ閉じ込めるためだけに存在しているような、冷たい石造りの塔だった。



「…ここです」


ヒストリアが塔を見上げる。

大公国に行く前にもここに来た。

母に別れを告げるために来た同じ場所に、今度は母を迎えに来ることになるとは思っていなかった。


病の治療のために、どこか別の場所に移っていると思っていたヒストリアにとって、見るだけで涙が滲みそうになる。



塔への訪問について、王の許可はあまりにもあっさり下りた。

帝国の大神官が「私的な視察」と言えば、拒めるはずもない。

同行者は最小限、フードを深くかぶったセオドール、そしてヒストリアだけ。


塔の中は、外よりもさらに冷えていた。

湿った石壁、薄暗い回廊。

人の気配が感じられず、空気が澱んでいる。



最上階近くの小部屋の前で、番兵が鍵を外した。


ギィ……と、重い音を立てて扉が開く。


その瞬間、ヒストリアの喉から、声が漏れた。


「…お母さん…っ…」



部屋の奥、簡素な寝台に横たわるひとりの女性。

頬はこけ、肌は青白い。

だが、間違えようもなかった。




「……リ…ア…?」


掠れた声が、確かに娘の名を呼んだ。


ヒストリアは、気づけば駆け寄っていた。

膝をつき、母の手を握る。


「お母さん!どうして…っ、」


ヒストリアの母、メイジーは震える指で、娘の頬に触れた。


「…よかった…、無事なのね…」



大公国に贈られたヒストリアを、メイジーもまたひどく心配していたのだ。


そのやり取りを、ルーカスは少し離れた位置から見ていた。

表情は変えず、だが金色の瞳は鋭く、深く、メイジーの状態を見据えている。




「…少し、触れるぞ」


そう言って、ルーカスはメイジーの傍らに立った。

杖も詠唱もいらない。

指先が淡く金色光り、神力が静かに流れ込む。


空気が揺れ、重苦しさが一瞬だけ薄れる。



メイジーの呼吸が、わずかに整った。


「…あ…温かい…」


「少しは楽になったはずだ」


ルーカスは、淡々と言った。




ヒストリアが、希望に縋るように顔を上げる。


「お母さん、このお方は帝国の大神官様で、きっとお母さんの病気も診てくださるはずだから」


「…まぁ…、そんな高貴なお方に…、」


彼はゆっくりと、ヒストリアの肩に手を置く。


「…母親の手を握ってやれ」


「え…?」


「安心するだろう?」



ヒストリアは言われるまま、母の手を両手で包む。



「…リア」


メイジーが、微笑んだ。


「…そのペンダント…、つけてくれてるのね…」


ヒストリアは、胸元に指をやった。

赤い石のネックレス。

大公国に行く際、母から渡されたもの。


「…うん。お母さんも、お母さんのお母さんからもらったものなんでしょ…?」


「…ええ、そうよ」


メイジーの視線が、遠くを見る。




「私の、おばあさまは…、どんな方だったの…?」


少し間を置いて、メイジーは答えた。



「…優しい人だったわ…。でも、私が十代の頃に、流行り病で亡くなってしまって…」


「…おばあさまの、お名前は…?」


その問いに、メイジーは、かすかに微笑った。



「…リュカ…よ」


その瞬間――、


部屋の空気が変わり、ルーカスの指が、震える。




「…リュカ…?」


ルーカスは、ゆっくりと膝をついた。


床に、手をつく。


「…そうか…」


声が、掠れた。


「…あの子は…、」


金色の瞳から、静かに涙が落ちる。


「…ソフィアは、…俺の名を…つけたのか…」



嗚咽を噛み殺すように、額を床に押しつける。


「…なぜ…あの時探さなかった…ッ…」



帝国の大神官として、何十年も生き、数えきれぬ別れを見てきたルーカスが、この瞬間だけは、ただの父親だった。


ヒストリアは、母の手を握ったまま、その背中を見つめる。


セオドールは、何も言わず、ただ黙って立っていた。


塔の中で――、

長い年月を隔てて、ようやく辿り着いた真実が、それぞれの胸に重く落ちる。



メイジーの呼吸が落ち着いた頃、ルーカスが寝台の側に座り、彼女の黒髪にそっと手を置いた。


「…黒い髪に、赤い目。まるでソフィアを見ているようだ」



「…ソフィア…?」


メイジーが不思議そうな顔でルーカスを見上げる。


「…この姿では信じられないだろうが、お前の母、リュカは俺の娘だ」


「えっ…?」


「一度も見ることはできなかったが…」



「…お母さん、私も最初は信じられなかったけど、このペンダントも大神官様が作られたものなんだって」


「…そんなことが…」


「“リュカ”というのは、俺の昔の名だ。ソフィアはお前の祖母にあたる。神殿から逃げ延びて産んだ子どもに、…俺の…、名前を…」


最後は声が震えていた。


「…俺の孫をこんな目に遭わせ、曾孫を平気で人質に送るような男を、絶対に許さない」



「…人質…、そういえば、リアはなぜ無事に戻ってこられたの?…お母さんは、あなたが大公国で…殺されてしまったんじゃないかって、…それだけが心配で…っ」


「…それは―――」


答えようとしたヒストリアを、セオドールがやんわり肩を掴んで制止する。


セオドールは、メイジーの寝台の前まで行くと、被っていたフードを脱ぎ、顔のベールを外した。


そのまま床に跪き、深青の瞳をメイジーの視線と合わせる。



「セオドール・ヴァル=ノルディアといいます」


「…ノルディア…?」


メイジーの赤い目は、明らかに戸惑っている。


「ノルディア大公国の、贈り物の花嫁という馬鹿な制度のせいで、貴女と娘さんを引き離すようなことになってしまい、申し訳ありません」


「…あな…たは、まさか、…大公…様?」


「はい」


「…あの…っ、娘は何も悪くありません…っ、どうか、娘の命を―――…」


掠れる声で懇願するメイジーに、セオドールは一瞬も視線を逸らさなかった。


「命を奪うつもりなど、最初からありません」


きっぱりと、しかし穏やかに言い切る。


その声に、ヒストリアの肩がわずかに揺れた。



「むしろ、守るために一緒に来ました」


メイジーの瞳が、ゆっくりと見開かれる。


「…守る…?」


「貴女の娘、ヒストリアは今、俺の妻です」


「えっ…?それは一体―――」


ヒストリアが息を呑む音が、静かな塔の中に落ちた。


「俺は、身分で人の価値を決めません。貴族でも平民でも関係ない。ヒストリアは、ヒストリアとして尊重します」


メイジーの赤い瞳が戸惑う。


「…そんな…、本当に…?」


「本当です」


迷いのない答えだった。


「貴女が案じているような扱いは、一切受けていません。傷つけられることも、何に恐れる必要もない。俺が許しません」


その言葉は、誓いのようだった。


セオドールは視線を少しだけ和らげ、続ける。



「ヒストリアは、強い人です。誰かのために泣ける。誰かを守ろうとする。だからこそ俺は、彼女を気に入っています」


ヒストリアの胸が、きゅっと締めつけられる。


メイジーは、震える手で布団を握りしめながら、娘を見る。



「…リア…」


「はい」


「…本当なの?」


ヒストリアがコクリと頷くのを見て、メイジーはようやく安堵の息を吐いた。


セオドールは静かに立ち上がり、ヒストリアの背にそっと手を添える。


「今は、母上の側にいろ」


それだけ言うと、メイジーに深く一礼した。



「大神官様と一緒に、必要な()()()をしてくる」


静かにそう言うセオドールを見て、不安しかないヒストリアだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ