70.聖堂の迎接
フェルバール王城の奥、白い石で造られた聖堂は、かつて王家の戴冠式にのみ使われた神聖な場所だった。
そこに、帝国の大神官が足を踏み入れる。
それだけで、この国にとっては異例中の異例だった。
「これは…これは…!」
フェルバール王は、玉座を離れ、ほとんど駆け寄るようにして深々と頭を下げた。
王妃もまた慌てて裾を整え、作り笑いを浮かべる。
「帝国大神官ルーカス様…、まさか、このような辺境の国にお越しいただけるとは、恐悦至極に存じます」
ルーカスは、白い法衣を揺らしながら一礼した。
その所作は完璧に洗練され、普段の威圧感を意図的に削ぎ落としている。
「突然の訪問、失礼いたしました。少々、神殿として確認すべき事案がありまして」
「か、確認…、ですか?」
王の額に、早くも汗が滲む。
その背後で、フードとベールに身を包んだ二人―――、
セオドールとヒストリアは、一歩下がった位置で静かに立っていた。
互いに視線を交わすこともなく、ただ沈黙を守る。
「どうか、…どうかご無礼をお許しくださいませ」
王妃が、やや甲高い声で続ける。
「帝国の神殿とは、これまで交流の機会が少なく…、ですが我が国は、常に帝国に敬意を持っています」
「そ、そうですとも!信仰も厚く、神殿への寄進も惜しみません」
王がすかさず言葉を重ねる。
ルーカスは、柔らかな微笑を浮かべたまま頷いた。
「それは心強い。信仰とは、誠意ですから」
その言葉に、王と王妃はほっとしたように息をつく。
(…浅い連中だ)
内心でそう呟きながらも、ルーカスは表情を崩さない。
「…さて、」
ルーカスは、聖堂の天井を仰ぎ、何気ない調子で言った。
「ここに来るまでの間、町で興味深い噂を耳にしました」
王の肩が、わずかに跳ねる。
「噂、ですか…?」
「ええ。王城の西の塔に、病に伏したご婦人がおられるとか」
空気が、一瞬で凍りついた。
王妃の笑みが、ほんのわずかに引き攣る。
「そ、それは…、…まったくの誤解でございますわ。古い塔は今や――」
「使用されていない、…でしたっけ?」
ルーカスは穏やかに遮る。
「はい…、もう何年も使っておりません」
「ですが、夜ごと明かりがが灯っていると、城下では随分と話題になっておりましたが」
沈黙。
セオドールの指が、衣の下でわずかに強張った。
ヒストリアは俯き、唇を噛みしめる。
「今回の巡礼では、各地で病人や怪我人を治療してきました。神殿としては、要となる王城にもしも病人がいるのであれば、診ないという選択肢はないのです」
「……!」
王は慌てて手を振った。
「ご心配には及びません!その者は…、その、…身分の低い女でして…」
ルーカスは首を傾げる。
「身分?では、なぜ塔に?」
王妃が口を挟む。
「…や、病が重く、他に迷惑がかかるからでございます」
「重いならなおさら治療が必要でしょう?」
ルーカスの声は、終始丁寧だった。
だが、その一言が、刃のように鋭い。
「神殿は、身分や血筋によって救済を選びません。それは、神意に反します」
静かな断罪だった。
「…ですが、本日は正式な調査ではございません。あくまで私的な訪問ということにして、状況確認だけをいたしましょう」
王と王妃は、何度も頷いた。
「も、もちろんでございます!何なりと!」
「信仰がおありの方は違いますね」
ルーカスは、微笑を深める。
(――半分は罠にかかったな)
その間、セオドールとヒストリアは一切言葉を発しなかった。
だが。
ヒストリアの胸の奥では、怒りと恐怖が渦を巻いていた。
セオドールは、それを察しながらも、ただ耐える。
(今は、まだだ)
ルーカスが、最後に一礼する。
「本日はお時間を頂き、感謝いたします」
「い、いえ…、こちらこそ…!」
聖堂を後にした瞬間。
ルーカスの口元から、微笑が消えた。
「…クズが」
低く、誰にも聞こえない声。
静かに、だが確実に、フェルバール王家を追い詰めるための、第二幕が始まろうとしていた。




