68.王都の噂・前編
ギッ、と扉が開き、診療所の中からセオドールが出てきた。
いつもの冷徹な気配ではなく、どこか張り詰めた空気をまとっている。
「ヒストリア」
その声色に、ルーカスがすぐ反応した。
「…何だ、クソガキ。仕事は終わったのか?」
「大神官様ではなく、ヒストリアに用がある。言われた仕事ならちゃんとこなしましたが」
セオドールはルーカスの皮肉を軽く受け流し、ヒストリアへとまっすぐ視線を向ける。
どうやら、指示通り病人や怪我人を村から運んでいたらしい。
「村を回っていた時に、王都から戻ってきたという商人から気になる噂を聞いた」
セオドールは言葉を慎重に選んだ。
その仕草に、ヒストリアの胸が小さくざわつく。
「王都で、最近持ちきりの噂だそうだ。――塔に、ひとりの病に伏した女が幽閉されている、その女はどうやら王の妾らしい …と」
ヒストリアの身体が微かに震えた。
手に持っていた水桶がカタンと揺れ、井戸の縁に当たって小さな音を立てる。
「…妾…?」
ヒストリアは唇を噛み、息を吸うのも忘れたかのように固まった。
セオドールは、そっと距離をつめる。
「噂の出処は確かではないが、お前の母上は塔に隔離されているのかもしれない」
言葉の最後だけ、視線をそらさず、静かに、真っ直ぐに。
ヒストリアは胸の奥で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われた。
「…そんな、なんで医療施設じゃなくて、塔に…?あの時、お母さんの治療をしてくれるって…約束を…」
声が震えて、うまく繋がらない。
するとルーカスが、煙管をゆっくり置き、セオドールに鋭い視線を投げた。
「…治癒塔の可能性は」
「俺も最初はそう思ったが…」
セオドールがそのままヒストリアを見る。
「…フェルバールでは…、魔法が一般的ではありません。私が以前大公国で治療していただいたような塔は、王都でも見たことがないです…」
「たしか昨日、第三騎士団もフェルバール王にこの辺境に送られたと言ってたな」
セオドールは眉根を寄せ、低く呻く。
「王族のくせに、ずいぶんとクズだな」
ルーカスも遠慮なく言った。
ヒストリアの視界が揺れ、胸に手を当てても、鼓動がおさまらない。
セオドールは近づき、その震えをまるごと受け止めるように柔らかい声で話した。
「今は噂だ。だが、確かめる必要がある。本当にお前の母上なのかどうか」
ヒストリアが目を伏せると、涙がにじんだ。
その横で、ルーカスが静かに言う。
「ヒストリア」
優しいが、芯のある声。
「お前はひとりじゃない。大丈夫だ」
ルーカスの言葉に、ヒストリアは小さく息を吸った。
「…はい」
声はまだ震えていたが、先ほどまでの崩れ落ちそうな弱さは、わずかに影を潜めている。
*******
その日の夕方、夜営地は慌ただしくなった。
王都には「座標が乱れて国境を超えてしまった神官団を騎士団が保護、無事に王都方面へ向けて出発」と通信を入れてもらった。
騎士たちは不安げな顔をしながらも、ヒストリアを引き留めることはしなかった。
ラウルだけが、短く声をかける。
「…気をつけろ、リア」
「…ありがとう、ラウル」
それだけで十分だった。
森を抜ける道は、夕焼けに染まり、長い影を落としていた。
馬車に揺られながら、ヒストリアは無意識に胸元のネックレスに手をやる。 そこには、まだ消えない不安と、確かに芽生えた希望が同居していた。
夕闇が迫る中、一行は王都へと続く街道を進んでいった。




