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6.塔の囚われ人



「…花嫁様、カイン卿がおみえです」


エマが緊張した面持ちで扉を開けると、黒衣の男が静かに姿を現した。


「ご機嫌麗しゅうございます、姫。」

その声と笑顔には穏やかさがあるが、底には測りがたい冷たさが潜んでいた。


「おはようございます、カイン卿。昨日は無事にこちらまでお連れいただき感謝いたします」


「退屈な長旅でお疲れになられたでしょう」


「疲れは少しだけです。でも、この国の景色が見られたので退屈はしませんでした」


カインの唇がわずかに動く。

「退屈ではなかったと?珍しいことをおっしゃいますね」


「魔法で浮いている馬車に乗ったのも初めてですし、このお城の美しさにも目を奪われました」


「そう仰っていただけるのは光栄です」

そう言いながらも、彼の視線はヒストリアを測るように細められていた。



彼女の話す口調や声は作り物には聞こえない。

きっと本心で話してはいるのだろう。

ならば、なぜ嘘をついているのか。


―――少し、揺さぶるか



「――姫、この国は寒くありませんか?殿下の魔法で城の中は極寒でないとはいえ、南方の国からいらしたので心配です」


「部屋を暖かくしていたたいたので大丈夫です。それにこの国の空気は澄んでいて、なんだか落ち着きます」


「そう感じられるとは驚きですね。多くの者は、この塔に案内すると窮屈さと静寂に怯えます」


「…無駄に広い部屋は必要ありません。それに、静かでよく眠れましたよ」


ヒストリアの言葉は柔らかいがどこか不自然な気もした。

カインはそれを聞き逃さず、穏やかな微笑みを崩さぬまま一歩近づく。


「…姫は本当にリヴィアナ様ですか?」


あまりに唐突な問い。

何か疑われるような受け答えをしてしまったのだろうか。

ヒストリアは、なるべく動揺を見せないようにゆっくりと首を傾けた。


「…どうして、そのようなことをおっしゃるのです?」


「あなたからは王族の傲慢さが感じられない」


「…王族は全員傲慢だと?」


「違いますか?」


ヒストリアは、まっすぐに彼を見た。

カインはその瞳を見返し、数秒の沈黙。


この男は、笑っているのに目の奥は笑ってない。

昨日から何度も感じたことだった。


―――"王族が全員傲慢だったら、"

ヒストリアのその言葉に、側にいたエマの方が息を呑む。


「…きっとその国は滅亡するでしょうね」


「……」


「いくら身分が上でも、人の心までは支配できるわけではありませんから」


カインの琥珀色の瞳が細くなった。

ヒストリアの言葉の芯の強さに、彼は無意識に口角を上げる。


「…なるほど。姫のお考えは深いのですね」


「そんなことはありません。そんな風におっしゃるなんて、この国の頂点におられる方は傲慢だということでしょうか」


「…ククッ…、さてどうでしょう。お会いになったときにご自分で確かめられてはいかがかと」



「そういたします」

ヒストリアは少し考えるように視線を落とし、穏やかに言葉を返した。



カインが部屋を出ていくと、室内には再び静寂が落ちた。


さっきまで立っていた彼の気配が、まだ空気に残っている気がする。



「…花嫁様、あの方…、やっぱりちょっと怖いです」

エマが小さく息を吐いた。


「…怖いというより、鋭いのでしょうね。大公殿下に害が及ばないように常に警戒しているだけなのでしょう。悪意ではありません」


エマは驚いたようにヒストリアを見上げる。

その瞳には、怯えがまだ残っているようだった。


―――朝食をご準備いたします。


そう言って、エマは持ってきたワゴンの前に立ち、パンやスープを皿に盛り付ける。


ヒストリアの前にスープの皿を置こうとしたところで、ふと袖口の火傷の痕が目に入った。


「…その傷―――、」

「…も、申し訳ございませんッ…、お見苦しいものを…、」


ヒストリアは首を振る。

そして、机の上に置いてある小さな箱を開けた。


騎士団にいるときから使っている箱―――


ヒストリアがフェルバールから持ってきた数少ない荷物のひとつが、この木箱だった。


中には、傷薬にもなる香油が入っている。

任務中や訓練中には怪我をすることもあった。ちょっとした傷は自分で手当てするのが日常だったからだ。


淡い緑色の小瓶を取り出してエマに渡す。


「これを。傷に効く薬草を漬けた香油です。古傷の火傷にも効くはずですので」


エマは慌てて手を振った。

「そ、そんなっ…、花嫁様にいただくなんてとんでもないことです…」


「暖かい部屋を用意してくれたお礼です」


微笑むヒストリアの顔に、

エマは思わず目を伏せ、緑色の小瓶を握りしめたエマはしばらく動けなかった。



「…なぜ…、私なんかにこのようなことを…?」

口元は小さく震え、それから、小さく声を落とす。



「…この離れには…、以前にも大公殿下に贈られた花嫁様が…、

けれど、その方は…とても気性が激しくて…、

私が少しでも手を違えると、怒鳴られて、ものを投げられました」


ヒストリアは黙って聞いている。

エマはゆっくりと息を吸い、袖を少しだけ捲った。


「お茶を…、かけられたんです。熱いまま。

…私の…指先が冷えていて、髪を梳いているときに、首筋に手が当たって驚かせてしまい…」


「…そんなことで」


ヒストリアの声は静かだったが、その目には怒りと悲しみが滲んでいた。



「その方は、今どこに…?」


「…ある夜に、突然いなくなりました。

誰も理由を言わず、名前も…、もう口にしてはいけないと」


エマの声が震える。


この少女が部屋に来てから、妙に怯えた様子を見せていたことにようやく納得する。


「…辛い思いをしたんですね」

ヒストリアは鉄格子ごしに窓の外を見上げた。



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