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63.集落の家で



帝国からフェルバール王国までは、徒歩や馬車では数日を要する距離だ。


神官団に同行するセオドールたちは、ルーカスの描いた転移魔方陣によって、まずは国境付近まで跳ぶ手はずだった。


魔方陣の光がパン、と弾けるように収束し、視界が瞬く間に別の色に変わった。



乾いた風が頬を撫でる。

空気にはひんやりとしていて、足元の地面は岩肌がむき出し。

遠く、岩が削れた斜面の下には森が広がり、その向こうで炉の煙が細く昇っている。


そこにはいくつもの素朴な屋根も点在し、どう見ても帝国との国境ではない。


セオドールは一歩前に出て、静かに目を細めた。



「…ここはどこだ?」


声に混じった微かな苛立ちは、風より冷たい。


「…採掘集落のようですね」


ヒストリアは周囲の気配に身を固くした。

岩山の間にこだまする風の音が、妙にざわついている。

鳥たちの声が途切れ、森の奥からは低い軋みのような気配。



ルーカスは深々とため息を吐き、額に手をやった。


「…座標がずれたのか?大地の魔脈が揺れている。転移に誤差が生じたかもしれない」


「座標の計算もできないのでしょうか、()()()()


セオドールの丁寧で尖った嫌味に、ルーカスのこめかみがひくりと跳ねる。


「文句を言う時だけ敬語を使うのはよせ、クソガキ」


二人の応酬はいつも通りで、ヒストリアは苦笑いをこらえかける。



「周囲の様子を見てこい」

ルーカスが、同行していた神官たちに命じると、彼らは短く返事をし、それぞれ散っていく。




少しして、ふいに風の流れが変わった。


何かが近づいてくる。


「…殿下。森の奥に、何かいます」


ヒストリアが巫女服の中に忍ばせていた剣の柄にそっと触れた瞬間―――


ばさり、と草むらが大きく揺れた。



「うわぁああっ!!」


泣き叫ぶような声。

幼い影が転がるように飛び出し、足をもつれさせてこちらへ駆け寄ってくる。


そのすぐ背後で、粗末な皮鎧を着た影が複数、木々の間から姿を現した。


「ちっ…逃げ足の早ぇガキだな!」


大人の怒号。

男たちの手には棍棒や刃こぼれした短剣。


ヒストリアは思考より早く身体が動き、少年の前へ滑り込むように走った。


「危ない!」


剣を抜く音が、乾いた空気を裂く。


盗賊の一人が棍棒を振り上げた瞬間―――、



「…退がっていろ」


それより低く、鋭く、氷のような声が割り込んだ。


セオドールだ。


彼は風の動きすら置き去りにして盗賊の横に移動すると、腕を掴み、ねじり上げる。

悲鳴が上がる間もなく、男は地面に叩き落された。



「ぐっ…!?な、なんだお前はッ…どこから現れやが…ッ…!」


「黙れ」


淡々と吐き捨て、セオドールは足元の石ころを見るような表情で相手を無力化する。


別の盗賊がヒストリアへ向かって走り込む。

しかし、すれ違いざまに長い地杖(ちづえ)の先端が彼の肩を正確に叩いた。


「誰に刃を向けてるんだ、無礼なやつめ」


ルーカスだ。

その仕草はどこか気怠げでありながら、攻撃の精度は一分の隙もない。


ヒストリアは少年を背に庇い、向かってくる敵だけを落ち着いた動きで制した。

剣筋は簡素だが、恐ろしいほど無駄がなく、体幹がぶれない。


10名ほどいた盗賊たちは、三人との力量差を悟ると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


やがて、沈黙。


風だけが、枝葉を揺らす音を戻した。


少年は恐怖と緊張が解けた途端、へたり込むように尻をつき、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔でヒストリアのローブを掴んだ。


「もう大丈夫。怪我はない?」


ヒストリアが膝をつき、目線を合わせて優しく問いかけると、幼い少年は震える指で目を拭いながら、かすかに頷いた。


「…おねぇちゃん…、あり…がとう…」


セオドールはその様子を、無言のまま見守っていた。

ルーカスは土の匂いを吸い込んで、呆れ半分の声を漏らした。


「…これは、完全に道を誤ったな」


そこで少年が、涙でびしょ濡れの頬のまま、おそるおそるヒストリアたちを見上げた。


「あ、あの…、おねえちゃんたちは迷子なの?」


「…ここはどこだ?」


セオドールが低く問うと、少年はぐしゅ、と鼻をすすりながら指を森の向こうへ向けた。


「…?フェルバールの北の外れだよ。…この森を抜けたら、ぼくの住んでる村があるんだ」



「フェルバール…」


どうやら座標の乱れで国境を超え、すでにフェルバールの領地へ入っていたらしい。


「迷子なら、ぼくのお家に来る?」



(殿下とリュカ様が迷子って…)


5歳くらいにしか見えない幼子に、迷子扱いをされる二人の男を見て、ヒストリアは笑いを堪えるのに必死だった。





*******

粗末な毛布の上で、疲れはててしまい静かに眠る少年、ミラの寝息が、ようやく規則的なものになったころだった。

薄いランプの火が、ヒストリアたち三人と、ミラの母親アイナの影を壁へ伸ばし、揺らめきながら形を変えていく。


「…本当に、助けてくださってありがとうございました」


アイナはそう言うと、小さな土瓶に湯を注ぎ、湯気の立つ薬草茶を三つの木の椀に分けた。

夜の冷気が隙間風となって床を撫で、家の簡素さと、彼女たちの暮らしの厳しさを静かに物語っていた。


ヒストリアは受け取った椀を両手で包み、ほっと胸をゆるめる。

薬草茶のかすかな苦みと香りが、少しだけ張り詰めていた心を落ち着かせた。


アイナはミラをもう一度見やり、震える息をついた。


「最近…、このあたりで人攫いが増えているんです。山道や畑の帰り道でさらわれる子どもが何人も…。王都に訴えても、誰も聞いてくれなくて」


その声音には、長い間積み重なった不安と怒りが滲んでいた。


そこで、ふん、と鼻で笑う声が静けさを破った。


「王家は何をしている。国境沿いがこれほど荒れているのに、目を背けているのか?」


椅子にもたれたままのルーカスが、呆れたように言った。

相変わらず声ににも態度にも遠慮が微塵もない。


アイナは眉をひそめたが、次第に諦めの笑みに変わる。


「…()()()に期待する方が、間違ってますよ。私腹を肥やすことに夢中で、民なんて見ていません。王妃も、娘のリヴィアナ王女も贅沢三昧で…。お国の税金をどれだけ使っているか」


その言葉に、ヒストリアの胸の奥が微かに疼いた。


フェルバールの王。

自分と血の繋がった()()のこと。

だが、思い返しても親らしい影は何ひとつ浮かばない。


幼い頃から、父親の記憶などほとんどない。

自分の子であると認めなかったのか、認めていても母共々捨てたのか、真意はわからない。


奇しくも、ヒストリアはリヴィアナの代わりとしてノルディア大公国へ贈られる時に、初めて王から『家族』だと言われた。


ヒストリアは椀の中の薬草茶を見つめたまま、静かに唇を結んだ。

胸に触れるたびに温もりをくれる赤いペンダントだけが、ヒストリアにとって唯一の親という存在だった。


そんなヒストリアの表情を、セオドールは横目でそっと見ていた。

彼の顔は変わらない。無表情にも見える冷静さの奥で、わずかに光が揺れている。


「…この国の王政が腐っているという噂は本当だな」


ルーカスが吐き捨てるように言うと、アイナは苦笑した。


「…でも、本当にどうしようもないんです」


ヒストリアはそっとアイナの手に触れた。


「大丈夫です。必ず、何か変わります」


それが、誰に向けた言葉なのか――

国に、父に、そして自分自身にかもしれなかった。


ランプの火が、またふわりと揺れる。

それはまるで、揺らぐ心の奥を映し出すようだった。



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