59.雷の夜に
早速、カインの指示でセオドールの寝室から内扉で繋がる部屋にヒストリアの寝室が作られた。
一日でできたとは思えないこの部屋は、過度な装飾を避けつつ柔らかな淡い色調でまとめられ、押しつけがましさのない、居心地のよい空間となった。
しかし、穏やかなこの部屋に似つかわしくないのが―――、
ゴロゴロゴロ…ッ…!!
この夜、ノルディア大公国の空には雷が鳴り響いていた。
ガシャンッ!!
新しく作られた寝室にいたヒストリアは、驚きのあまり持っていた紅茶のカップを落としてしまった。
床に落ちたカップが粉々に割れている。
ヒストリアの祖国フェルバールでは、雷はめったに起きない。
突然光る辺り一面。
空の上で鳴っているとは思えない轟音。
いつ落ちるのかもわからない緊張感。
大公国では当たり前のことなのかもしれないが、ヒストリアには恐怖しかなかった。
ちょうど扉の向こう側、隣の部屋にいたセオドールが眉をひそめた。
「…ヒストリア?今の音は何だ」
扉に近づき声をかけるが返事がない。
「…返事がないのはやめろ」
ドカアァァァン……ッ!!
もう一度空が光り、雷鳴が部屋に響き渡る。
扉の向こうのヒストリアはといえば、肩を震わせ、耳を塞いで固まっていた。
セオドールは不穏さを感じ取り、すぐに扉を開ける。
「入るぞ」
ドアの向こうで見たのは――、
床に散らばるカップの破片、怯えて固まっているヒストリア。
セオドールは一瞬きょとんとしたあと、静かに言った。
「…まさか、雷が怖いのか?」
ヒストリアは顔を赤くしながらも、悔しそうに言い返す。
「だ、だってフェルバールでは滅多に鳴らないんです…。怖いんじゃなくて、慣れてないだけです…っ!」
「…子どもみたいだな」
「子ども扱いしないでください!」
「震えてる」
「気温のせいです」
「室内だぞ」
セオドールは思わず口を閉じた。
強く言い返してきたが、ヒストリアの声は震えていた。
次の雷が走る。
「――っ!!」
ヒストリアは反射的に目をつぶり、耳を塞いだ。
(…今日はやたらと幼く見える)
セオドールは、息をゆっくり吐いた。
「…来い」
「え…?」
「怖いなら、側にいろ。どうせ、昨日も並んで寝ただろ」
ヒストリアは顔を上げ、震えながらも言う。
「で、でも…、殿下が眠れなくなります…。私がいたら」
セオドールは短く笑う。
しかしそれはいつもの冷笑ではなく、どこか懐かしみのあるもの。
「…子どもの頃、雷が鳴るたびに母上が抱き寄せてくれた」
ヒストリアは目を丸くする。
「…お母上が?」
「ほんとに小さい頃の話だ」
セオドールの表情がわずかに赤い。
言葉を繋ぎながら、彼はヒストリアの頭にそっと触れた。
「ただ…、不安な夜は側に誰かがいると、落ち着く」
「…殿下、不安なんですか?」
「そんなわけないだろ。お前のことだ」
セオドールはやや強めに言い捨てる。
しかし次の雷が鳴り――
ドォン!!
セオドールは、反射的にヒストリアの腕をひっぱり、自身の方へ引き寄せた。
自然にその背中を抱き留める。
「…っ、怖い…」
「…言っただろ。こっちへ来い」
セオドールはそのままヒストリアを抱きかかえるようにして寝室へ誘導し、ベッドの端にそっと座らせる。
そして迷うことなく、彼女の手を包み込んだ。
「大丈夫だ。俺が側にいる」
いつもの鋭さのない、低くて優しい声。
ヒストリアの鼓動が急速に落ち着き始める。
「…殿下も、雷が嫌いだったんですね」
「…昔の話だ。今はもう怖くない」
雷が鳴るたび、ヒストリアは肩を震わせ、セオドールのガウンの袖を握った。
そのたびにセオドールは苦笑しながら頭を撫でる。
(…俺には臆せず何でも言ってくるくせに、雷ごときでこんなに怯えるとは)
距離はどんどん縮まり、いつの間にかヒストリアの頭はセオドールの胸に預けられていた。
鼓動が心地よく、温かい。
(…落ち着く…)
セオドールもまた、彼女が安心しているのを確認するように髪を撫でる。
次第に二人とも、静かに眠りに落ちていった。
*******
翌朝―――、
なかなか起きてこないセオドールを起こしに、寝室の扉を開けたカインは固まった。
見間違いだろうか。
主がヒストリアを抱きしめたまま寝ている。
「……殿下」
「……ん…?」
眠そうに目を開けたセオドールは、状況に気づいて動きを止めた。
「…お邪魔してしまいましたね」
その声にヒストリアも飛び起き、真っ赤な顔で布団を抱える。
「カ、カイン様、…違うんです、これは…っ、」
「…寝室、別にしない方がよかったのでは?」
カインはため息をつきながら微笑んだ。




