58.不機嫌な大公
大広間の朝食の席。
長いテーブルを挟んで、セオドールとヒストリアが向かい合って座っていた。
問題は、セオドールの表情だ。
目の下に薄い影。
眠い。
そして明らかに機嫌が悪い。
パンを噛むたびに無言の怒気が漂っていた。
カインがにこやかにやってきた。
「…おはようございます、両殿下。昨夜はよく眠れましたか?」
「…あ゛?」
一言で会話が終わった。
ヒストリアは紅茶のカップをそっと置く。
(…殿下は、私がいたから休めなかったのね)
案の定、セオドールは重い声で切り出した。
「…カイン。ヒストリアの寝室を用意しろ」
「え、ご一緒に寝―――」
「別にしろ」
被せ気味の圧。
「殿下、帝国からお戻りになったばかりではありますが、すでに婚姻を結ばれたというのは使用人たちには通達済みです。一緒にお休みになったのは自然な流れで―――」
「どこが自然だ」
「……」
セオドールは重いため息をひとつ。
「…眠れない」
ヒストリアはびくっとした。
(…やっぱり眠れなかったんだ)
カインは心底驚いた顔をした。
「…理由をお伺いしても?」
セオドールはパンを皿に置き、静かにヒストリアのほうへ視線だけを向けた。
ヒストリアは椅子の上で少しずつ縮こまる。
(えっ、私…?)
沈黙。
そしてセオドールは、低い声で呟くように言った。
「…目の毒だ」
「…はい?」
周囲の従者たちも一瞬固まり、ほぼ空気が止まった。
セオドールは続ける。
「薄い寝巻きを着せられたあの状態で同じベッドに寝るなど…、できると思うか?」
「…使用人たちなりの、歓迎の意図があったのかと」
「眠れなかった」
再び、正直すぎる宣言。
ヒストリアの耳が真っ赤になり、紅茶をこぼしそうになる。
カインは頭を押さえ、深く息を吐いた。
「…それでヒストリア様の寝室を別に、ということですね」
「そうだ」
「ですが、殿下。大公夫妻は同室というしきたりが」
そこまで言ったところで、セオドールが鋭く睨む。
「…では、お前に執務を全部押し付けてもいいのか?」
「え、脅しですか?」
「事実だ」
セオドールは実に眠そうな目で言い切った。
寝不足の大公は、容赦がなかった。
ヒストリアは慌てて手を上げた。
「あ、あのっ…、カイン様。私も元の部屋がよいのですが…」
ヒストリアが困ったように頼むと、カインは目を瞬かせ、すぐに柔らかく笑った。
「ヒストリア様がお望みなら、もちろん手配いたします。ただ――」
言いにくそうに前置きしてから続ける。
「東翼の元の部屋に戻るのは、さすがに距離が遠すぎます。ご夫妻のしきたりは別にしても、護衛の都合もありますし…。ですから、殿下のお部屋と繋がっている隣室をご用意します」
「…隣?」
ヒストリアは思わず聞き返した。
カインは頷く。
「はい。扉ひとつで行き来できるだけで、寝室そのものは完全に別です。お互いの部屋に行くのも行かないのも自由にできます」
「…まあ、それなら」
ヒストリアがほっと息をついたその瞬間。
セオドールが、低く、不機嫌そうに口を開いた。
「…もうひとつ、条件がある」
カインが眉を上げる。
「なんでしょう?」
セオドールは、寝不足ゆえの遠慮のない声で言い放った。
「昨日のような寝巻きはやめろ」
「…っ…!」
ヒストリアの耳まで一気に真っ赤になる。
カインは笑いを堪えるように口元を押さえた。
「殿下、それは…、その、寝巻き自体に問題が?」
「問題しかない」
即答。
「薄すぎる。布と言えるかも怪しい。あんなものを着て同じ空間にいろと言うほうがおかしい」
カインは気まずそうに頭を掻いた。
「…使用人たちの歓迎の気持ちとはいえ過剰でしたね。ヒストリア様の寝巻きはあらためて準備し直させます。厚手のものを」
「布を惜しみなく使え」
セオドールは容赦ない調子で頷いた。
カインはくすっと笑う。
「…では、ヒストリア様の寝室は殿下の寝室のお隣。寝巻きは布をたくさん使った厚手の物ということで、お二人のご意向として処理いたします。これでよろしいですね?」
ヒストリアは控えめに頷き、
「はい、ありがとうございます」
と言った。
セオドールはというと――
返答はなく、気まずさと眠気の入り混じった表情でヒストリアから視線をそらす。
カインは苦笑しつつも、どこかあたたかい目で二人を見ていた。
(……ああ、これはしばらく甘い騒動が続きそうだな)
と、心の中でそっとため息をつきながら。




