55.繋がる
帝都の中心にそびえ立つ白い神殿は、夜でも淡く光を放っていた。
案内する神官たちは、大神官の突然の帰還に蒼白になりながらも、「至急準備を!」と慌ただしく動き回っている。
セオドールは不機嫌そのものだ。
一歩後ろを歩くヒストリアの隣にルーカスが行こうとすると、ことごとく間に割り込んだ。
「邪魔だ、クソガキ」
「…邪魔だと言うなら、ヒストリアを連れてここで帰らせていただきます」
「…やはり、あの娘だけ連れてくればよかったな」
「させるわけないだろ」
二人の間に魔力と神力がパキパキ弾ける。
ヒストリアは小声でため息をついた。
(なんか面倒な二人…)
ミレイユとカインはさらに後ろで呆れていた。
「ねぇ、どうしてあんななのかしら…」
「殿下も殿下ですが、大神官様もなかなかのお方ですね…」
*******
―――神殿深部、古びた石造りの間に、金色の光を帯びた魔法陣が浮かび上がる。
人払いを行い、この場にいるのはルーカス、セオドール、ミレイユ、カイン、それからヒストリアの五人だけだ。
ルーカスがヒストリアを中央に立たせた。
「血が一滴必要だ。…少し痛むが、大丈夫か?」
ヒストリアが頷くと、ルーカスが小刀で自らの指先を軽く切り、魔方陣の中心にある二つある儀式用の杯のうち、一つに自分の血を一滴落とす。
「…手をこちらへ」
ルーカスが差し出す手を取ると、同じように小刀が指先に当てられ、チクッとした痛みが走った。
滲んだ血を、もう一つの杯へ落とすと―――
…キィィィン――…
澄んだ音が響き、杯が淡く光り始める。
それぞれの杯の光はゆっくりと脈を打つように光っていた。
最初はバラバラだった光が、同調するようにリズムを刻み、収束していく。
ミレイユがそっと呟く。
「まさか…本当に…」
カインも息を呑む。
「まるで同じ鼓動だ…」
ルーカスの肩が震えた。
「…こんなことが…、」
ヒストリアが不安げに見上げる。
「……?」
少しの沈黙。
そして、ルーカスは目を閉じた。
「…間違いない。お前は、ソフィアの血統だ。…ソフィアと俺の…」
声がわずかに掠れていた。
まるで涙をこらえているように。
七十年もの間、救えなかったと思っていた命が、繋がれ、今こうして目の前に立っている。
ヒストリアは胸に手を当て、そっと息を吸う。
「…じゃあ、私は…」
「…年齢的にはおそらく曾孫にあたるが、そんなことはどうでもいい。お前は俺の孫娘だ」
ルーカスはそう言い切った。
(…ソフィアが死んだと知らされたあの時、もしも諦めずに子供を探していたら―――)
そんな考えがルーカスの頭を過るが、すぐに首を振る。
(…いや、もしもはない。全てが繋がってるから今があるんだ)
ルーカスがヒストリアの手を取る。
傷ついた指先を包み、神力を流す。
温かい淡い金色の光が流れると、小刀でつけた傷が塞がった。
「…っ…、ありがとうございます、大神官様」
「…大神官か。…おじいちゃんと呼んでもいいぞ?」
「えっ、…む、無理です」
ヒストリアが首を振る。
おじいちゃんと呼ぶにはルーカスの見た目は若く見えるし、何よりこんなに位の高い大神官にそんな軽口は叩けない。
「…ならば、『リュカ』と。」
ルーカスが、静かな声でそう言った。
「…リュカ…様…?」
その呼び名に満足げに目を細めた青年リュカ―――、いや、九十年近くを生きるルーカスは、まるで失った家族をようやく見つけたかのような眼差しでヒストリアを見つめる。
「さて。これからしばらくは神殿で経過を見よう。神力についても調べる必要がある」
その言葉に、セオドールの肩がピクリと動いた。
「…は?」
「当然だろう。血が繋がっている以上、神殿が保護するのが筋だ。何より、こんな状況で大公国に送り出すなどありえない」
淡々と告げられた理由に、セオドールは眉をひそめる。
「大公妃は連れて帰ります」
「婚姻はまだ完全ではないと聞いたが?」
「…それが何か」
「神殿が認めなければこの婚姻は無効ということだ」
魔力と神力がぶつかり合い、周囲の空気がピンと張り詰める。
ヒストリアは、小さくため息をついた。
(…また始まった)
ルーカスは、一歩セオドールに詰め寄る。
「孫娘を他国の男になどやれるか。しかもお前のような傲慢な奴に」
「神殿に閉じ込められるよりはましでしょう」
「本当に失礼極まりないな、お前」
ピリッ、と空気が張り詰める。
ため息をつくヒストリアの横で、二人は互いに一歩も引かず睨み合った。
「神力の素質を持つかもしれない者を連れ帰って何をする。何か企んでいるのか?」
「大公妃として迎えます。それ以外に理由はない」
「宰相邸から連れ出すために結んだ婚姻だと聞いている。その件はすでに解決しているんだから問題はない。今すぐ離縁しろ」
「傲慢はどちらでしょう?大神官様」
「愛してるわけでもないのに、俺の孫を側に置こうとするな、クソガキ」
「…その呼び方をやめろ」
「呼ばれたくないなら、態度を改めろ」
「ヒストリアも帰りたいはずだ」
「本人が言ったのか?」
セオドールとルーカスが、同時にヒストリアを見る。
(えっ…、私?今?)
しかしセオドールは一歩も引かない。
「…用は終わった、帰るぞ」
「だから、認めないと言っているんだ」
ヒストリアは額を押さえた。
(…この二人、どうしてここまで相性が悪いの?)
背後で見守っていたミレイユがヒソヒソ声で呟く。
「…まるで、娘を嫁にやる父親と、嫌われた婿ね」
カインも小声で返す。
「…はい。どちらも性格があれでは、いつ終わることやら…」
そんな後方の囁きをよそに、二人の言い合いはどんどん酷くなる。
「そもそも、皇帝陛下の勅命による婚姻なので、大神官様の承認など必要がないはず」
「必要だ」
「必要ない」
再び魔力と神力がぶつかり、床が震えた。
このままでは、神殿の石壁に亀裂が走りそうだ。
二人はさらに距離を詰め、睨み合う。
「絶対に連れて帰ります」
「絶対に帰さない」
「…大神官様は、頑固だな」
「こちらの台詞だ」
バチバチバチッ――!!
火花が散った。
「そんな風に喧嘩をされるなら、私は出ていきますッ!!」
ヒストリアの大きな声に、二人の会話がピタリと止まる。
「…そうだ、神殿を出て俺とノルディアに帰―――」
「いいえ。大公国には行きません。…前にも言いましたが、フェルバールにいる母を迎えに行き、どこか、お二人がいない別の国で母と静かに暮らします」
ヒストリアの言葉に、静寂が落ちた。
先ほどまで魔力と神力がぶつかり合っていた空間は、嘘のように冷たい静けさに支配される。
セオドールの眉間には皺がより、ルーカスは目を見開いたまま固まっている。
二人とも、予想していなかったのだ。
ヒストリアが、自分から離れることを口にするなんて。
「…ヒストリア」
かすれた声でセオドールが名を呼ぶ。
「命を助けていただいたお二人には申し訳ありませんが、私がいることで喧嘩が増えるなら、どちらにもいることはできません。それに、私は大公妃になるためにノルディアに送られたわけじゃありませんし」
セオドールの肩がわずかに揺らぐのが、目に見えて分かった。
ルーカスも息を呑む。
「…ヒストリア。お前の血筋がわかった以上、手元から離したくない。勝手にどこかへ行くなど――」
「大神官様にも従えません。私は、私の人生を生きます」
淡々とした声だった。
淡々としているのに、ひどく重い。
セオドールは言葉を失い、ルーカスも眉を寄せて沈黙する。
――沈黙が続くのを見て、ミレイユが大きく両手を叩いた。
パンッ!!
「はいはい、二人とも一度冷静になって。このままじゃリアが本当に逃げてしまいますよ?」
セオドールもルーカスも反射的にミレイユの方を見る。
「そんな風に喧嘩されていたら、嫌にもなるでしょう?リアが行きたいのは大公国か神殿かじゃなくて、お母上と静かに暮らせる場所なんだから」
ミレイユはヒストリアの肩にそっと手を置いた。
「お母様と暮らしたい気持ちは分かるわ。でも、どこか別の国で生きるのは、あなたが思う以上に大変よ」
ヒストリアは視線を落とした。
ミレイユは続ける。
「そこで提案。ヒストリアは大公国に帰る。でも、定期的に神殿を訪れる。お母上を迎えるのも手伝うわ」
「…定期的?」
ルーカスが息を呑む。
「ええ、そうです。それなら、ヒストリアの体調や神力の経過観察もできます」
大神官はしばらく黙り込んだが、やがてため息をついた。
「…たしかにそうだな」
「セオも、リアが勝手にいなくなる心配がなくなるんだから安心でしょう?」
ミレイユが諭すように言う。
セオドールの視線がヒストリアを捉える。
「…お二人がそれで納得されるなら、私は構いません」
「…わかった」
セオドールが静かに頷く。
ミレイユは満足げに手を叩いた。
「決まりね!」
「結局、皇后様の一言で全部まとまりましたね」
カインの言葉に、ミレイユはにっこり笑う。
「そうよ。男って面倒だから、誰かがまとめないと」
そして、片目をつぶって見せた。
セオドールとルーカスは、同時にむっとした表情を浮かべる。
ヒストリアは小さく笑い、胸のつかえがほどけるのを感じた。




