5.塔の朝
―――翌朝。
薄い陽光が城を青白く照らしていた。
その光が塔のヒストリアの部屋まで差し込む頃、扉が静かに叩かれた。
「花嫁様、失礼いたします。お部屋に入らせていただいてよろしいでしょうか」
ヒストリアが返事をすると、部屋に小柄な少女が入ってきた。
栗色の髪を後ろで束ね、白いエプロンを揺らしている。
緊張しているのか、歩幅が不自然に小さい。
その表情は怯えと気遣いが混ざっていた。
「おはようございます、離れで生活される間、お世話をさせていただきます。侍女のエマと申します」
「おはようございます、ヒ…ッ……リヴィアナです」
―――危ない。
ヒストリアと言うところだった。
この娘もまた誰かに命じられてここにいるのだ。
「…朝のお支度をさせていただきます」
「ありがとうこざいます」
その一言にエマの手が止まった。
今までお礼を言ってきた花嫁などいただろうか。
部屋に入ってから一度も視線を合わせなかったが、おそるおそる顔を上げるとヒストリアが微笑んでいた。
ただ笑っているだけなのに、朝の冷たい空気が和らぐのを感じる。
「…長旅で、お疲れのところ起こしてしまい申し訳ありません」
「確かにあんなに長いこと馬車に乗っていたのは初めてで少し疲れました。でも、よく眠れたのでもう大丈夫」
エマは、鏡越しにヒストリアの髪を整えながら、
その普通すぎる優しさに戸惑っていた。
この城に花嫁が来るのは初めてではない。
これまでの花嫁たちは、みな当たり前のように命じ、罵り、自分をモノのように扱ってきた。
気付けば、髪を梳く手が震えている。
ヒストリアもそれに気付き、静かに尋ねる。
「…手、…大丈夫ですか?」
「…っ…!」
慌てて隠そうとしたが、袖口から見えた手首に古い火傷の痕が覗いていた。
「無理に隠さないで。痛むの?」
「い、いえ…、もう、平気です…」
「体を冷やすのはよくないです」
「…?」
ヒストリアが自身にかけられているストールを外してエマの肩にふんわりとかける。
これは、昔母の同じようにしてくれたことだ。
その行動に、エマは息を呑んだ。
侍女にこんなことをする姫を初めて見たからだ。
「…花嫁様」
「…うん?」
「…お優しい…方なんですね」
「ぇ、こんなことくらいで優しいなんて」
ヒストリアが笑ったのを見て、エマはうつむきながら小さく頷く。
その頬はようやく緊張が解けて少し赤みを帯びていた。
「…お茶をどうぞ」
身支度が済んだヒストリアに、エマが紅茶のカップを差し出す。
「ありがとう。…良い香りですね」
ソーサーには小さな白い花が添えられていた。
「…もしかして、この部屋を整えてくれたのはあなたですか?」
「ぇ…?」
「このお花が窓にも」
ヒストリアは鉄格子の嵌められている窓を指差す。
「し、失礼しました!すぐに片付けますので―――」
「もしできたらそのままにしてください。部屋に入った時、綺麗なお花だなと思いました。それに、この国に来て初めて見た花なので」
「北方にしか咲かない野花なんです。粗末なもので申し訳ありません…」
「大輪の花束が飾ってあるより、この土地で咲くお花で迎えてくれたことがとても嬉しい」
「も…、もったいないお言葉です、花嫁様!」
「そんなにかしこまらないでください。失礼でなければ年齢を聞いても?」
エマは照れ臭そうに「…十八です」と答えた。
「十八?なら私と―――…」
――違う…。
リヴィアナの年齢は二十歳だ。
「…私の、―――二個下ですね」
本当は同い年。だがそれを言えない。
喉の奥に、小さな棘のような嘘が突き刺さる。
「…エマって呼んでもいいですか?」
ヒストリアが微笑むと、エマは"もちろんです"と答え、部屋の空気が少し暖かくなった気がした。
――けれど、その優しい時間を破るように、扉の外からノックの音が響く。




