51.氷花の秘密
帝国の大公屋敷―――
夜風は冷たく、空には薄い雲がかかっていた。
辺りには澄んだ空気が満ち、静寂に包まれている。
その中でただひとつ、淡い青白い光だけが揺れていた。
窓の外に見える淡い光に気付いたヒストリアが、興味深げにテラスに出る。
(…殿下?あんなところで何を…)
視線の先には、セオドールがいた。
屋根の上に座り、手の上で青白く光る何かを見つめているようだ。
いつか見せてくれた氷の鳥や蝶のような魔法だろうか。
ヒストリアが手すりに足をかけ屋根に登ると、それに気付いたセオドールがあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「…勝手に動くな。まだ完全に回復していないだろ」
「殿下こそ。こんな寒い場所にずっといたら風邪をひきますよ」
セオドールは視線をそらす。
「…ひかない」
セオドールが指先で形造っていたのは、氷花に似た花。
本物より少し小さく、透明で、触れたらすぐ溶けてしまいそうな儚さを帯びていた。
「前に見せてくださった、氷の鳥や蝶みたいなものですか?」
ヒストリアは、セオドールが手のひらに浮かべていた淡い青白い花をそっと覗き込んだ。
触れたら消えてしまいそうな光の花。
それでも、指を伸ばしてみたくなるほど綺麗だった。
ヒストリアがそっと手を伸ばす。
その瞬間――、
セオドールの手が、ぱし、と彼女の手首を掴んだ。
「…触るな」
「またですか?」
ヒストリアは眉をひそめ、じっと見上げる。
「…殿下が作る魔法の花でも触ってはダメですか?」
「…花を見るなら、もっと離れて見ろ」
「この花にも、壊したくない思い出があるんですか?」
そう言った瞬間、セオドールの指がわずかに強くなる。
「…思い出?」
「あの大公城で、私が氷花に触ろうとした時のことです。『触るな』『壊れる』とおっしゃったでしょう?婚約者に贈られた花の思い出が壊れると、そう思っていました」
セオドールは大きく息をついた。呆れたような、けれどほんの少しだけ苦い色のため息。
「勝手な解釈をするな。そんな思い出、俺にはない」
「では、なんで触るなとおっしゃったんですか?」
彼はしばらく黙った。
夜風が冷たく吹き、二人の間にだけ熱が残る。
そして―――、
「…氷花は、触れたら破裂する」
ヒストリアの表情が僅かに揺れる。
「…破裂?」
「弾けて鋭い破片が飛ぶ。あれは、綺麗だが危険なんだ」
ヒストリアは言葉を失い、そのままセオドールを見つめる。
セオドールはそれ以上目を合わせようとせず、青い魔法の花を弄んだ。
「最初から、思い出の話なんてしてない」
最後の一言だけが、夜気の中で妙に熱を帯びる。
ヒストリアは意識せず、一歩近づいた。
「…殿下は、言い方が不器用ですね」
「お前は、言い方にまで文句をつけるのか」
「つけたくもなります。“触ると破裂するから離れていろ”と言ってくだされば、誤解しませんでした」
「…そんなこと、普通は言わなくても気づくだろう」
「気づきません」
言い合いになりながらも、二人の距離は自然と近づく。
ヒストリアは魔法の花にそっと手を伸ばし、セオドールが止めようとするより一瞬早く触れた。
花は、ただ静かに光の粒となって散った。
「冷たい…」
「だから触るなと言ってるだろ。凍傷になるぞ。それから、城に帰っても、絶対に本物の氷花には触るな」
ヒストリアはその言い方に、ようやく本心を見つけた気がして、口元を緩めた。
「…では、殿下と一緒に遠くから見るだけにします」
セオドールは一瞬言葉を失い――
「……勝手にしろ」
そっぽを向いた。
ヒストリアはその横顔を見て、そっと笑う。
夜風は冷たいのに、ほんのり温かい時間が流れた。




