番外編~皇后の甘味談義~
その日、セオドールは皇宮に呼び出されていた。
ヒストリアの経過観察のため、大神官ルーカスには、再びセオドールの屋敷に行ってもらう必要がある。
しかし、両者とも一筋縄ではいかないため、皇宮内の大聖堂にルーカスがやってくるタイミングで、レオンハルトがセオドールを呼び出したのだ。
ルーカスは露骨に眉をひそめる。
「このクソガキがいるとは聞いていないが?お前、今度俺に魔力を向けてみろ。今度は神殿の泉に沈める」
「まずは挨拶しろ」とレオンハルトが小声で合図するが、セオドールは素直に従う様子がない。
「しかし兄上、あいつは俺のことをクソガキと…!」
「ヒストリアのためだ、我慢しろ」
「嫌です」
そんな殺気立った空気を――、
ひとりの女性が、軽い足取りで破壊した。
「まあ、大神官様ではありませんか!お久しぶりです」
ミレイユ皇后である。
ルーカスはピタッと動きを止めた。
「あぁ、お前か。…なんだ、今日はやけに機嫌が良いじゃないか」
ミレイユはにっこり笑って、
「大神官様がお好きな神蜜キャンディ、限定の“翡翠味”を手に入れました。神殿に送ろうか迷っていたところです」
ルーカスは一瞬で表情を変えた。
「…本当に手に入れたのか?」
「ええ、大神官様、翡翠味はお嫌いですか?」
「嫌いなわけないだろ。あのキャンディは神官たちの中で“神が作った味”と呼ばれているからな」
ミレイユはレオンハルトとセオドールに向かって片目をつぶってみせる。
「ご一緒にいかがですか?ちょうどお茶の用意をさせてありますので」
すると――、
ルーカスが、セオドールにも見せたことがない速度で頷いた。
「ぜひ、いただこう」
その様子を見ていた兄弟二人は目を丸くした。
ミレイユは嬉しそうにルーカスを連れて部屋へ向かう。
「大神官様、あの新しく入った司祭の方って、とても手先が器用だという噂は本当ですか?今度、刺繍を教えていただきたいです」
「あぁ、あいつは、薬草を刻むより刺繍をやらせた方が民に貢献できるんじゃないかというレベルだ。今度、一緒に連れてきてやろう」
「楽しみです」
その背中を見送りながら、セオドールとレオンハルトは呆然としていた。
「…兄上、大神官にあんな顔をさせた者、他にいましたか」
「いや…、見たことがない。まぁ、今は機嫌を損ねるのは得策じゃない。ミレイユに任せよう」
二人は、頭を抱えながら遠くから見守るしかなかった。
*******
皇后専用のサロン。
可愛い焼き菓子と、高級茶葉の香りが広がっている。
ミレイユは目の前の銀皿をルーカスに差し出した。
「大神官様、どうぞ。こちらは私のおすすめの蜂蜜タルトです」
ルーカスはタルトを一つ取ると、眉をひそめた。
「…お前のところはいつも甘いものでいっぱいだな。神殿ではまともな菓子を作れるやつがいない」
さくっ。
一口食べた瞬間―――…
ルーカスの金の瞳が、溶けたように柔らかくなった。
「……」
ミレイユは期待に満ちた目で見つめる。
「お気に召しました?」
「うまい。神殿の菓子担当にこれを渡して“見習え”と言いたいくらいだ」
ミレイユは皿を指さす。
「ふふっ…、帰りに全てお土産にいたしますね」
「ありがたい」
そこで、ミレイユが切り出す。
「…帝国の甘味も美味ですが、大公国にも素晴らしい菓子職人がいるのをご存知ですか?」
「…大公国か。…生憎、クソガキの国には行ったことがないが、お前が言うならそうなんだろうな」
「はい、帝国とは別の、また素晴らしい甘味で、大神官様にも一度味をみていただきたいです」
「北方にはなかなか行く機会がないんだ」
「北方まで行かずとも、国内にあるセオドールの屋敷に菓子職人を呼び、リアが回復したら、三人で大公国のお菓子を味わうというのはいかがですか?」
「…リア?」
「ヒストリア大公妃です。この度は大神官様の計らいによって、少しずつ元気になっております」
ルーカスはティーカップを傾けたまま、ミレイユの言葉に片眉を上げた。
「…“リア”とは随分と親しげに呼ぶんだな」
ミレイユは微笑み、頬に触れた髪をそっと払った。
「ええ。私たちは以前、大公国で少しの間一緒に過ごしました。とても可愛らしくて、強い子です」
「…今回の事件の発端か」
「はい。許せない事件です。侯爵父娘の罪は、どんなことをしても償わせますが、リアに少しでも後遺症が残ったらと思うと、心配でなりません」
「…後遺症?何かあるのか?」
「そういうわけではないのですが、あれだけ酷い目に遭ったのです。何かあったら、と…」
「そんなものあるわけがない。俺が直接治癒したんだからな」
ルーカスが眉間に皺をよせ、ティーカップをカチャン、とソーサーに置く。
「もちろんです。大神官の治癒に間違いがあるわけがありません。…ですが、友人として、また家族として、リアの身を案じてしまうのです」
「…何が言いたい」
「…一度、治療の経過を診ていただければ、私も安心なのですが…」
ルーカスは大きく息を吐く。
「それが目的か」
「申し訳ありません」
「始めから、そう言えばいいだろ?菓子で釣るような真似などしないで」
「…いえ、ルーカス様とお菓子を食べながらおしゃべりしたかったのは本当です。私たち、甘い物の好みが似てますので」
ミレイユがにっこり笑った。
それを見てルーカスも、ふっと笑う。
「…確かにそうだ」
「また、お茶にお誘いしたいです。今度はリアも一緒に」
「…わかった。一度診てやろう」
「ありがとうございます、大神官様」
ミレイユは柔らかく微笑んだ。
その笑みは、甘い菓子より穏やかで、サロンに差し込む光より優しく、ルーカスさえも気付かぬうちに心を静かにほどいていくのだった。
皇后の甘味談義・完




