番外編~皇帝の受難~
皇宮の皇帝執務室。
レオンハルトが書類に目を通していたその時―――、
バンッ!!
控えめさとは無縁な音と共に、扉が勢いよく開いた。
「レオンハルト!!」
怒鳴るような声。
真っ白な髪と金の瞳を持つ、大神官ルーカス・エレインがずかずかと入ってくる。
慌てて近衛が制止に入ろうとしたが、
「触るな小僧。俺は神に仕える神殿の長だ。貴様らごときが触れていい存在ではない」
と言われ、あまりの威圧感に全員がビシッと直立不動になった。
レオンハルトは苦笑しながら立ち上がる。
「大神官様…、その、いらっしゃいませ。本日は、どういった―――」
「どういった、じゃない!!」
ルーカスが机をバンッと叩いた。
皇帝の机を叩ける存在は世界広しといえど彼しかいない。
「なぜ俺に『治癒スクロールを山ほど作れ』などという下働きじみた真似をさせた?俺は手が二本しかない!疲れるんだよ!!」
レオンハルトは額を押さえる。
「…あの、もちろん直接治していただければ、もっと早かったのでしょうが…、何しろ弟は頑固なところがありまして」
「…フン、あのクソガキか。赤ん坊の頃に見て以来だが、相変わらず無愛想なガキだ」
ルーカスが目を細める。
「弟は、妻の傍を離れようとしなくて…」
レオンハルトは少し気まずそうに視線をそらす。
「妻?あの娘はクソガキの嫁なのか」
「え?あ、いや、まぁ…、形式上といいますか、苦肉の策といいますか…。囚われていた宰相邸から連れ出すために、私の勅命で婚姻を結んだのです」
「お前らは、結婚を何だと思ってるんだ」
「ですが、その時はそれ以外に手が思い付かず…。あれ以上遅れていたら、大神官様の治療でも間に合わなかったかもしれません」
「確かに、酷い状態だった」
「はい。ですから大量のスクロールを―――」
ルーカスは両手を広げ――
「だからといって、俺に作らせる奴があるか?神殿の仕事が山のようにあるというのに!」
「…本当に申し訳ございません」
皇帝が素直に謝ると、大神官はますます偉そうになる。
「それにな!!あのクソガキ…」
悪意を隠す様子もない。
「治療している俺に向かって攻撃しようとしやがった。これはなんだ?神への冒涜か?」
「い、いや…、セオドールも心配で気が立っていたのでしょう…」
「言い訳は聞いていない!!」
レオンハルトが頭を抱え、ルーカスはさらに畳み掛ける。
「しかも!治療してやったというのに、礼の一つもなかったぞ。何だあれは」
レオンハルトはもう返す言葉がない。
「…申し訳ございません」
大神官はふんっと鼻を鳴らす。
「とにかく、俺は神殿に戻る。またくだらない仕事を押しつけてみろ。神罰が下るからな!!」
そう言い残し、ルーカスは白い法衣をばさりと翻して去っていった。
扉が閉まった後、
近衛たちは一斉に大きく息をついた。
レオンハルトだけが、机に肘をつきながらぼそっと呟く。
「あのじいさん、相変わらずだな…」
*******
ヒストリアが意識を取り戻して二日後。
皇宮は少し落ち着きを取り戻していた。
その裏でひとり、全く落ち着きを取り戻せないのがレオンハルトである。
理由は単純。
―――大神官ルーカスの機嫌が、まだ直っていない。
困り果てた神殿から、レオンハルトの元に書簡が届いたのだ。
「…よし。今日は正式に謝罪しに行こう。ただの顔見せではなく、ちゃんと…」
決意を固めた皇帝は、重厚な神殿の扉を前に深呼吸した。
(大丈夫だ…、俺は皇帝で本来なら大神官様よりも位は上だ。冷静に、威厳をもって…)
そう自分に言い聞かせ、扉を叩いた。
「失礼する。大神官様、少々お時間を――、」
「帰れ」
即答だった。
扉を開けてすらもらえない。
「だ、大神官様!まだ何も――」
「クソガキの兄と話すことなどない。ついでに、神殿に入る前にその靴を拭け。砂が入る」
「あっ…はい、すみません!」
レオンハルトが、神殿の入り口で靴を磨く。
近くの司祭たちが小声でひそひそと話している。
「陛下が、…靴を磨いておられる…。お止めしなくてよいのだろうか…」
「大神官様のお怒りを買ったんだな…。あれは定番の嫌がらせだ…」
「…陛下、お気の毒に…」
レオンハルトは扉を再び叩く。
「大神官様、本当に申し訳ありませんでした。スクロールを百枚も書いていたとは知らず…」
「百六枚だ。物事は正確に話せ」
「…す、すみません。百六枚も…」
ようやくガチャリ、と扉が半分だけ開き、ルーカスが金色の瞳を覗かせた。
「…で、何の用だ」
レオンハルトは即座に深々と頭を下げる。
「ヒストリアの治癒の件、そしてセオドールの無礼…、本当に申し訳ございませんでした」
「やっと礼を言いに来たか」
「遅くなり、大変申し訳ありません」
「あのクソガキが俺を睨んだ。あの目つきは絶対に忘れないからな」
「…肝に銘じます」
ルーカスはつんと横を向く。
レオンハルトは仕方なく、手土産の箱をそっと机の上に置いた。
「…大神官様、お好きと伺った神蜜キャンディ”です。皇宮の特別製で――」
その瞬間、ルーカスの眉がピクリと動いた。
「ほう…、神蜜?」
神官たちの間で、大神官の唯一の弱点として語られる甘味である。
レオンハルトは一歩下がって笑う。
「ええ。お口に合うとよろしいのですが」
ルーカスは箱を開け、一粒取り出して口に放る。
――ぽきっ。
「……」
(…怒りが…引いたか?)
レオンハルトは心の中で安堵する。
ルーカスはふう、と息をついて、
「…まあいい。娘の回復は順調だと聞いている。あとはあのクソガキが倒れる前に適度に寝かせろ。あんな顔色でいられて、次にクソガキの治療に行かされるのはウンザリだ」
「はい、ありがとうございます!!」
「言っておくが、次に呼ぶ時は最初から俺に治癒させろ。今度スクロールを作らせたら地面に埋める」
「…心得ております」
ルーカスは満足げにキャンディの箱を抱え、
「帰っていい」
と言い、バタンと扉を閉めた。
レオンハルトは深くため息をつきつつ呟く。
「…セオドール…、次に大神官様の機嫌を損ねたら、皇帝でもどうにもできないぞ…」
神殿の司祭たちはそっと同情の眼差しを向けていた。




