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49.目覚め



ルーカスが部屋を出ていき、扉が閉まると、寝室に、急に音が戻ってきたような気がした。


セオドールは寝台へ駆け寄る。


ヒストリアはまだ眠っていた。

呼吸は浅いが、先ほどよりずっと整った音がする。


セオドールはそっと、彼女の細い指を包み込む。

冷たくない。それだけで胸が揺れた。




「…聞こえてるか?」


返事はない。


しかしセオドールは、まるで聞こえると信じているかのように続けた。



「お前には、申し訳ないことばかりしているな」


震える声をごまかすように、額を彼女の手に押し当てる。


「……」


小さく息を吸ってから、

彼はようやく顔を上げた。


その時、小さな変化に気付く。


―――ヒストリアの睫毛が、かすかに震えた。



セオドールの心臓が痛いほど跳ねる。


「…ヒストリア?」


「…っ…?」


弱い息が漏れ、ヒストリアの瞳がゆっくりと開いた。


乾いた唇がわずかに動く。




「…ここは…?」


セオドールは呼吸を忘れた顔で、ただ見つめた。


「…俺の屋敷だ」


彼の声は掠れていた。




ヒストリアは視界を探るように瞬きをし、セオドールの顔に焦点を合わせる。


そして―――、


「…殿…下…?」


その声を聞いた瞬間、セオドールの喉が詰まった。


涙ではない。

でも、ほんの一瞬、声が出なかった。



やっとのことで絞り出す。




「…やっと…、目を開けたな。…三日だぞ。三日も…眠ったままで…」


声が震えている。


ヒストリアは状況が飲み込めていないのか、苦しそうに目を細める。


「…すみません…」


セオドールは首を振り、彼女の額に手を当てた。


「お前は何も悪くない。…謝るのは俺の方だ」


ヒストリアの目尻に涙がにじむ。



「…エマは…、無事ですか?」


「あぁ、ミレイユが保護してる。お前より元気だ」


ヒストリアはほっと息を吐き、ようやく涙がこぼれた。


セオドールはその涙を拭うと、しばらく彼女を見つめ続けた。



生きている。

呼吸している。

自分のことを呼んだ。



それだけの事実が、胸の奥をじわじわと満たしていく。


言葉にすると崩れそうで、セオドールはしばし何も言えなかった。


ヒストリアが小さく瞬きをし、


「…殿下?…もしかして、殿下もどこかお怪我を…?」


不安そうに聞いたその一声が、彼の理性の最後の糸を切った。



「…こっちへ」


低くかすれた声で言うと、セオドールはヒストリアの肩にそっと手を伸ばし、


そのまま――、

胸元へ引き寄せた。


「…っ…!」


ヒストリアの細い体が、セオドールの腕に完全に包まれる。


力は強い。

でも、乱暴ではなく、まるで生きていることを実感しているような、そんな抱きしめ方だった。


ヒストリアは驚いて瞬きをするが、セオドールの胸から伝わる震えに気付き、目を見開いた。


「…殿下、震えています…」


「…気のせいだ」


否定の言い方は荒いが、声は弱い。



ヒストリアはそっとセオドールの服を握った。


セオドールは深く息を吸い、ヒストリアの肩口に額を押し当てる。



「…本当に、…よかった」


押し殺した声だった。


怒りでも、焦りでもない。

それらを全部通り越した先にある、“安堵”という名のどうしようもない感情。



「お前が、戻ってこなかったら、…俺は一体どうすればよかったんだ…」


ぽつりと落ちるその言葉に、ヒストリアの胸が苦しくなる。


震えた声で、そっと返した。


「…助けてくださって、ありがとうございます」


その言葉に、セオドールの腕がまたぎゅっと強くなる。


まるで“何度確かめても足りない”というように。


やがて、少しだけ力を緩めると、セオドールはヒストリアの髪に指を滑らせた。


「もう、大丈夫だ。お前を二度とあんな場所に戻させない」


その誓いは、静かで、でも確かだった。



その時、控えめなノックと共に、扉が急に開いた。


「殿下、先ほどの件ですが―――、」


カインが書類を手に入室し、そこでセオドールとヒストリアを見て、目を瞬いた。


けれど次の瞬間、何事もなかったように軽く頭を下げる。


「――妃殿下、お目覚めとは知らず失礼いたしました。お加減はいかがですか?」


ヒストリアは一瞬言葉を失った。




(……ひ、妃殿下?…え…?)


自分に向けられた称号が理解できず、反射的にセオドールを見上げた。


セオドールは、あからさまに顔を反らす。


カインはじとりとセオドールを睨む。



「…殿下。まさかとは思いますが、まだご説明なさっていないのですか?」


「…今、目が覚めたところだ。話すタイミングがない」


「寝台の上で抱き合ってる時間はあるのに、大事な一言は言えないと?」


慌てて二人は離れる。




「…うるさい」


二人のやり取りに、ヒストリアはますます混乱する。


「あ、あの…、カイン様、一体何のことでしょうか」


カインは優しく、しかし容赦なく言い切る。


「はい。姫は正式に、ノルディア大公妃となりました」


「…え?」


セオドールが少し居心地悪そうに、視線を彷徨わせる。


カインは淡々と続けた。


「宰相邸からヒストリア様を救出できたのは、“皇帝陛下の勅命による婚姻” のおかげです。大公国の妃――、つまり帝国の皇族に連なる身分となれば、宰相府が私的に拘束することは絶対に許されませんから」



ヒストリアの胸が大きく揺れた。


婚姻。

大公妃。

宰相邸から救い出せた理由。


ひとつひとつが、胸の奥でゆっくり意味を結ぶ。



「…で、殿下…本当、なのですか」


セオドールは観念したように息を吐き、ヒストリアの目をまっすぐに見た。


「…ああ。お前をあそこから取り戻すために、他に手がなかった」


その声は、嘘も飾り気もなかった。


ヒストリアの瞳が揺れ、胸がきゅっと締めつけられる。


「…婚姻を、無理やり押し付けるつもりはない。城では今まで通り暮らせばいい」



守るための行動が、彼女を困惑させてしまったのではないか。

そんな不安が端々に滲んでいた。


ヒストリアは胸に手を当て、息を震わせる。


「…殿下、私は…」


言葉を紡ごうとした、その時――、


バンッ!!


勢いよく扉が開いた。


「ヒストリア様!!」


甲高い声が部屋に飛び込み、そのまま小柄な影が寝台に突進する。


「エマ…!」


ヒストリアの目に一瞬の驚きが走り、次の瞬間には腕の中にエマが飛び込んでいた。


「よかっ…、よかった、ほんとに…!もう二度と会えないかと思いました…!」


エマはしゃくり上げながら、ヒストリアの肩にすがりつき、涙でぐしゃぐしゃになっている。


ヒストリアも、堪えていた涙が溢れ出した。


「…エマ…、生きてて…よかった…」


二人が抱き合う姿を見ながら、セオドールは言葉を飲み込んで少しだけ視線をそらした。


自分が入る余地などない、

けれど――それがいい、とも思った。


カインは小さく笑い、その場を静かに見守るように壁際へ下がる。


部屋には涙と安堵が満ち、ヒストリアはようやく少しだけ落ち着いていった。





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