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41.最終尋問



石壁は湿り、冷えきっている。

松明の火は弱く、影だけがゆらゆら揺れていた。


ヒストリアは鉄枷に吊られたまま、呼吸だけでやっと命を繋いでいた。



背には鞭の痕。

腕と足には重度の打撲。

指先は寒さと痛みで痙攣し、意識がとぎれとぎれになる。


「……っ、は……」


声を出すだけで、肺の奥に焼けるような痛みが走る。


だが、彼女の意識の中に恐怖はない。



―――エマだけは逃がせた。



あれから何日経ったかわからないが、セレナはエマを捕まえたらヒストリアの横で殺すと言っていた。

ここに連れ戻されていないところをみると、おそらくエマは無事に逃げたのだろう。


その一点の希望だけが、かろうじて彼女の正気を繋いでいた。



だが同時に、自分がここで死んでも誰もわからない。

誰も来ない。



その現実は、胸の奥をゆっくりと蝕んでいた。



…お母さん

…フェルバールの第三騎士団のみんな


…エマ

…ノエル

…カイン様


…セオドール殿下


もう、誰にも会えないまま、ここで死ぬのかもしれない。


そう思ってしまったら、急に涙が溢れてくる。



ほどなくして、拷問室に兵士がやってきた。


「おい、侯爵様がお呼びだ」



鎖を外され、引きずられるように歩く。

重々しい鉄扉が開閉されるたび、地面まで震えるような低い音が響いた。



地下の最奥に、その部屋はあった。


侯爵だけが入ることを許された最終尋問室には、複雑に組まれた魔法陣がいくつも展開されていた。


床に刻まれた陣は、血を吸った黒鉄色に濡れ、中心には鎖と器具が用意されている。


その配置は無秩序に見えて、すべてが計算され尽くされていた。



目的は――、

“真偽の強制”



尋問のための魔術だ。


部屋の中央に立つ男が、魔法陣の光を受けて影を落とした。


宰相ラザフォード・オルディス侯爵、セレナの父である。



白髪交じりの髭を撫でながら、彼は冷静に器具の点検をしていた。



「お初にお目にかかる。贈り物の花嫁殿」


「……」


「私はこの国の宰相だ。罪人は罰せねばならん」


「……」


「…証言や証拠も全て全て揃っている」


彼は淡々と呟く。



「…さて、これから君には()()()()をしなければないんだが…、」


横で控えている兵士たちにも緊張が走る。



「…どうだろう?ここで自白するなら、尋問は行わない。私だって娘と変わらないような年頃の女の悲鳴は聞きたくないからね」


侯爵の声は平然としていた。


「君が口を割らない限り、我々も動きづらいんだよ。“噂の証言”では、いつひっくり返されるかわからんからな」



「…っ、…く…口を割るも何も…、やってもいないこ…とで、何を話せと言うのですか」


ヒストリアの言葉に、兵士たちは息を呑む。



侯爵は魔法陣の中心に手を置き、魔力を流し込んだ。


淡い光が広がり、床に刻まれた線がじわりと赤く染まる。




「では、ここで()()()()()しかないな」


それは、この男にとって当然の作業でしかないようだった。



魔法陣が深紅に光り、尋問室の空気が重く歪む。


その赤い光が、まるで呼吸するように脈打っていた。


ヒストリアは冷たい石台に膝をつかされ、鎖で両手を上へ引き上げられている。


肌に食い込む鉄の冷たさが、痛みより先に意識を奪っていくようだった。




(…だめ、眠っちゃ…)


かすむ視界の先で、

重い足音がゆっくりと近づく。




「選んだのは君だ」


オルディス侯爵の声は、氷より冷たかった。



「……」


ヒストリアは顔を上げる。

少し体を動かしただけなのに、全身が悲鳴をあげた。


侯爵はヒストリアの顔をじっと見つめ、感情の欠片もない声で言った。



「…美しい娘だと思っていたが、随分と汚れたな。ひどい顔をしている」



嘲りではない。

ただの“観察”だった。




「では始めよう。皇后暗殺未遂計画――、首謀者はお前だな?」



ヒストリアは首を振る。


それだけで、鎖が軋み肩に激痛が走った。



「…ち…違い…ます」


侯爵は軽く頷くと、側の兵士に合図した。


次の瞬間、魔法陣の赤い線が一斉に光を強める。


ヒストリアの手足に絡む鎖が震え―――、

胸の奥がひきつった。




―――息が、吸えない。


「……っ、は…ッ…あ…!」


それは外傷の痛みではない。

体内の脈に魔力を逆流させ、魔法を使えない体のまま魔力だけを暴れさせる、オルディス家に伝わる拷問だった。



外からはただ苦しむしかない。




侯爵が近づき、静かに言う。


「これはまだ始まりだ。ただの確認にすぎん」


ヒストリアの額からは汗が落ちた。


しかしその瞳にはまだ怯えより怒りが宿っている。



「……っ……私は、…やってません……」


侯爵は淡々と頷いた。


「だろうな」


ヒストリアの呼吸が止まる。



「事実などどうでもよい。必要なのは、“罪状の完成”だけだ」


侯爵はさらに魔力を流し、魔法陣の光が強烈に震えた。


ヒストリアの体が反り返る。



「……ぁ…あ…っ……!」


声にならない声が漏れる。


彼は、ヒストリアの髪をガッと掴むと、無理やり顔を上げさせる。



「大罪人の言葉は、どれだけ歪んでいても真実として扱われる。―――これが帝国の法だ」


ヒストリアは荒く息をしながら、必死に言葉を搾り出した。



「どうして…、そこまで……」


侯爵の答えは一つだった。



「娘のためだよ」


その声は異様に静かだった。



「…っ、」


「私が守るべきはセレナの未来だ。そのために、まずは大公国の実権を握る」


その瞬間、ヒストリアの視界が一度白く弾けた。


魔法陣が最高潮に光り、体の奥から、悲鳴が漏れそうなほどの痛みが走る。



「答えろ。お前が首謀者なのだな?」


ヒストリアは歯を食いしばって、首を横に振った。



その小さな動作だけで、

再び体が震え、鎖が鳴った。


侯爵はため息をつく。


「…頑固だな。だが、心を折る方法ならいくらでもある」



彼は手袋を外し、魔法陣の中心に手を置いた。


「死なぬ程度に調整はしておく。()()()()()()()と決まっているのでな」


淡々とした声が響く。


再び魔法陣が赤く光を帯び、ヒストリアの全身が震える。


限界は、すぐそこだった。




「お父様――」


高いヒールが冷たい石床を叩き、コツ、コツ、と軽い音が響いた。


扉が乱暴に開けられ、彼女の瞳と同じ、鮮やかな紫のドレス姿のセレナが入ってくる。


侯爵は眉一つ動かさず視線を向けた。


「…セレナ。ここには入るなと言ったはずだ」


「だって、気になるじゃない」

セレナは笑う。


その笑みは、甘くて、底が真っ暗だ。



「殿下の可愛い花嫁がどんな顔になってるのか」


ヒストリアは顔を上げようとしたが、痛みで視界が揺れるだけだった。


セレナはくつくつと笑いながら近づき、わざとヒストリアの顎を指先で持ち上げる。



「まあ…、ひどい顔。その鎖、似合ってるわよ。処刑の時にもそのまま付けておいてあげる」


ヒストリアは目をそらさない。

怯えではなく、怒りと軽蔑の瞳で。


セレナはその視線を見て、さらに笑った。


「まだ睨めるのね。そんな余裕があるなら、お父様、もっと魔力を流しても――」



「セレナ」


侯爵の低い声がセレナの言葉を断ち切った。


「これ以上は本当に命が危なくなる。処刑は公開の場でなければならん。自白もしないままここで死なれては困る」


セレナは一瞬だけつまらなそうに唇を尖らせたが、

すぐに笑顔を戻した。


「わかってるわ、お父様。でも…、」


ぱちり、とヒストリアの頬をセレナの扇子が叩く。


「…ねぇ、あなたが死んだら、セオドール殿下はどんな顔をするのかしらね?」


ヒストリアの手が震える。

怒りか、痛みか、自分でもわからない。



セレナは囁くように続けた。


「聞いたわ。殿下、あなたが倒れた時、ほとんど錯乱してたんですって?」


わざと侯爵に聞こえるように、甘く。


「護衛を殺しかけたんですってねぇ…?あの暴君が、女ひとりで取り乱すなんて」


ヒストリアが息を呑む。



セレナはその瞬間を逃さず笑った。


「だからこそ邪魔なの。殿下が見ているのはわたくしだけでいいの」


ヒストリアの視線が鋭くなる。


セレナはその反応を待っていたかのように、

ゆっくりと耳元に顔を寄せた。


「あなたを消せば、殿下はきっと悲しむわね。クスッ…、楽しみだわ。あの人がどんな顔をして苦しむのか」



ヒストリアの胸に、今までにない怒りが燃え上がる。



(この女は…、殿下を何だと思ってるんだろう…)



侯爵が軽く咳払いする。


「セレナ。もう出ろ」


「はぁい」


セレナはくるりと踵を返し、扉へ向かう前に一度だけ振り返る。



「ねぇ、せいぜい、裁判までは生きてなさい?処刑には殿下も来られるわ。その前に死んじゃったらつまらないもの」


そして、ひらひらと手を振りながら去っていった。



扉が閉まり、

再び赤い光だけが部屋を照らす。


ヒストリアは、かすれた息の中で強く思った。



(…絶対に…許さない)


その怒りだけが、

辛うじて意識をつなぎ止めていた。




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