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40.大公の策



一方、ノルディア大公国のセオドールの執務机の上には、帝国からの報告書が散乱していた。


魔力に触れた紙の端は白く凍りつき、ばらばらに砕け散っているものある。



「…居場所はまだ特定できないのか」


セオドールは声こそ低いが、その奥には今にも壊れてしまいそうな危うさがあった。



カインは眉根を寄せ、報告書を閉じる。


「侯爵家の私兵が動いています。帝国本軍ではなく完全に個人の領地権限の範囲です。こちらが手を出せば、越境侵害の名目が成立します」


セオドールの瞳が光を増す。


「つまり、侯爵家とフェルバール王国との揉め事だから、関係ない大公国の俺たちは口を挟めない、…そう言いたいのか」


「…はい」


セオドールは椅子から立ち上がった。

その瞬間、空気がひやりと動く。


「もういい。俺が行く」


「殿下!」


カインの声が跳ねる。


「いくらご兄弟とはいえ、大公国は名目上、独立国家です。正式な手続きもなくお一人で侯爵領へ入れば、それだけで侵略ととる人間もいるでしょう。大公国の軍を引き連れて行けば、完全に戦争行為です!」


セオドールは振り返らない。


「軍は使わない。俺が探したほうが早い」


「駄目です!」


カインが机越しに詰め寄る。


「姫は今、皇后暗殺未遂の首謀者として扱われています。ここで殿下が動かれれば共謀を疑われ、より動きが取りづらくなります」


セオドールは初めて足を止めたが、

背中はわずかに震えていた。



「…では、どうすればいい…!!」


その声は、氷の表面に細いひびが入ったような響きだった。


カインは息を飲む。

セオドールがここまで狼狽している姿は、ほとんど見たことがない。


「…殿下、落ち着いてください。まずは陛下に―――、」


「…その兄上も動けないだろ」


セオドールがゆっくりと振り返った。

その瞳の奥の色は、深い焦りで濁っているのに、どこか冷静に保とうとする葛藤が見える。


「オルディス侯爵家が、ヒストリアを大罪人にするための証言も、証拠も、全て揃えてきた。このままでは裁判になったところで処刑される」



「…っ、…」



「兄上が止められるならとっくに止めている。事態がこうなっている以上、手段がないということだ」


その声は低く、震えるようだった。




「…カイン。兄上の宮の隠し通路に繋がるように、移動魔方陣を描け」


カインの表情が強張る。



「…殿下…?」


セオドールは苦悩を押し潰したように、静かに言葉を紡ぐ。



「…兄上に許可を求めに行く」



カインの目が大きく見開かれる。


「…許可?…ぇ…、待っ…、え?殿下、まさか…ッ」



セオドールは頷いた。


「これなら侯爵ごときが勝手に手を下せない」


「いや、…それは…そうかもしれませんが、…姫が…、…ヒストリア様が望まないのでは」



「構わない」


セオドールはきっぱりと言い切った。


「……」


「…見殺しにするよりましだ」





*******

アストレイア帝国皇宮の中、皇帝レオンハルト専用の執務室。


さらにその奥にある通路の扉が押し開かれ、セオドールとカインが姿を現す。



室内にいたレオンハルトが、険しい目で弟の気配を捉えた。



「…セオ…?」


「…兄上。お願いがあります」



セオドールは迷わず歩み寄った。


いつも冷徹な大公の瞳は、焦りで青色を濃く染めている。


カインは黙ってセオドールの背後に控えた。



レオンハルトは、ただならぬ弟の様子に不安を覚える。



「ヒストリアとの婚姻を、皇帝権限で即時許可してください」


空気が一瞬、音もなく張りつめた。


レオンハルトはゆっくりと瞬きし、確かめるように問う。



「…待て、本気で言ってるのか?」


「はい」


セオドールの返答は、剣の切っ先のように迷いがなかった。


「兄上が動けない以上、時間を稼ぐ方法はもうない。ヒストリアは侯爵家によって皇后暗殺未遂の主犯に仕立てられている。今この瞬間も、処刑の準備を進められている可能性が高い」


レオンハルトの眉が僅かに動く。


セオドールは続けた。


「兄上が彼女に関与すれば、事実はより捻じ曲げられ、帝国法は、皇帝の私情を疑われた時点で成立しなくなる」



「…そう、だからこそ、今何か突破口を探して―――」


レオンハルトの声は重かった。



だがセオドールは、その迷いを真っ向から断ち切る。


「兄上、これこそが突破口です。彼女を皇族である俺の妻として大公妃に迎えれば、帝国は彼女の身分を皇族として扱わざるをえない。皇族に対する裁判は勝手にはできません。侯爵家は手を出せなくなります」


「……」


レオンハルトの沈黙。


カインの喉がわずかに鳴る。




セオドールはさらに一歩近づいた。


「お願いします。兄上の許可さえ出れば、俺はすぐに彼女を助けに行ける」


レオンハルトは、弟の顔をまっすぐ見た。


セオドールの瞳には動揺も迷いもない。

ただ一つの願いだけ。



――ヒストリアを、生かしたい。


レオンハルトは、深く、深く息を吸い込んだ。

何かを決壊させるようにその息を吐く。




そして――


「…わかった。皇帝特別権限を、行使する」


セオドールか安心したように息を吐く。



レオンハルトは机の引き出しから

厚い封蝋の箱を取り出した。


「皇帝の名において――、皇弟セオドール・ヴァル・ノルディアと、フェルバール王国のヒストリア・グレイスの婚姻をここに成立させる」


封を切り、皇帝印章を押した婚姻契約書を差し出す。



「この瞬間、ヒストリアはお前の妻だ。大公国の正統な妃となると共に、帝国の皇族だ」


セオドールはその文書を迷わずつかみ取った。


レオンハルトの視線は厳しいが、どこか苦しげだ。


「…セオ。通常、皇族の婚姻は議会と神殿の承認が必要だ。これは帝国史に残る暴挙になる。俺はもちろん、お前自身にも重い責任が降りかかることを忘れるな」


セオドールは初めて短く笑った。

乾いた、だが迷いのない笑み。


「…わかっています、兄上」


レオンハルトは弟の決意を見つめ、静かに呟いた。



「…では、行って助けてこい」


その言葉に、セオドールの外套が翻り、夜の闇の中に消えていった。



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