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37.冷たい地下で②


いつの間にか目が覚めていたエマは、怯えて肩を震わせている。それでも、必死にヒストリアの衣の端を握って離さない。


――エマは、必ず私が守る。


胸の奥に、静かで強い光が灯る。



セレナがその弱いエマの動きを見て、あざけるように笑った。


「そんな子、抱えてどうするの?邪魔でしょう。ここから出したいのなら、いっそ処理してあげましょうか?」


ヒストリアの眉がぴくりと動いた。


「…処理?」


セレナは軽く肩をすくめ、まるで“花を摘む”くらいの気軽さで続けた。


「死体なら、牢から出してあげるわ。あなたもあの子もね。罪人は死ねばただのゴミよ」


エマが小さく悲鳴を漏らした。



ヒストリアは反射的にエマを自分の腕の中に引き寄せ、庇うように抱きしめる。



「…あなた、本当に救いようがありませんね」


震えているのはエマの体だけ。

ヒストリア自身は、むしろ静かに怒りの底へ沈んでいく感覚だった。


「エマに手を出したら、あなたは殿下に殺されますよ」


セレナの顔色がわずかに変わる。

しかしすぐに笑みに戻った。


「脅しのつもり?殿下はあなたを庇えないと言ったでしょう」


「庇う必要なんてない、と言っているんです。

殿下は、国のための判断を淡々とされる方。取り調べ中に二人とも死んだら、侯爵家の管理能力が疑われるだけです」


「…何ですって?」


「私やエマが死んだら、疑われるのはあなただと言ってるんです。証拠は殿下なら必ず見つけてくれるでしょう。簡単に人を殺せると思わない方がいいですよ」




沈黙。

セレナの瞳が冷たい怒りで濁った。


「生意気な…ッ…」

手に炎のような光が集中したと思ったら、ヒストリアに向けて放たれる。


しかし、鉄格子の中に入った瞬間、光はなぜか跡形もなく消えてしまう。


ヒストリアは視線を反らさず、その様子を見ていた。


セレナが憎しみで震える指先を鉄格子に食い込ませた。


「…まぁいいわ。せいぜいこの牢で()()の順番を待つ気分でも味わってなさい」


吐き捨てるように言い残し、セレナは踵を返した。

金属音が再び打ち鳴らされ、闇の向こうへ姿が消える。




―──静寂。


エマは感情の限界に達したように、ヒストリアの胸元で小さく泣き始めた。


ヒストリアは、その頭をそっと撫でる。


「エマ、大丈夫。絶対にエマを逃がすから」


震える声でも、決意は固かった。



「で、でも…どうやって…?あれ、魔法を遮断する魔方陣です…。…殿下がいらしたとしても、魔法も使えないし、扉も…」


ヒストリアのセレナに対する態度を見て、少し正気を取り戻したように見えるエマが、石壁の大きな魔方陣を指差す。



「…だから、さっきの攻撃が届かなかったのね。…大丈夫、私は元々魔法なんて使えないんだから関係ないわ」


静かに、鉄格子の向こうの様子を伺う。

残っているのは、見張りの兵士一人だけ。


エマは震えた声で囁く。



「ひ、ヒストリア様…どうするんですか…?」


ヒストリアは静かに呼吸を整える。


「エマをここから出すわ」


「で、でも…、鍵が…」


「…鍵は、あの人に開けてもらいましょう」


言い終えると同時に、ヒストリアの身体がふっと沈む。


その場に崩れ落ちた。

正確には()()()()()見せかけた。


「ヒストリア様…ッ…!?」


エマの叫び声に、鉄格子の向こうから、すぐに兵士の靴音が近づく。




「…おい、どうした」


返事はしない。微動だにせず、呼吸を極限まで浅くする。


「…まさか死んだのか?」


兵士が扉を開ける金具に手をかける音がした。



(あと少し……)


金具の重い音が鳴り、鉄格子が開く。



兵士が中へ一歩踏み込んだ、その瞬間――、


ヒストリアの睫毛が、かすかに震えた。


(今!)


倒れていた身体が、糸が切れたようにふわりと立ち上がり、

兵士の腕をつかむと、勢いを利用して転がすように床へ引き倒した。


「なっ――…、ッ!」


重心を奪われた見張りの兵士は顔から落ち、剣が手から滑り落ちる。


ヒストリアはそれを即座に拾い上げ、喉元へ突きつけた。

その動きはしなやかで、無駄がない。



「静かにして。叫んだら、この場で殺す」


低く澄んだ声に、男が息を呑んだ。


しかし、すぐに冷静に考えて、こんな細腕の女一人に負けるはずがない、さっきは油断しただけだと思い直す。


剣を持っているヒストリアの手を掴もうとした。


すると―――、

その動きを利用するようにヒストリアが兵士の腕を引き、倍近くある体が床に叩きつけられる。


呻き声をあげた兵士の腹に、ヒストリアが肘で一撃を入れると静かになった。



後ろでエマが息を詰めたまま立ち尽くしている。


「エマ」


ヒストリアは一度だけ振り返る。

その瞳に迷いはなかった。


「鉄扉の陰に隠れて。この後、ここで騒ぎを起こすから、他の兵士が入ってくるところを見計らって外に出るのよ」


「で、でも、それだとヒストリア様が…!」


「私は残るわ」


「だめです、一緒に―――」


「一緒に逃げるのは無理。途中で捕まる可能性が高い」


エマの目に涙が溜まる。


「ど…、どうして…わたしなんかにそこまでっ…」


「エマは、ノルディアに来て初めて私に優しくしてくれた大切な友人だからよ」


ヒストリアがにこっと微笑むが、すぐにエマは涙でその顔がよく見えなくなった。



エマの小さな手がぎゅっと握られる。


「嫌です、ヒストリア様っ!行くなら一緒に―――…」


「大丈夫。必ず後から行くから。…塔からも、部屋からも抜け出す、私の逃走癖を知ってるでしょ?」


「……」


エマは唇を噛み、何度も頷くと走り出した。

涙で視界が揺れるが、足は止めなかった。



エマが鉄扉の陰に隠れるのを確認してから、ヒストリアは鉄格子の内側に兵士を引きずって戻り、半分だけ扉を閉める。

金属が擦れる嫌な音がした。



一度、息を吸い―――、


「きゃあああぁぁぁ…!!!」


…大きく叫んだ。



「今の悲鳴は何だッ!?」

ヒストリアの思惑通り、数名の兵士が慌ててやってくる。


すぐに、鉄格子が開いている事に気付き、さらに、中で兵士が倒れている異常事態に焦っている。



「…この兵士が、急に中に入ってきたんですっ…そしたら急に倒れて…」


ヒストリアが怯えた表情でそう言うと、兵士たちが気を失っている兵士を見てやれやれといった顔をした。



「こいつ、まさか囚人に手を出そうとしたんじゃないか?」

「絶対そうだ。それて中が暗いからつまずいたか何かで倒れたんだな。」

「…ったく、手間ばっかり増やして…、馬鹿なやつだ」


兵士たちが、倒れている男を運び出すと、再び牢に鍵がかけられた。

呆れた事態に、兵士たちはどうやら中に女が一人足りないことには気付かなかったようだ。



もちろん、気絶させた兵士が意識を取り戻せば、全て発覚してしまう。


だが、エマだけでも逃がしたいヒストリアには、十分な時間だった。



(…エマ、無事に逃げて)


祈るような瞳が、地下牢の闇の中に吸い込まれていった。



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