34.剣の舞
訓練場からセオドールに連れ出されたヒストリアは、少し気まずさを抱えながら歩いていた。
セオドールの足取りは静かだが、どこか苛立った気配がある。
魔獣事件のあと、とにかくセオドールの機嫌が悪い。
元々無表情ではあるが、それに輪をかけて怒っているように見える。
冷たい空気が張りつめた。
しばらく沈黙が続いたあと、セオドールが口を開く。
「…勝手に動くな」
低い声。
叱責というより、抑えきれない何かが滲む。
ヒストリアは小さく息を吸う。
「もう治っています。それにお城の中では好きにしていいと仰ったのは―――、」
「治ってない」
短く言い切られる。
「…お前は、なぜ無理をするんだ」
その声は、苛立ちと、迷いと、押し殺した不安が混じったものだった。
だがヒストリアには、怒りにしか聞こえない。
胸の中に溜まっていたものが、思わず口をついて出る。
「…怒ってるからですよ」
セオドールがわずかに目を見開く。
「…何だと?」
「だって…、あの事件以降、殿下はずっと怒ってるじゃないですか。私が弱いから、…簡単に毒をくらい、怪我をしたからですよね?今日だって、ずっと不機嫌ですし」
声が少し震えた。
「だから強くなりたくて鍛練していただけです」
しんと静まり返る裏庭。
セオドールは言葉を失ったように目を伏せた。
(…呆れている?)
彼は静かに息を吐くと、低く呟く。
「…怒ってない」
「嘘です。今も怒っています」
セオドールの横顔は冷たく沈黙していて、その表情はやはり怒っているようにしか見えなかった。
セオドールが静かに視線を向ける。
「剣は、どこで学んだ」
「…母からです」
答えると、懐かしい光景が頭をよぎる。
「…母?」
「はい。母は踊り子でした。剣舞の名手で、私は小さい頃からそれを真似して、身体を動かすのが好きでした」
セオドールは少し驚いた目になる。
「…舞えるのか?」
「…母の剣舞はただの踊りではなく、舞うように剣を扱う技です」
「…それがお前の剣の原点か」
そこでヒストリアは小さく息を吸った。
「少しだけ…、お見せいたしますか?」
セオドールは少し考えるようにしてから、短く頷いた。
ヒストリアは訓練場からずっと握ったままだった木剣を握り、一瞬だけ瞼を閉じる。
母がいつも言っていた。
―――音を聞きなさい。風の、草の、あなた自身の呼吸の。
ヒストリアの呼吸が、ふっと軽くなる。
次の瞬間。
身体が流れるように動き出す。
手が風を描き、木剣が空気を切り裂き、舞うように、踏み込む。
殺気ではなく、美しさを纏う剣技。
しなやかで、速くて、軽やかで―――、
重心の移動さえ、流れるような美しい舞いとなった。
セオドールはその場で固まる。
深い青色の瞳が、ヒストリアから目を離せなくなっていた。
―――舞いらしく、最後は終わりの型を取って、ぴたりと静止。
ヒストリアがゆっくりと息をつく。
沈黙が広がった。
(…どこかおかしかったかな…)
不安になってセオドールを見る。
これまでのどんな表情とも違う、深く何かを揺らした目をしていた。
しばらく声が出ないようで、息を吐いてから言葉を紡ぐ。
「…舞踏会では踊れないと駄々をこねていたが、舞いは見事だ」
「…あ、踊れないと言ったのは嘘ではありませんよ?舞踏と剣舞は違いますので」
セオドールは目を逸らすように、低く呟いた。
「…お前は、…本当に、油断ならないな」
(どういう意味…?)
ヒストリアは戸惑いながらも、その言葉からは少なくとも怒りは感じなかった。
「…フェルバールでは、踊り子の身分がとても低いんです。だから、他国から招かれた芸人一座にいた踊り子の母を、王は夜の相手ができる者として扱ったのかもしれません。ですが、元々母がいた国では、神に捧げる舞いとして、神事に使われていたそうです」
そうして生まれたのがヒストリアだ。
この舞いがなければ、母が苦しむことはなかったかもしれない。
そして、同時にそれは、自分も今この世に存在していないのかもしれないということ。
そう考えるとヒストリアは複雑な気持ちだった。
「…私にとって、舞いはあくまで剣の型にすぎません。母以外の誰かに見せるのもこれが初めてです」
一瞬、セオドールの瞳が揺れる。
少しの沈黙のあと、静かに掌を広げた。
「…なら、これは俺がお前だけに見せてやろう」
言葉の意味がわからない。
ヒストリアが首を傾げた瞬間、
―――空気がふっと冷えた。
セオドールの掌に白い霧が集まり、
形を持つように固まっていく。
やがて、その中心に、雪のように透き通った羽根を持つ、氷の小鳥が生まれた。
「え…」
ヒストリアは息を呑む。
小鳥はふるふると体を震わせ、羽をひらくと、
淡い光を散らしながら空へ舞い上がった。
続いて、彼の指先からふわりと舞い落ちるように、いくつかの小さな蝶が生まれる。
氷の欠片から形になった蝶は、光を屈折させながら舞った。
幻想的すぎて、言葉が出ない。
「殿下…すごい…」
ヒストリアは自然とセオドールに歩み寄っていた。
距離を測ることも忘れて、蝶の軌道を追いながらまた一歩、もう一歩と近づく。
セオドールは後退しない。
ヒストリアの肩が、彼の胸をかすめるほど近づいた頃――、
セオドールが小さく喉を鳴らした。
「…危ない」
「え…?」
「近い。凍るぞ」
「凍りません。見てください」
ヒストリアの視線の先にいたのは、先程の小鳥。
パタパタと羽を動かし、ヒストリアの周りを回ると、静かに肩にとまった。
「…ほら、凍りません」
セオドールが無言でその様子を見ている。
「殿下の魔法は、すごく綺麗です」
「…そう…か」
おそらく今まで言われたことがない言葉に、返事がぎこちなくなる。
周囲では蝶たちがいつまでも舞っていて、セオドールは止めようとしなかった。




