表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/120

29.弱音



治癒塔の最上階は、魔力を吸い上げるような静けさに包まれていた。


ヒストリアは氷のように白い寝台に横たわり、毒を中和する魔法陣の光が、脈のように揺れている。


セオドールは、彼女から一歩も離れなかった。


医師たちが「大公殿下、外でお待ちください」と促しても、一切聞く耳を持たない。



外套を脱ぎ捨て、血のついた手を拭いもせず、

ただヒストリアの頭の横に片膝をつき、呼吸を確かめ続ける。



「…おい、目を開けろ」


かすれた声が彼女の頬に落ちる。


「…傷は治す。毒も今中和してる。血が足りないなら俺のをやるから」


いつも落ち着いた深青の瞳が、珍しく揺れていた。


ヒストリアの指先が、ほんのわずかに動く。



セオドールはその動きを逃さず、彼女の小さな手を包むように握り込む。



窓の外では、深夜0時、本来ならば舞踏会が終わる時間の鐘が鳴り響いていた。



「…お前は勝負に負けて、この時間までは何でも俺の言うとおりにする約束だろ?だったら早く目を開けろ」



執務室でのくだらないやり取りや、白狼の世話をした、何でもないようなことが思い出される。



「…戻ってこい。咎めも怒りもしない。だから…、頼むから目を開けてくれ」


普段なら絶対に見せない弱さが、そこにあった。





*******

意識の底。

遠くで、雪が降っていた。



冷たいのに、不思議と寒くない。


(…私…どこにいるんだっけ…?)


手を伸ばすと、雪が柔らかく溶けた。


代わりに、温かなものが手に触れる。




『ヒストリア』



ふいに呼ばれた名に、胸が締めつけられる。



声の方向を見ると、

暗い雪原の向こうに、彼がいた。



(…殿下?)


けれど思ったよりも距離が遠い。

セオドールの声は聞こえるのに、どんどんその姿に霞がかかっている。



その声が、ひどく優しかった。


(行かなきゃ…)


足を踏み出そうとした瞬間、

背後から何か黒い影が絡みつき、腕をひいた。


(……!)


影が蛇のように巻き付いて体を蝕む。

呼吸ができない。


セオドールの姿が遠ざかり、声がかすんだ。



『…行くな、戻ってこい』


その声だけが、雪原に残る灯のように響いていた。


ヒストリアはその声に向かって必死に手を伸ばした。


(―――行かなきゃ。あの声のところへ)


その瞬間、闇がはじけ、光が胸に流れ込んだ。



*******

瞼の裏に残っているのは、雪と、遠くで呼ぶ声。


(…声…、…殿下…どこ…?)


ゆっくりと瞼が重力に逆らうように開く。



視界にまず飛び込んできたのは―――、

寝台に身を乗り出し、彼女の手を強く握りしめているセオドールの姿だった。



透き通るような青い瞳が、ひどく険しく細められている。



「…ようやく目を開けたか」


低い声―――

…怒っているのだろうか。


ヒストリアは反射的に小さく身を強張らせた。



「…あ、の…、」


「なぜ勝手に無茶をした」


第一声、それだった。

ヒストリアは意味が分からず瞬きをする。



「…無茶はしてません。私は…、」


「しただろ、十分に」


セオドールは顔を背ける。

だが手だけは離さないどころか、指先に力がこもっていた。



「魔獣の爪が掠めただけでこうなっている」


「…ミレイユ様が危かったんです」


「助けたことを咎めてるわけじゃない」



セオドールの声は怒っているはずなのに、抱え込むような、痛むような音だった。



ヒストリアは気付く。

彼の大きな手が、自分の手を握っているというより、縋るように掴んでいるのを。


「……?」


すると―――、


セオドールが、ゆっくりとヒストリアの額に触れた。


指先で、そっと汗を拭う。



「…死ぬかと思ったんだ」


小さく漏れた声は、怒りではなく―――焦燥。


ヒストリアの呼吸が止まる。



「殿下…?」


「二度と勝手に傷を負うな」


「……」


「…お前のあの姿を見たときには、耐えられなった」



胸が締め付けられた。


その言葉はあまりにも正面からで、けれど照れも迷いもない。



ヒストリアは大慌てで顔を背ける。


セオドールはヒストリアの頬に触れ、反対の手で彼女の指先を包んだ。



「…他に痛むところは」


「だ、だいじょうぶ…です…」


「そうか」

セオドールが小さく息を吐く。




「…ノエルは、無事でしょうか」


「…あの護衛(役立たず)は俺が殺した」


「え!?なんでそのようなことをッ…」


「お前を守れという命に背いたからだ」


「そんな…っ、」


ノエルはヒストリアの言葉に従っただけだ。



「ノエルは悪くありません!なのに…」


まさか、殺してしまうなんて。

ヒストリアが慌てて起き上がる。


「おい、まだ起きるな」


「だって、殿下がノエルを―――、」




「…姫さん?」

部屋の入り口から、ノエルがひょこっと顔だけ覗かせる。


「…ぇ、……なんで?」


「…目が覚めてよかった。…なんか、俺の名前が聞こえたけど、何か用っすか?」


「…ノエル、無事だった…?」

気が抜けたような変な声が出てしまった。


「…大丈夫じゃないですよ!姫さんが皇后様を守れっていうから、仕方なくそっちに回ったってのに。おかげで死ぬ目に遇ってます」



「…死ぬ目?」


「近衛兵の雑用、全部俺一人でやってるんですよ!?その上、訓練のメニューも俺だけみんなの三倍だし」


「…そ…、そうなんだ」


「…俺、洗濯あるんで行きますね。姫さん、お大事に」


そう言うと、ノエルは塔の内階段を降りていった。



「……」


「……」


「…殿下」


「…なんだ」


「…ついていい嘘とダメな嘘があります」


淡々と言うと、セオドールはわずかに眉をひそめた。


「嘘ではない。殺しかけたのは本当だ」


「やめてください」


「…事実だ」


「いらない事実です」

ヒストリアは思わず布団を握りしめる。



「ノエルは悪くありません。私が“皇后陛下を守って”と、頼んだから。…なのにひどいです」


セオドールはそっぽを向く。


「…誰の命令に従わなければならないのか、教えるいい機会だ」


「それにしても…―――、」

雑用やら訓練の量やら、ノエルが不憫だった。



お前は―――、

と、静かに言葉を遮ったのはセオドール。



「…あの状態で倒れていたお前を見た、俺の気持ちを考えたことはあるのか?」


「…は?」


「…血が止まらず、顔色も悪い、息も浅くて、どうすればいいのか分からなかった」


その声は、怒りでも威圧でもない。


ただ、恐怖が混じった弱い音だった。


ヒストリアの胸がきゅっと掴まれる。



「…でも、殿下。私はこうして無事に…」


「無事じゃない。兄上が連れていた治癒魔法士がいなければ死んでいた」


「……」


セオドールはヒストリアの手を取る。

指先が少し震えている気がした。


「…あんなものを、二度と見るのはごめんだ」


「……」


「お前が傷つくのは…嫌だ」


真正面から、それだけを告げられると

何も返せなくなる。


ヒストリアが少し俯くと、セオドールはその反応をどう解釈したのか、焦ったように近づいてきた。


「…痛むのか?」


「ち、ちがいます!」


「…熱か?」


「それも違います!」


「…では、どこが悪い」


「殿下が近いんです!!」


きっぱり言うと、セオドールは一瞬ぽかんとした。


「…近い…?」


「…はい」


二人の間は息がかかりそうな程近づいていて―――、



バンッ!

…その瞬間、扉が開いた。



「リア…!!」


「おいセオドール、目が覚めたって……うわ、なんだこの空気」


レオンハルトとミレイユが勢いよく乱入した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ