28.氷の暴走
庭園に出ると、白い通路に黒い血が点々と落ちていた。
その真ん中で、ヒストリアが崩れ落ちている。
肩口は深く裂け、鮮血がドレスを濡らしていた。
「…ヒストリア…ッ!!!」
駆けつけたセオドールは、一瞬で顔色を失った。
次の瞬間―――
空気が、凍りつく。
氷の暴君大公と恐れられる男が、完全に理性を手放した。
周囲に残っていた魔獣の死骸―――。
まだ脈打つ影の残滓が、パキパキと音を立て、
瞬時に凍ったかと思えば、次の瞬間には氷柱ごと粉々に砕け散った。
まるで魔獣など最初から存在しなかったかのように。
息をするだけで胸が引き裂けそうなほどの鋭い殺気。
ノエルは倒れたヒストリアのそばで、血のついた手を握りしめていた。
「殿下…!」
振り返ったセオドールの瞳は、深青ではなく―――、
凍てつく“殺意そのもの”だった。
「…お前、護衛の分際で、何をしていた?」
淡々とした声なのに、背筋が折れそうな圧。
ノエルは一歩も下がらなかったが、身体が勝手に震え、呼吸すらうまくできない。
「俺は…、ヒストリア様を守―――」
「守れなかっただろうが」
ズンッ…、
と空気が沈む。
目に見えない氷の爪がノエルの喉元を締め付けていた。
彼の足が床から離れかける。
「セオドール!!」
ミレイユが悲鳴のような声をあげ、同時にレオンハルトの銀色の魔力が爆ぜた。
「やめろ、セオ!! 今はそっちじゃない!」
レオンハルトの魔力障壁がセオドールの氷を押し返し、ノエルは地に崩れ落ちて荒く咳き込む。
しかし、セオドールには兄の声すら届いていなかった。
ヒストリアの血の匂いに引き寄せられるように膝をつき、震える手で彼女の頬を触れた。
「…ヒストリア」
その声は、
暴君と呼ばれた男とは思えないほど弱く、壊れそうだった。
ミレイユは急いでヒストリアの傷を確認し、顔を引きつらせた。
「傷が深いわ。魔獣の毒も回ってる…」
レオンハルトもヒストリアの傷口に手を当て、魔力を読み取る。
そんな最中にも、白い通路が一気に氷りつき、壁の彫刻が霜の膜に覆われ始めていた。
このままでは城ごと凍りかねない。
ミレイユが震える声で叫んだ。
「いい加減にしなさい、セオ!!ヒストリアを見て!この子を助けたいんでしょう!?」
その言葉に、セオドールの動きが止まる。
見ると、ヒストリアの白い指先まで血が滴って赤く染まっていた。
…血がまだ、止まらない。
その絶望が、セオドールの胸を裂く。
「…ヒストリア…ッ」
低く、喉が破れそうな声で名を呼び、
彼は必死に自制しながら彼女を抱き上げた。
腕の中の体は軽すぎて、冷たすぎて。
今にも消えてしまいそうで、セオドールは息を詰めた。
レオンハルトが叫ぶ。
「治癒塔に運んで、解毒が出来る医者と治癒魔法士を呼べ! 急げ! 毒が回りきる前に!」
セオドールは顔を上げた。
その瞳は、いつもの沈着ではなく―――、
“この世を凍らせるほどの怒り”に染まっていた。
「…この城から全員出すな。
ヒストリアを傷つけた者がいるなら——、必ず引きずり出してやる」
セオドールはヒストリアを抱きしめ、滴り落ちる血の温度に肩を震わせながら、かすれた声で呟いた。
「…死ぬな…、頼むから」




