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2.母との別れ



そこからの一週間、今が朝なのか夜なのか、何を食べていつ眠っているのかわからないまま、ヒストリアは王宮の窓のない一室に軟禁されていた。


リヴィアナ王女として、最低限の王室のマナーを叩き込むために、王妃が用意した侍女だけがこの部屋に入ってくることができた。


部屋の前には常に護衛騎士がおり、外の様子も伺い知れない。


そんな日が何日続いているのかもわからくなった頃、部屋のドアがノックされる。


いつも来ている教育係の侍女なら、返事をせずとも入ってくる。

その日も、返事をせずにドアを眺めていると、


コンコン…


再びドアを叩く音が部屋に響いた。



「…はい」


不思議に思ったヒストリアが返事をすると、扉を開けたのは意外な人物だった。


「リア!」


そこにいたのは、つい何日か前まで訓練場で剣の腕を競い、切磋琢磨していた騎士、ラウルだった。


「…どうして…、」


「どうしてはこっちの台詞だ!なんでこんなことになってんだよ!!」


慌てて部屋の外を見ると、普段立っている護衛騎士がいない。

そもそも、護衛騎士とはいっても、ヒストリアを守るために立っているわけではなく、ヒストリアを逃がさないように配置されている騎士だ。

休憩だとか食事だとか、そんな理由で彼らがいなくなるとは考えられない。


「ここにいた騎士は?」


「上官に頼んでこの部屋の護衛任務の予定を改ざんした。少しの間だけだけど、今は俺以外ここには誰も来ない」

そうは言っても、いつ誰に見られているかわからない。


「リア、急げ。お前のお母さんは西の塔にいる。今なら塔の護衛もうちの団員だから」


「でも…ッ…、」


「もう、あと数時間で大公国に向けた馬車が出発すんだよ!…ちくしょう…っ、なんでこんなひでぇことするんだッ…」


ラウルが泣いている。

木剣で何度叩きのめしても、鍛錬後にラウルが楽しみに飲もうとしていた酒を水にすり替えたときだって、ラウルの泣き顔なんて見たことがなかった。


「早く、行け…ッ―――」


その言葉に、ヒストリアは走り出す。



時間の感覚はなかったが、外に出ると太陽の位置から今が夜明け頃だということがわかった。

この時期にしては冷たい風の中を、西の塔に向けて全力で走る。


王城の片隅にある古い塔。

ラウルの言った通り、入口にいた護衛騎士たちはみんな顔なじみで、言葉を交わすことはなかったが、みんなほんの少しだけ俯くような、小さな会釈をするような仕草を見せる。


ひっそりとした塔の暗い部屋の中で、ヒストリアの母メイジーが細い息をしていた。


「…お母さん」


薬草の匂いと消えかけた蠟燭の明かりの中で、小さな声でそう呼びかける。


「…ヒストリア?」


「…お母さん、ごめんなさい。こんなところに閉じ込めて…」


メイジーは弱く首を振ると、かすかに微笑んだ。

その目は、昔と変わらず穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。



「謝るのはお母さんの方ね。あなたを…こんな世界に生んでしまった…」

「やめて―――、そんな風に言わないで」


ヒストリアの目に涙が滲む。

幼い頃、母の踊る姿が好きだった。


元々剣舞の達人だったメイジーは、いろいろな国を旅する芸人一座のひとりだった。

黒い髪と、宝石のような真っ赤な瞳を持つ彼女が舞えば、夜に浮かぶ月の光のごとく美しかった。

リヴィアナ王女の生誕を祝う席に一座が呼ばれた際、運悪く王の目に留まってしまい、彼女は身籠ることになる。


そうして生まれたのがヒストリアだ。


「…ヒストリア、これを」


メイジーがそう言って枕元から取り出したのは、銀色のペンダントだった。

ヒストリアにも受け継がれている赤い瞳を思わせる石が嵌められている。


「これはね、お母さんが、お母さんのお母さんにもらったものなの。」


ヒストリアは手を震わせながら、それを受け取る。

触れた母の手は枯れた枝のように細い。


「持っていきなさい。…どこへ行っても、お母さんの心はあなたと一緒よ」

「…どうしてそんなこと言うの?」


問いかけてみても、メイジーは微笑むばかり。

その微笑みの奥に、”もう会えない”ということがわかっているかのような静かな確信があった。


「ヒストリア。あなたは自由に生きなさい。王様の命令も、誰の命令も恐れる必要はないわ。…あなたの心のままに、生きて」


その言葉は、ヒストリアの胸に深く刻まれた。


「大好きよ、ヒストリア。私の元に生まれてきてくれてありがとう」


やがて、蝋燭の灯が消える頃、彼女は母の手を離した。


部屋の窓から朝焼けが差し込む少し前、

ヒストリアはペンダントを自身の首にかけて立ち上がった。



「…お母さん、いってきます」



こうして、ヒストリアは贈り物の花嫁として氷の大公国へ向かうのだった。


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